第6話 ローデリックの誘い
「おや?知り合いかい?」
お釣りを渡していたリリィに声を掛けたローデリックを見つつ、母親がリリィに問い掛ける。
(誰だろう……あっ、この前の……何の用事かな)
男の顔を見て誰だろうと思ったが、すぐに以前に信用取引を話した商人の男だと思い出す。
「うん。前に少し話した事があるの」
少し怪訝そうな顔でリリィが応えた。彼女的には大した会話をした覚えも無いので、わざわざ訪ねて来た理由がわからなかったのだ。
「失礼だけど、どちらさんだい?」
娘の表情から親しい関係ではないと判断した母親が、ローデリックに尋ねた。
「これは失礼しました。わたくしは、ランバート公爵家の陪臣で商いをさせて頂いておりますローデリック子爵と申します」
「き、貴族様……!も、申し訳ありません…貴族様とは思わず……」
リリィの母親と雑貨屋に来ていた女性は男の素性に驚いた表情を見せる。
身なりなどから相手が裕福そうなのは予想していたのだが、相手が貴族とは思っていなかったのだ。
貴族と平民には歴然とした身分の差があり、貴族が町中で平民に普通に話し掛ける事は殆ど無い。その為、裕福な平民の商人くらいに考えていたのだ。
加えて、相手の平民への言葉遣いとは思えない丁寧な挨拶にも、しどろもどろになってしまう。
(子爵……貴族が何をしてるのかしら? 私もマスターも、まだ親と暮らすのが普通の年齢だから、面倒ごとは避けたいのだけど……)
周囲が慌てる中、リリィだけが冷静に男の目的を考えていた。
「そ、それじゃ、私は買い物も済んだし帰るわね……」
トラブルに巻き込まれたくない客の女性は、そそくさとその場を後にした。
何か気に入らない事があれば、即座に処断されかねない。この国では、それ程に貴族と平民の格差があったのだ。
「この前、娘さんに商いを教えて貰ってね」
「あ、商い……ですか……」
ローデリックの言葉に母親は戸惑う。頭は多少良いようだが、所詮は自分の……平民の娘だ。貴族に商いを教えるなど、想像も出来なかった。
「娘さんはずいぶんと優秀なようですが、学校には通わせないのですか?」
リリィの母親は、質問の意味が良く分からなかった。
ロタール王国では一般的に6歳から学校に通う。
国の補助もあって6歳から10歳の間は、幼年学校に通うのが殆どだ。
だが、幼年学校以上は、貴族、商人、冒険者……など、それぞれを専門とした学校しかなく、平民であれば大半は、幼年学校のみが普通であった。
当然、リリィの母親も幼年学校だけにリリィを通わせるつもりだったので、わざわざ問われるのが不思議だったのだ。
「ま、まだこの子は5歳なので来年から幼年学校に通わせるつもりですが」
「その後は?」
ローデリックの質問にリリィの母親は、言葉を失う。
リリィの頭の良さには気が付いていたが、彼女はごく普通の平民だ。
彼女も彼女の親も、幼年学校しか出ていなかったので、娘のリリィもそうだと思い込んで居た。そして何より、幼年学校以外は、国の援助が受けられない。
(なんだか、めんどくさい流れになりそうね)
リリィはそう思いつつ、周囲から5歳児と思われている事を考えて、口を挟むのを控えていた。
ローデリックは、チラリとリリィを見る。
(ふむ……よく見るとずいぶんと整った顔立ちをしているな……)
リリィの顔立ちは、特に派手な部分は無かったが、ダメな部分も一切無く、何よりバランスが良かった。
リリィ……いやナノマシンは、容姿を決める時にマスターの生前の好みであったアジア系女性の遺伝子情報を元にしていた。
結果として見た目の派手さは無いが欠点もなく、バランスが取れた顔立ちをしているのだ。
(この子を手元に置いておけば、また新しいアイデアが得られるかも知れないし、この顔立ちなら将来は美人になりそうだな……いい嫁ぎ先もありそうだし……私の妾にするのも悪くないかも知れないな)
商人として商会を営むローデリックは貴族には珍しく周囲に丁寧な接し方をする人物であったが、その思考は貴族のそれであった。
「幼年学校が終わったら公都の学校に通わせるのはどうだろうか?」
「「えっ?」」
突然の申し出にリリィと母親の声が重なる。
(公都!そんな所に行ったらアベルに会えなくなるじゃない!)
リリィが最初に思ったのは、それであった。
「い、いえいえ、ご覧の通りのただの雑貨屋なので、公都で学校に行かせるお金なんて、とても……」
(頑張れ、お母さん!とりあえず、裕福な家にしちゃダメみたいね)
「費用であれば、援助する事も出来ますが?」
(平民に簡単にお金なんて渡すんじゃない!まともに社会に還元されるか分からないでしょ!貴族なんて特権階級なんだから、下々に施しなんてするんじゃないわよ!)
一切、表情には出さないが、突然のアベルとの生活の危機に、リリィは内心混乱していた。
「いや、その……突然、そんな事を言われましても……」
リリィの母親は既に何の話をしているのかも良く分からなくなっていた。
突然、貴族の子爵と名乗る男に話しかけられたと思ったら、自分の娘を学校に行かせる援助をすると言われたのだ。
平民の彼女にとって、貴族とは年に何回か町の領主を遠くから見掛ける位しか無かったのだ。
「いや、申し訳ない。話が突然過ぎましたね。仕事柄、年に数回はこの町を訪れますので、考えておいて下さい」
そう言い残すとローデリックは、領主の館の方に踵を返し、その後ろの男がどこか訝しんだ顔でリリィとリリィの母親を見たあと、ローデリックに続いた。
そんな二人の背をリリィは呆れた顔で見ていた。
(さて、どうするべきかしら……マスターの指示で人類への介入が制限されてるから、思考を読んだり操作したり出来ないのは、こう言う時に困るわね)
管理者の遺伝子情報を持つものを作る為に、交配を操作しようとした際に自分に掛けられた制限に気がつき、その為に予想以上に時間が掛かる羽目になった事をリリィは思い出していた。
遺伝子情報を読み取り、意図的に思考を改竄して掛け合わせる事が出来れば、もっと短い時間でマスターと同じ遺伝子情報を作り出せた筈だった。
(まぁ、親に嫌われている私が、いい教育を受けるなんて良しとする親でもないだろうし……大丈夫よね)
貴族の援助を平民が受けるというのは、どんな見返りを求められるかわかったものでは無い。
自身の親が自分の為にそんな事をするはずが無いと思ったリリィは、それ以上考えるのをやめた。
彼女は既にマスターとの再会を果たしている。親との不仲などは、彼女にとって瑣末な事でしかなかった。
寧ろ、意図がわからない申し出を断る可能性が高くなるなら、良しとすら思っていた。
(そんなことより……)
「お母さん、アベルの所に遊びに行ってもいい?」
何事も無かったように、リリィの声に現実に引き戻された母親が応えた。
「あぁ……行っといで」
突然の貴族からの申し出に困惑していた母親は、普段であれば店番を続けさせていた時間にも関わらず、承諾を返した。
これ幸いと母親が気がつく前に、リリィは店から早足で飛び出していくのであった。




