ex.エピソード 5 昭和の観光地の1日のシュミレーション 愛知県『内海フォレストパーク』
健一は土曜日に南知多ビーチランドを堪能したあと、知多半島の師崎で一泊して、もう一つの遊園地にいく。1982年(昭和57年)、当時は名古屋鉄道が運営する、知多半島最高峰の展望を誇る一大レジャーランドでした。健一の切ない1日を、フォレストパークの風景とともに再構成します。
11:30 | 名鉄内海駅から車で10分の場所 内海海岸付近(山麓駅)からロープウェイへ
スカイラインGT-EXを麓の駐車場に停め、健一はハイライトを一本吸い殻入れに押し込みました。
ここから山頂のパークへは、真っ赤なロープウェイで向かいます。
揺れるゴンドラの中で、眼下に広がる伊勢湾を見つめる健一。
「……あいつ、高いとこ好きだったな」
別れた彼女と来るはずだった場所。一人で乗るロープウェイは、機械音だけが虚しく響きます。
12:00 | 展望レストランと「ミス」の記憶
山頂の展望台にあるレストランに入ります。
窓の外には、セントレアができるずっと前の、穏やかで広い海。
健一は「オリエンタルカレー」を注文しました。
スプーンを動かしながら、先週の仕事のミスを思い出します。
「部長の怒鳴り声、この高さまで聞こえてきそうだな……」
仕事の重圧と失恋の喪失感。23歳の彼には、この絶景すらも少し残酷に感じられました。
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13:30 | 「地獄の丸太登り」と焦燥感
最初の難関は、山の斜面を垂直に近い角度で登っていく丸太の階段です。
「仕事のミスくらいで、へばってられるかよ……」
ハイライトで少し荒れた肺を鳴らしながら、健一は一段飛ばしで駆け上がります。23歳の若さに任せた強引な動き。しかし、中腹まで来たところで、革靴(当時はスニーカーではなく、少しヒールのある靴で来る若者も多かったのです)が滑り、膝を強打しました。
「クソッ……!」
痛みと同時に、会議室で部長に書類を投げつけられた時の屈辱が蘇ります。彼は泥のついたズボンを払うこともせず、がむしゃらに頂上を目指しました。
14:00 | 「空中ケーブル滑走」の絶叫
最も標高の高い地点にあるのが、谷を越えるロープ滑走(ジップラインの前身)です。
健一の順番が来ました。後ろには小学生の集団が並んでいますが、彼はあえてクールに、リーゼントを崩さないようT字のハンドルを握りしめます。
「……行くぜ」
蹴り出した瞬間、視界から地面が消え、視線の先には真っ青な伊勢湾が飛び込んできました。
時速40キロ近い風が、彼の頬を叩き、固めていたポマードの香りを飛ばしていきます。
「う、うおおおおおおお!!」
思わず叫んでいました。失恋のモヤモヤも、発注数のミスも、高速で流れる風景の中に置き去りにされていく感覚。この瞬間、彼は組織の一員ではなく、ただの「23歳の男」に戻っていました。
14:30 | 「水上丸太渡り」での冷や汗
コースの終盤、池の上に浮かぶ丸太を渡るセクション。
少しでもバランスを崩せば、自慢のリーゼントごとドボンです。
慎重に一歩を踏み出す健一。丸太がゆらりと揺れ、水面に自分の情けない顔が映ります。
「……落ち着け。仕事だってこれと同じだ。一歩ずつ、確実にいけばいいんだろ」
誰に聞かせるでもなく独りごち、彼は慎重に、かつ大胆にステップを踏んでいきました。最後の着地を決めると、見守っていた家族連れから「お兄ちゃん、かっこいい!」と声が上がります。健一は少し照れくさそうに、崩れた髪をかき上げました。
15:00 | ゴール、そして報酬
全40種目近いアスレチックを終えた時、健一のシャツは汗でびっしょり、自慢のズボンの裾は泥だらけでした。
しかし、展望台のベンチに座り、震える手でハイライトに火をつけた彼の顔は、朝よりもずっと晴れやかでした。
「ふぅ……。明日謝って、一からやり直しだな」
真っ白な煙の向こうに、夕日に輝く知多の海が広がっています。
ボロボロになったリーゼントを鏡で見ることなく、彼はアスレチックを攻略した達成感に浸りながら、一吹かしを楽しみました。
体を動かすうちに、額に汗が滲みます。リーゼントもしっかり崩れましたが、不思議と心の中の澱が、汗と一緒に流れていくような感覚がありました。
15:30 | 夕方
パークのシンボルでもあった展望塔の影が長く伸びる頃。
健一は、木々に囲まれたベンチで再びハイライトに火をつけました。
昭和57年の情景
周りからは、ラジカセから流れる「赤いスイートピー」が微かに聞こえてきます。
遠くには、四日市のコンビナートが夕陽に照らされて輝き始めていました。
「……ま、いっか。ミスはミス。次は取り返しゃいいんだ」
煙をふーっと吐き出し、彼は立ち上がりました。
彼女がいなくても、仕事が大変でも、明日はやってくる。
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アスレチックの全行程を終えた健一の体は、汗と泥、そして、その匂いにまみれていました。
自慢のスカイラインGT-EXのシートを汚すわけにはいきません。彼はふらつく足取りで、に山頂駅に併設された売店へと向かいました。
16:00 | 売店での小さな「戦利品」
売店の入り口には、当時お決まりのペナントやキーホルダーが並んでいます。健一は棚の端に見つけた、青い文字で「内海フォレストパーク」とプリントされた白いタオルを掴みました。
「おばちゃん、これ一枚」
「あらお兄さん、えらい泥だらけだね。頑張ったんだねぇ」
愛想のいい店員に声をかけられ、健一は少し照れくさそうに小銭を払いました。洗面所で蛇口を全開にし、冷たい水で一気に顔を洗います。泥と一緒に、今日まで引きずっていた「仕事の惨めさ」が洗い流されていくようでした。
16:30 | 黄金色のカタルシス
ロゴ入りタオルで顔を拭い、もう一度山頂に上り、展望台の縁に両手をかけ、健一は動けずにいた。
目の前に広がっていたのは、昼間の突き抜けるような青さとは全く違う、圧倒的な黄金色の世界だった。
伊勢湾の水平線に向かって、燃え盛るような夕日がゆっくりと沈んでいく。波立っていた海面は、まるで溶けた金が流し込まれたかのように輝き、その眩しさに健一は思わず目を細めた。遠く、海の向こうに見える四日市の工場地帯のシルエットが、夕映えの中にくっきりと、まるであるべき場所を守る境界線のように浮かび上がっている。
「……すげえな」
ポツリと漏らした言葉は、海風にかき消された。
つい数時間前まで、自分はなんて狭い場所で、ちっぽけな数字に一喜一憂していたのだろうか。
発注ミスをした自分。上司に罵倒された自分。彼女に愛想を尽かされた自分。そのどれもが、この巨大な光の渦の中では、一粒の砂にすらなれないほど無力に感じられた。
だが、不思議な感覚が健一を包み込む。
自分はこの広大な世界から切り離された存在ではない。今、この瞬間、黄金の海から吹き上げる風を肌に感じ、網膜を焼くような光を真っ向から受け止めているこの「自分」という個体こそが、この景色の一部として確かにここに刻まれている。
(俺がいて、この世界があるのか。それとも、世界があるから、俺が存在できるのか……)
自分の中心、深い場所から、熱い何かが静かに湧き上がってくるのを感じた。それは怒りでもなく、悲しみでもない。もっと純粋で、もっと原始的な、生きようとする「エナジー」そのものだった。
23歳の、未熟で、失敗だらけで、泥にまみれた自分。しかし、その内側には、この夕日の輝きにも負けないほどの熱量があるはずだ。そうでなければ、これほどまでに心が震えるはずがない。
健一は、ポケットからハイライトを取り出した。
震える指でライターを弾くと、小さな火が夕日の光と混じり合う。深く吸い込み、紫煙を黄金の空へと解き放った。
「つながってるんだ……。この海も、あの工場も、名古屋のあのオフィスも、全部……。俺が選んで走っているこの道に、全部つながってるんだ」
自分という存在は、ただの迷子ではない。この壮大な景色というキャンバスに、一筆の線を引くために生まれてきたのだ。
健一は、ロゴ入りタオルで再び力強く顔を拭った。ポマードの香りが、潮風とともに鼻をくすぐる。
沈みゆく太陽が、最後の輝きを放って水平線へと消えていく。
その一瞬、健一の心には、明日という名の「戦場」へ戻るための、静かで、しかし決して消えることのない情熱が灯っていた。
「……行くか。ジャパン」
誰に誓うでもなくそう呟くと、健一は一度だけ強く海を見据えた、黄金色の残光をその瞳に焼き付けながら。
16:45 |再起
かつて彼女と「いつか綺麗な夕日を見に行こう」と約束したことがありました。でも、今この瞬間、一人で見るこの絶景に、健一は不思議と寂しさを感じませんでした。
健一の独白
「ミスした仕事も、逃げてった女も……この夕日の中じゃ、ちっぽけなもんだな。俺はまだ23歳だ。死ぬ気でやりゃあ、何だってできる」
ハイライトの吸い殻を丁寧に携帯灰皿へ。
彼は崩れたリーゼントを、今度は「格好」のためではなく、「決意」のためにロゴ入りタオルでグイッと拭き上げ、山を下りるロープウェイの駅へと歩き出しました。
17:15 | 下山、そしてジャパンの咆哮
麓の駐車場で待っていたスカイラインGT-EXは、夕闇の中で低く構えていました。
健一は「内海フォレストパーク」のタオルを助手席に放り投げ、イグニッションを回します。
L20Eエンジンが重厚なリズムを刻み始めます。
バックミラーに映る自分の目は、朝よりもずっと鋭く、前を見据えていました。
17:30 | スカイライン、国道247号の咆哮
ロープウェイで下山し、愛車ジャパンのシートに深く腰掛けます。
パワーウィンドウを下げ、潮風を車内に引き込みました。
「内海フォレストパーク……またいつか、今度はいい女連れてくるぜ」
そう独りごちて、健一はシフトレバーを1速に入れました。
大出力のL20Eエンジンが唸りを上げ、スカイラインは夕闇に包まれ始めた海岸線を、名古屋へと向かって走り去っていきました。




