ex.エピソード 4 昭和の観光地の1日のシュミレーション 愛知県『南知多ビーチランド』
昭和57年(1982年)、初夏。
世間は空前の「シティポップ」ブームですが、健一の心は土砂降りの雨模様でした。
23歳、中堅商社に勤めて3年目。仕事は大忙しで、先日、発注数を一桁間違えるという致命的なミスを犯したばかり。追い打ちをかけるように、3年付き合った彼女からは「仕事ばかりでつまらない」と別れを告げられました。
そんな彼が、愛車スカイラインGT-EX(通称:ジャパン)のイグニッションを回し、向かったのは南知多でした。
南知多ビーチランドについて
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社内創立記念日の休日の土曜日 09:30 | 国道247号線、潮風のドライブ
気合を入れたリーゼントをバックミラーで確認し、健一はサイドウィンドウからハイライトの煙を吐き出しました。
カセットデッキからは、彼女が好きだった松任谷由実の『守ってあげたい』が流れています。
「……守れてねーじゃん、俺」
自嘲気味に笑い、ターボチャージャーの加速を感じながら知多半島を南下します。
11:00 | 南知多ビーチランド到着
当時の南知多ビーチランドは、開園からまだ2年。真新しいコンクリートの匂いと、磯の香りが混じり合っています。
駐車場にスカイラインを停めると、隣にはデート中のソアラやシルビア。独り身の健一は、少しだけ肩身が狭い思いをしながら入場券を買いました。
11:30 | ビーチ側入口と「海洋館」の静寂
メインのイルカショーは大混雑。人混みを避けるように、健一は薄暗い「海洋館(大水槽)」へと足を進めました。
当時は最新鋭だった巨大なアクリルパネルの向こう側。悠々と泳ぐエイやサメの群れを見つめます。
「……お前らはいいな。ノルマもなきゃ、発注ミスで怒鳴られることもねえ」
青白い光に照らされた健一のリーゼントが、水面に反射してゆらゆらと揺れています。彼女と最後に行った水族館の記憶がフラッシュバックしそうになり、彼はあわてて視線を外しました。
12:15 | 「ふれあいカーニバル」での戸惑い
南知多ビーチランドの名物といえば、当時から画期的だった「ふれあい」です。
アシカやアザラシがすぐ目の前を歩き、触ることができるエリア。
小さな子供たちが歓声を上げる中、革ジャン姿で浮いている健一の前に、一頭のアザラシがペタペタと寄ってきました。
つぶらな瞳で見つめられ、思わず指先でその背中に触れます。
健一の心境
「……冷たい。けど、生きてるんだな、こいつも」
会社のデスクで数字と格闘し、冷たい電話対応に追われていた数日間。生き物の体温(というか質感)に触れた瞬間、ガチガチに固まっていた肩の力が、ふっと抜けるのを感じました。
13:00 | イルカショーと孤独な昼食
ダイナミックなイルカのジャンプに、家族連れやカップルが歓声を上げています。
健一はスタジアムの隅に座り、売店で買った焼きそばを黙々と口に運びました。
健一の心境
「あのイルカだって、毎日決まった時間にジャンプして、ミスしたら魚をもらえないんだよな……。俺と同じだよ」
仕事のミスを思い出し、胃がキリリと痛みます。しかし、目の前の水しぶきと、イルカの屈託のない鳴き声を聞いているうちに、少しずつ「まあ、死ぬわけじゃないしな」という投げやりな、それでいて前向きな気持ちが芽生えてきました。
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14:30 | 予定外の「鼻先」タッチ
なんとなく、気になってまた、「ふれあいカーニバル」に来てしまった健一。
最初は、遠巻きに眺めるだけのつもりでした。ハイライトの箱をポケットにねじ込み、「ま、動物なんてガキの見るもんだろ」と、少し斜に構えて柵に近づいたその時です。
一頭のゴマフアザラシが、濡れた体でペタペタと地面を這い、健一の磨き上げられた靴のすぐそばまでやってきました。
「おいおい、ジャパンの排気ガスみてぇな顔しやがって……」
苦笑いしながらしゃがみ込んだ瞬間、アザラシが「クゥ」と鼻を鳴らし、健一の手にひんやりとした鼻先を押し当ててきました。
「……! なんだ、お前。可愛いじゃねえか」
14:45 | リーゼントを忘れた男
気づけば、健一はもう夢中でした。
アシカが目の前で大きなヒレを振れば、「おおっ、挨拶か! 律儀だな!」と身を乗り出し、ペンギンがヨチヨチと歩けば、「おいおい、転ぶなよ。お前、仕事の時の俺みたいに危なっかしいな」と目を細めています。
特に彼を虜にしたのは、大きなセイウチでした。
その巨体に似合わない穏やかな瞳と、立派なヒゲ。健一は周りの子供たちに混じって、セイウチの分厚い皮膚にそっと触れました。
「お前、いいツラ構えしてるな……。部長の小言なんて、お前のひと吠えで吹き飛びそうだぜ」
この時、健一のリーゼントは、動物たちを覗き込むたびにあちこちの柵に当たり、すでに少し右側に傾いていましたが、今の彼にはそんなことはどうでもよくなっていました。
15:00 | ポマードと磯の香り
ふれあい広場の片隅で、健一は売店で買ったエサを手に、カリカリー(ペンギンなどのエサ)を配っていました。
集まってくる動物たちに囲まれ、「順番だぞ、焦んなって!」と、普段の厳しい商談では絶対に出さないような優しい声を出し、目尻を下げています。
ふと我に返り、周囲を見渡すと、若い母親たちから「あら、あのお兄さん、あんな格好して意外と優しいのね」という視線を感じ、急いでキリッとした表情を作りました。しかし、手元に残った最後のエサをアザラシに差し出す時の顔は、どうしてもデレデレと緩んでしまいます。
「……あいつ(別れた彼女)、こういうの好きだったよな。……いや、今はいいか」
15:15 | ゲートを去る時の「未練」
ふれあいタイムが終わり、動物たちが戻っていく姿を、健一は名残惜しそうに見送りました。
手にはかすかに磯の匂いと、動物たちの命の温もりが残っています。
彼は崩れたリーゼントを櫛でさっと撫でつけましたが、その表情からは、朝あったトゲトゲしさが消え、柔らかい「23歳の青年」の顔に戻っていました。
「また来るぜ。次は……もっといいエサ持ってきてやるからな」
15:30 海辺の遊園地にて
当時のビーチランドには、潮風に吹かれる小さな観覧車やゴーカートがありました。
健一は、一人で観覧車に乗る勇気はありませんでしたが、ゴーカートの列に並びました。
「ジャパン(スカイライン)に比べりゃ、おもちゃみたいなもんだがな」
そううそぶきながら、アクセルをベタ踏みします。コース脇に咲く花や、遠くに見える伊勢湾の水平線。エンジンの振動がダイレクトに伝わる感覚が、彼の「運転好き」な本能を呼び覚ましました。
16:30 | 海辺の喫煙所にて
ビーチランドの端、三河湾を一望できるベンチで、健一は今日最後から二番目のハイライトに火をつけました。
潮風でリーゼントが少し崩れていますが、もう気になりません。
「……明日、部長にちゃんと謝ろう」
海は広くて、青い。自分のミスも、失恋も、この大きな海に比べれば、スカイラインの排気ガスくらいちっぽけなものに思えてきました。
17:00 | 帰路、夕暮れのオレンジ
駐車場へ歩き出した。鼻腔に残る潮の香りが、いつもより少しだけ甘く感じられました。
ビーチランドの明るい活気と、生き物たちの無邪気な姿に、少しだけ「明日への活力」を分けてもらった健一。彼は再び、愛車の重厚なドアを開けました。
閉園の時間。健一は再びスカイラインの運転席に収まりました。
ダッシュボードに置かれたハイライトの箱を叩き、一本取り出します。
エンジンをかけると、L20E型エンジンが重厚な産声を上げました。
「行くか、ジャパン」
南知多の夕日がバックミラーをオレンジ色に染める中、健一はアクセルを踏み込みました。
彼のリーゼントは、朝よりも少しだけ高く決まっているように見えました。
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18:15 | 師崎漁港、潮騒のパーキング
市場の店じまいが始まる時間帯。健一は愛車を岸壁ギリギリに停めました。
並ぶ漁船のディーゼル音と、スカイラインのアイドリング音が重なります。
ダッシュボードのハイライトを手に取り、車外へ。
潮風にあおられながら火をつけ、目を細めて海を見つめます。
「仕事のミス……あんなの、この荒波に比べりゃ、ただのさざ波だろ」
自分に言い聞かせるように煙を吐き出しました。
18:30 | 地元の定食屋「大衆割烹」にて
のれんをくぐると、そこは昭和の時間が凝縮された空間でした。
壁には手書きのお品書き、テレビからはプロ野球中継(中日ドラゴンズ戦)のラジオ的な絶叫が流れています。
「ねえちゃん、一番ボリュームあるやつ、頼むわ」
健一が注文したのは、獲れたての大アサリの焼き物と、これでもかと盛られた刺身定食。
当時の師崎では、大アサリの醤油が焼ける香ばしい匂いこそが、最高のご馳走でした。
19:00 | 怒涛の「やけ食い」
運ばれてきた定食を見て、健一は息を呑みました。
プリプリの鯛、脂の乗ったハマチ、そして手のひらほどもある大アサリ。
大アサリ:熱々の殻から身を剥がし、一気に口へ。醤油の焦げた香りと濃厚な旨味が、仕事のストレスを中和していくようです。
白飯:どんぶり飯をかき込みます。「食わなきゃやってられねえ」という意地が、箸を加速させます。
刺身:一切れが分厚い。「ミスした分、明日からこの倍働いてやるよ」と、心の中で部長への宣戦布告。
最後は、サービスのあら汁をずずっと飲み干しました。
お腹が満たされると、不思議と失恋の痛みも「あいつも見る目がなかったな」と思えるほどに回復していました。
19:45 | 師崎の夜風と再出発
店を出ると、辺りはすっかり暗くなっていました。
健一はスカイラインのボンネットに腰掛け、最後の一本のハイライトに火をつけました。
遠くに見える神島の灯台が、規則正しく海を照らしています。
「……明日も日曜日で休みだ、今日はこのあたりで泊まっていこう」
リーゼントを指先でクイッと整え、彼は運転席に滑り込みました。
昭和57年の夜、スカイラインGT-EXのヘッドライトが、師崎の暗い夜道を照らします。




