ex.エピソード 3 昭和の観光地の1日のシュミレーション 岐阜県『関ヶ原メナードランド』
昭和58年(1983年)、関ヶ原ウォーランドのすぐ近くには、もうひとつの「楽園」がありました。化粧品メーカーのメナード化粧品が経営していた「関ヶ原メナードランド」です。
メナードランドはその後、時代の流れとともに閉園してしまいましたが、昭和58年のあの瞬間、そこは間違いなく「岐阜の軽井沢」を目指した、若者たちの憧れの場所でした。
ウォーランドが「静と動のカオス」なら、こちらは当時の若者にとっての「トレンディな週末」を象徴する場所でした。赤いファミリアを走らせる健二が、もし一人で(あるいはだれかと一緒に)ここを訪れたとしたら……そんな1日のシミュレーションです。
昭和58年8月:関ヶ原メナードランド、孤独と喧騒の1日
10:30:駐車場と「風のハミング」
健二はファミリアを広い駐車場に滑り込ませる。隣には、ピカピカにワックスをかけたソアラや、土足厳禁のチンチラシートを敷いたマークIIが並んでいる。
カーステレオを止めると、園内に流れる大瀧詠一の『ペパーミント・ブルー』が微かに聞こえてきた。
「今日は一人で、ゆっくりロケハンでもするか……」
大学のサークルで自主制作映画を撮っている健二は、一眼レフを肩にゲートをくぐる。入園料を払うと、メナード化粧品のサンプル(試供品)がもらえるのがこの場所の定番だ。
11:30:大観覧車からのパノラマ
一人で観覧車に乗るのは少し勇気がいるが、カメラマンを気取れば平気だ。
ゴンドラが上昇するにつれ、眼下にはメルヘンチックな西洋風の建物と、色鮮やかな遊具が広がる。
視界の先には: 遠くにウォーランドの武者たちが点のように見える。「あっちは戦国、こっちはパラダイスか」と独りごちる。
1983年の空気: まだ空気が澄んでいて、遠く琵琶湖の輝きまで見えるような気がした。
園内放送では、松田聖子や河合奈保子のヒット曲がエンドレスで流れていた。
****
12:00 関ヶ原メナードランドの噴水広場に面した「レストラン・パリス」の店内は、外の焦げ付くような暑さが嘘のように、涼やかで上品な空気に満ちていた。
健二は、一人で四人掛けのテラス席に座っていた。白いレースのテーブルクロスが、窓からの陽光を反射して眩しい。彼はここで「独りだけの贅沢」を決め込んでいた。
「お待たせいたしました。メナード・カツレツでございます」
ウェイトレスが運んできた皿には、健二の想像を超えた「ナウい」料理が乗っていた。
孤独の贅沢:メナード・フルコース
まず運ばれてきたのは、「ガーデン・サラダ」だ。
「へぇ、これがハーブってやつか……」
レタスやトマトの隙間に、当時はまだ珍しかったクレソンやバジルの葉が、誇らしげに顔を出している。一口食べると、鼻に抜ける爽やかな香りが、ウォーランド周辺の土埃っぽさを一瞬で洗い流してくれた。
メインの「メナード・カツレツ」にナイフを入れる。
サクッ、という軽い音。黄金色の衣に包まれた肉は薄く丁寧に叩き伸ばされ、その上には、じっくり煮込まれたであろう艶やかなデミグラスソースがたっぷりとかかっている。
「……旨いな。大垣の定食屋のトンカツとは、まるで別物だ」
健二は、少し慣れない手つきでフォークを使い、一口ずつ噛みしめる。一人で食べているからこそ、味のディテールが鮮明に伝わってくる。
噴水を眺めながらのデザート
食後のデザートは、この場所の代名詞とも言える「明治乳業直送・特製ソフトクリーム」だ。
冷えたガラスの器に盛られたそれは、驚くほど真っ白で涼やかで綺麗だった。
スプーンですくい、口に運ぶ。
「……濃い。けど、後味はスッと消える」
明治乳業の技術の結晶とも言える濃厚なミルクのコクが、喉を通るたびに火照った体を内側から冷やしていく。窓の外では、巨大な噴水が太陽の光を浴びて、ダイヤモンドを撒き散らしたように輝いている。
健二は、独り言のように呟いた。
「……真由美にも、これ食わせてやりたかったな」
祭りの予感
ソフトクリームの冷たさが心地よく胃に収まった頃、外の広場からド派手な電子音が聞こえ始めた。アイドルのステージが始まる合図だ。
「よし。デザートも食ったし、次はどこ行こうかな」
健二は伝票を掴むと、最後の一口の水を飲み干した。
ジャケットの内ポケットには、一眼レフが重みを増して控えている。
胃袋を満たした満足感と、これから始まる狂乱への期待。昭和58年の孤独な昼食は、これ以上ないほど充実した「作戦会議」の時間となった。
****
13:00:噴水広場と「レモンライム」の誘惑
メナードランドの中心部には、美しい噴水があった。その周りでは、当時の流行である「サーファーカット」の女の子たちが、フリル付きのブラウスを着て談笑している。
男子はパステルカラーのポロシャツを襟立てで。女子は「オリーブ」系の雑誌から抜け出してきたようなスタイルだ。
健二は売店で瓶の「メローイエロー」を買い、ベンチに腰を下ろす。
当時の光景: 近くのステージでは、デビュー間もないアイドルの地方営業が行われている。親衛隊の野太いコールが、メナードの優雅な雰囲気を少しだけかき消す。
****
関ヶ原メナードランドの噴水広場特設ステージ。
そこは、優雅なフランス風の庭園というコンセプトが、日本独自の「アイドル文化」の熱狂によって塗り替えられた、異常な熱源地となっていました。
聖なる広場の狂乱:メナードランド・アイドル歌謡ショー
13:15:親衛隊の集結
健二がステージに近づくと、そこにはすでに異様な集団が陣取っていました。
揃いの刺繍入り特攻服や、アイドルの名前がデカデカと書かれたハッピを纏った「親衛隊」の面々です。
「……なんだ、この熱気は」
健二は圧倒されながらも、一眼レフを構えます。彼らの中央には、巨大なラジカセ(ナショナルの『MAC』など)が置かれ、リハーサルの音合わせを待つ間も、統制の取れた「発声練習」が行われていました。
14:00:新人アイドルの美少女、登場
司会者の「さあ、皆さんお待ちかね! 期待の新人、森下ユミちゃんの登場です!」という絶叫と共に、フリルたっぷりの衣装を着た少女がステージに飛び出してきました。
その瞬間、メナードランドの静寂は粉砕されます。
「L・O・V・E! ユミちゃーーん!!」
「オ・レ・の・ユミちゃん! ナ・ウ・い・ぜ・ユミちゃん!!」
野太い、地鳴りのようなコール。
昭和58年、夏の盛り。関ヶ原メナードランドの噴水広場は、優雅なフランス風庭園の風情をかなぐり捨て、熱狂の渦と化していた。
特設ステージ。スモークが焚かれ、まばゆい逆光の中から「期待の新人」森下ユミが飛び出してきた。
「皆さん、こんにちはー! 森下ユミです! 今日は関ヶ原の皆さんと、熱い恋の合戦をしに来ました!」
狂乱のステージ:森下ユミの輝き
ユミちゃんは、当時のアイドル黄金比とも言える、フリルが何層にも重なった淡いピンクのミニドレスを揺らしていた。手にはマイク、そして顔には「100万ドルの営業スマイル」。
デビュー曲『渚のテレパシー』のイントロ、シンセサイザーの軽快な音がスピーカーから爆音で流れる。
「行くよっ! 1、2、サーン!」
ユミちゃんがステージを右へ左へステップを踏むたびに、彼女の放つアイドルとして眩しい光と、夏の湿った空気が混ざり合う。
健二は最初、その迫力に引いていましたが、デビュー曲のキャッチーなイントロが流れると、不思議と血が騒ぎ始めました。
その瞬間、健二の中で何かが弾けた。
14:15:健二、ハッスルする
サビに差し掛かった時、隣にいたバンダナ姿の男が、健二に予備のサイリウム(当時はまだ出始めたばかりの化学発光体)を押し付けてきました。
「おい兄ちゃん、突っ立ってないで振れ! ユミちゃんがこっち見てるぞ!」
「えっ、あ、はい!」
健二は無我夢中で、オレンジ色に光る棒を振り回しました。
カメラを首から下げたまま、全力でスクワットのように腰を落とし、周囲に合わせて「ハイ! ハイ! ハイハイハイ!」と拳を突き上げます。
当時の光景: ステージ前では、紙テープが虹のように舞い踊ります。色とりどりの紙テープがアイドルの足元を埋め尽くし、それをスタッフが必死に片付けるのも当時の風物詩。
健二の視界: レンズ越しに見たユミちゃんが、一瞬だけ健二のカメラに向かってウィンクした(ような気がした)。
「……これだ! これがライブの『ナウ』なんだ!」
****
夏の正午過ぎ。関ヶ原メナードランドの噴水広場は、逃げ場のない熱気に包まれていた。
優雅な西洋庭園を彩るはずの噴水の音は、巨大なスピーカーから流れる大音量のシンセ・ポップによって完全にかき消されている。ステージの上では、期待の新人アイドル、森下ユミが太陽の光を跳ね返すような笑顔で歌い踊っていた。
健二は、一人だった。
一眼レフのニコンFE2を首から下げ、最初は「撮影」という大義名分を盾に、群衆の端に立っていた。だが、ユミちゃんがデビュー曲のサビ前、こちらに向かって(と、健二には確信できた)ウィンクを投げかけた瞬間、彼の中の何かが「関ヶ原の合戦」さながらの雄叫びを上げて爆発した。
****
託された命、解き放たれた魂
健二は隣にいた、見ず知らずのハッピ姿の男の肩を力強く掴んだ。男が驚いて振り向くと、健二は首からニコンを外し、それを神聖な儀式のように男の両手へ差し出した。
「兄弟、俺の命を預かってくれないか。今、彼女のために俺がやらなきゃいけない事がある。……俺がやらなきゃ、誰がやるんだ!」
健二の瞳には、一切の迷いも、照れもなかった。あるのは戦士の決意だけだ。
男は一瞬、呆気に取られたように健二を見つめたが、その熱量に魂を射抜かれたように力強く頷き、カメラを胸に抱きかかえた。
「――行ってこい。お前の命の輝きを見せてみろ!」
その言葉を背に、健二は機材の重みから解放され、羽が生えたような軽さで親衛隊の壁をすり抜けた。そして最前列中央、いわゆる「ゼロ番」の聖域へと躍り出た。
「ユ・ミ・ちゃーーん!!」
狂乱の「オタ芸」:関ヶ原の乱
イントロの16ビートが刻まれる中、健二の動きは当時の応援の型を遥かに逸脱し、未知の領域へと踏み込んだ。
断絶のスクワット・ジャンプ: 両足のバネを最大限に使い、垂直に跳ね上がる。空中を歩くかのような滞空時間の長いジャンプを繰り返し、着地の瞬間にはアスファルトを砕かんばかりの勢いで深く腰を沈める。
咆哮の『ケチャ』: サビの決めどころ。健二は膝を地面に突き、上半身を仰け反らせながら、両手をステージのユミちゃんへと捧げるように激しく、それでいてしなやかに打ち振った。その指先の震えは、まるで天からの電撃を受け止めているかのようだった。
烈風の旋回: 腕を激しく左右に振り回し、空気を引き裂く。あまりのキレの鋭さに、周囲の親衛隊さえも「あいつ、取り憑かれてるぞ……!」と一歩引くほどの気迫を放つ。
滝のような汗がポロシャツを濃い青に変え、肌に張り付く。だが、健二に迷いはなかった。一眼レフで一瞬を切り取るのではない。自分自身がこの熱狂という景色の一部になり、ユミちゃんを輝かせるための「光」そのものになろうとしていた。
視線の交差と、静寂
「……すごい」
ステージ上のユミちゃんが、一瞬、驚いたように目を見開いた。そして、狂ったように踊り狂う健二と、バチリと視線がぶつかる。彼女はプロの根性を見せ、最高の笑顔で健二に向かって力強く指を差すポーズを贈った。
「ありがとうございましたー! 最後に皆さんのこと、大好きだよっ!」
ユミちゃんが投げキッスを残して舞台袖に消えた瞬間、健二は崩れ落ちるようにその場に膝をついた。心臓の鼓動が耳の奥で激しく鳴り響き、視界がチカチカと明滅する。
「……兄ちゃん、見事だったぜ。お前の命、確かに預かってたぞ」
さっきの男が、畏敬の念を込めた顔でニコンを差し出した。健二は震える手でそれを受け取ると、首から下げ直した。金属の冷たさが、現実へと引き戻してくれる。
「ありがとう、助かった……」
一眼レフのファインダー越しには決して見ることのできない、極彩色の残像が、健二の瞳の奥に焼き付いていた。
「……ふぅ。さて、メローイエローでも飲むか」
健二は、誰にも見せることのない「戦士の充足感」を胸に、静かに噴水広場を後にした。真由美には、この「命の輝き」のことは、墓場まで持っていく秘密にしようと心に決めて。
****
14:45:握手会と「メナード」の洗礼
ライブ終了後、メナード化粧品のセット(3,000円相当)を購入した人限定の握手会が始まりました。
健二は迷わず列に並びました。
「今日のために、関ヶ原の戦い並みに気合入れてきました!」
健二がそう言うと、汗だくのアイドルはニッコリ笑って、
「嬉しい! また応援してくださいね、関ヶ原の若武者さん!」
と、メナードの香水の香りと共に、手でギュッと握り返してくれました。
15:15:祭りのあと
親衛隊たちは「お疲れしたー!」と互いに挨拶を交わし、戦利品の生写真を見せ合いながら去っていきます。
健二の手元には、勢いで買った「メナード・サマースキンケアセット」と、少し曲がったサイリウム。
さっきまでの狂乱が嘘のように、噴水の音だけが優雅に響き始めました。
健二は、ウォーランドの武者像にはない「生身の熱狂」に、心地よい脱力感を感じていました。
****
孤独の贅沢: 噴水広場の片隅で、周囲のカップルを横目に、健二はノートを取り出し、次の物語のプロットを書き留める。「関ヶ原を舞台にした、タイムスリップ・ラブストーリー……ちょっとありきたりだなぁ、戦国アイドル伝説にしよう」
15:30:屋内アトラクション「マジックハウス」
少し日が傾き始め、暑さを避けるために屋内施設へ。
鏡張りの迷路や、目の錯覚を利用した不思議な部屋。昭和58年の最新技術(といっても、アナログな仕掛け)に、健二は一人でニヤリとする。
「この斜めの部屋、カメラを傾けて撮ったら面白い画が撮れるかもな」
16:00:夕暮れのメナード化粧品コーナー
出口付近にある、メナード直営のショップ。
「一人で何見てるの?」
ふと声をかけられた。振り返ると、同じサークルの真由美がいた。彼女は家族と来ていたらしい。
「あ、いや。ロケハンだよ、ロケハン」
「ふーん。ねえ、これ見て。新作の口紅、綺麗じゃない?」
1983年、メナードのキャンペーンソングは岩崎良美の『化粧なんて似合わない』。しかし、目の前の真由美は少しだけ背伸びをしたメイクをしていた。
「それにしても、健二、あんた何その格好……。その手に持ってる化粧品セット、どうしたのよ?」
真由美の冷ややかな視線に、健二は「これからの季節、肌のケアが大事だろ?」と、顔を真っ赤にして答えるのでした。
****
「ねえ、この後で大垣のハンバーガーショップ行かない?」
真由美の誘いに、健二はファミリアのキーを回します。
昭和58年(1983年)、関ヶ原メナードランドを楽しんだ健二と真由美が、大垣市内へ戻る道すがら立ち寄ろうと言ったのは、当時勢いのあったバーガーチェーン『サンテオレ』でした。
真由美の家族の生暖かい笑顔に見送られながら。
真由美の家族とは前に出会っており、健二は彼らに気に入られていて、何かと交流がある。
****
昼のうだるような夏の湿気とは違って、夕方は伊吹山からの涼しい風を感じる。
真っ赤なファミリアは関ケ原を走っていた。
「ねえ健二、三成の陣跡、あそこから見えた?」
不意に隣からかけられた声に、健二はハンドルを握る手に少し力が入った。助手席に座る真由美は、窓の外に広がる笹尾山の深い緑を眺めている。
彼女は、この時代の記号のような「聖子ちゃんカット」をしていなかった。多くの女子大生が中森明菜のような重めの形に走る中、彼女の髪は肩のあたりで柔らかく跳ねる、艶やかな黒髪のセミロングだ。ワックスで固めることもなく、関ケ原の風に吹かれるたびに、清潔な香りがふわりと車内に漂う。
まだ、昼の残る暑さのせいか、真由美が細い指先で首筋に張り付いた髪をさらりと耳にかけた。派手なマニキュアのない、丁寧に切り揃えられた爪が陽光を弾く。その何気ない仕草があまりに美しく、健二は一瞬だけ言葉を失う、まるで、真夏の一瞬が凝縮されたような印象があった。
昭和58年:黄昏のサンテオレ
関ヶ原メナードランドの後、二人は大垣市内のサンテオレに滑り込んだ。
【店内の情景】
赤いファミリアを店横の駐車場に停め、カセットのボリュームを絞る。自動ドアが開くと、冷房の効いた店内に漂うのは、香ばしい肉の匂いと、明治乳業自慢のソフトクリームの甘い香りです。
インテリア: 暖色系のライトに、プラスチック製の丸っこい椅子。壁にはアメリカ西海岸を意識したヤシの木のイラスト。
客層: 聖子ちゃんカットの女子高生グループや、話し込む若者たち。
レジカウンター: 「スマイル0円」的なマニュアル感よりも、どこか地元の喫茶店のような少しのんびりした接客。
【健二たちの注文】
「僕はサンテオレバーガーと、メローイエロー」
「私は……フィッシュバーガーと、明治の牛乳を使ったバニラシェイク!」
サンテオレバーガー: 特徴的なのは、バンズのふっくら感。マクドナルドよりも「手作り感」があり、レタスも心なしかシャキシャキしている。
バニラシェイク: 明治乳業がバックボーンにあるため、シェイクの濃厚さは他店を圧倒していました。
ポテト: 少し太めでホクホクとした食感。
****
オレンジ色のプラスチック椅子に深く腰掛け、真由美は白の透かし編みが施された、パフスリーブのサマーニット。ボトムスは、歩くたびに優雅に揺れる、淡いラベンダー色のフレアスカートだ。シンプルな装いが、彼女のスッと伸びた背筋と、健康的なスタイルの良さを際立たせている。
「もう、健二ったら! あの親衛隊の人たちと一緒にハッスルしちゃうんだもん、遠くから見てたんだから」
そう言って目を細めて笑う彼女の愛嬌はそのままだったが、その佇まいはどこか、当時のファッション誌『JJ』の表紙から抜け出してきた「お嬢様」のようだった。流行の派手なサーフスタイルに走らず、質の良い素材を選び、丁寧に切り揃えられた爪に光る透明なシャイン。その控えめな華やかさが、サンテオレのカジュアルな店内で、彼女を真珠のように浮かび上がらせていた。
真由美が目を細めて笑う。口元を隠さず、心から楽しそうに笑うその愛嬌に、健二の緊張は霧散した。
「……いや、あれは場の空気っていうかさ」
「いいよ、面白かったから。でも、これだけは言わせて」
彼女はトレイの上に置かれた、健二が購入した彼女の妹へのサンテオレ土産の「カウベル型のキーホルダー」を指差した。
振ると「チリン」と高い音が鳴る、小さなカウベル。
「これをナオに渡したら?、ウォーランドの生首より、こっちの方がずっとナオに似合うわ」
真由美はそう言って、メナードランドで自分のために買った新作の口紅の横に、妹のために選んだ、サンテオレのロゴマークである「オレンジの太陽」と「愛嬌のある雄牛」がデザインされたハンカチ、プラスチック製の下敷きを並べてた。
市役所勤めの少し頑固な父と、ラジオ好きの母、そして小学5年生の妹。彼女が家族の話をする時の口調はいつも柔らかく、その優しさが健二の胸に沁みた。
遠い夏、変わらないもの
シェイクのストローを弄びながら、真由美が不意に真剣な眼差しで外を見た。
「ねえ、この間行った、ウォーランドの三成の像を思い出したんだけど、彼、自分が負けるって分かってて、それでもあそこに陣を張った時の気持ち、どんなだったのかな……」
『JJ』や『CanCam』の最新号をチェックしていたかと思えば、突然歴史の裏側にある「人の心」に思いを馳せる。それが真由美だった。流行の洋楽を聴きながらも、夜のドライブでは「最近、お父さんが読んでた遠藤周作が面白くて」と、落ち着いた読書体験を語り出したりする。そのギャップが、彼女を単なる「綺麗な女の子」以上の、奥深い存在に見せていた。
「……三成も、負けると分かっていても守りたいものがあったんじゃないかな」
「そうね。昭和58年の私たちには、まだ分からないことかもしれないけど」
真由美はそう言って、再び愛嬌たっぷりの笑顔に戻った。
店内に流れるラッツ&スターの声が、夕暮れの始まりを告げている。真っ赤なファミリアのボンネットはまだ熱を持っていたが、走り出せばまた新しい風が吹くはずだ。
「行こうか。今度はナオちゃんを連れて、養老の滝にでも行く?」
「賛成! じゃあ、お弁当は私が作るね」
****
明治乳業グループ(当時)が展開していたサンテオレは、マクドナルドほど画一的ではなく、ドムドムよりも少し「お洒落な喫茶店」に近い雰囲気を持っていました。
「ねえ健二、この間のウォーランドの生首キーホルダー、本当にカバンに付ける気?」
真由美がシェイクを飲みながら笑う。
「当たり前だろ。これこそが『ナウい』んだよ」
健二はポテトをつまみながら、店内に流れるラッツ&スターの『め組のひと』に合わせて、指でリズムを取る。
「嘘ばっかり。さっきメナードランドで買った化粧品セットと石鹸、お母さんへのお土産でしょ?」
「……バレたか」
健二たちは最後の一本のポテトを奪い合い、トレイを片付けます。
「さて、明日は大垣駅前のレコード屋に、サザンの新曲買いに行こうぜ」
サンテオレのドアを押し開けると、外はまだ少し蒸し暑い、昭和58年の夜風が吹いていました。
サンテオレを出た後、ファミリアに寄りかかって、遠くの関ケ原の山並みを見つめる真由美。
「健二、今日はありがとね。生首キーホルダーはどうかと思うけど……でも、そういう馬鹿げたことに全力になれる健二のところ、嫌いじゃないよ」
そう言って、彼女は健二の肩を軽く小突きます。その触れられた場所が、アイドルの握手会よりもずっと熱く感じられ、健二は昭和58年の夏が、まだ終わってほしくないと強く願うのでした。
昭和58年、夏。
関ケ原の武者たちが夢の跡に立ち尽くす横を、若者たちの歓声を乗せた赤い車が、鮮やかに駆け抜けていった。
窓の外では、国道21号線を走る車のライトが列をなし始めている。
1983年の夏。あと数年もすればバブルという巨大な波がやってくることを、彼らはまだ知らない。ただ、サンテオレのオレンジ色の照明の下で、どうでもいい話をして笑っている時間が、永遠に続くような気がしていた。




