第37話 蟻との戦い(後半)
(熱い…)
下腹に焼けた石を突っ込まれたような感覚がある。
痛みは無いが焼けるような感覚が下からせり上がってくる。
下半身は熱さだけになり、他の感覚が無くなっているが、上半身は激しい悪寒に襲われていた。
(なんだ…これ…)
熱くどす黒い何かがアベルの身体に広がるのに合わせてアベルの意識が朦朧としてくる。
「あ、アベル…」
足元がふらつき明らかに動きがおかしくなったのを見てグレースが声を掛ける。
アベルは両手でタワーシールドを支えて蟻が入ってくるのを止めるのが精一杯だった。
「それ以上は無理だ。俺が代わる」
そんなアベルの様子に代わろうとする隊員。
「私が行きます」
グレースは松明を床に座る隊員に渡すと、アベルの持つタワーシールドを共に支える。
2人ともまだ大人と比べれば小さい身体付きだ。
だからこそ、大人ならひとりでギリギリの幅でも2人で並ぶ事が出来る。
隙間から入ってくる何本もの手がアベルとグレースの肩や腕に傷を作る。
「グレース……」
朦朧とする意識の中アベルはグレースを見た。
「アベル、ありがとう。もう戦える。怯えただけじゃなくて、騎士として死ぬ事が出来るわ。もう最後まで何があっても怯えたりしない」
先ほどの怯えた様子は全くなく、いつもの自信たっぷりな顔がそこにはあった。
「死なせないさ……一緒に帰るって約束したろう?」
朦朧とする意識の中、アベルは笑みを浮かべながらそう口にする。
「……そうだね。約束したものね」
扉代わりにしているタワーシールドと壁の隙間から、蟻の腕が伸びてきては、その爪で2人を傷付けている。
だが、2人はそんな事を気にした様子もなく見つめ合っていた。
(守ってやりたい……助けてやりたい……もっと力が欲しい!)
《目的更新……敵対勢力の排除を実行》
アベルの胸辺りまで来ていた熱い何かが脈打つような感覚の後、一瞬で全身に広がる。
アベルの意識は熱く黒い物に飲み込まれた。
「あ、アベル?!」
グレースは見つめていたアベルの目が自分を見ていないのに気が付いた。
いや、先程から目は合っている。
だが、その顔からふいに表情が失われたのだ。
次の瞬間、アベルの四肢が……全身の筋肉が……弾けるようにひと回り大きくなる。
視線がグレースから離れ支えるタワーシールド……いや、その裏に居る蟻に向けられる。
ドン!
アベルが地面を踏み込むとタワーシールドがその裏に居た蟻ごと前方に吹き飛んだ。
「ギギッ」
そのままアベルは入り口から一歩踏み出す。
仲間が吹き飛ばされたにも関わらず、左右から別の蟻がアベルに襲いかかる。
だが、その攻撃がアベルに届く事は無かった。
アベルが両手の手刀を左右の蟻の胸に突き立てる。
剣や槍ですら傷をつけるだけだった蟻の甲殻を易々と穿つ。
アベルの両手は赤い光に包まれていた。
そのまま、腕を振るい蟻を他の蟻に投げつける。
凄まじい速度で投げ飛ばされた蟻の身体がバラバラになりながら、周りの蟻を巻き込んで四散する。
「あ、アベル……」
その様子をグレースは見ていた。
先程までもアベルは強かった。
それは知っていた事だ。
彼と姉との試合を見た。
その後の訓練も何度か見たことがある。
彼女にとって姉は憧れの対象でありながら、超えるべき存在でもあった。
しかし、突然現れた少年は自分よりも歳下でありながら、憧れている姉と闘い……そして認められた。
その日から彼女にとって超えるべき対象は、姉から少年に変わったのだ。
だが、今目の前で戦う少年は、自分が嫉妬した存在とは別のものであった。
かつて自分が憧れた姉と同じ色の光を手に纏い敵を薙ぎ払う姿に……自分では超えられない存在だと感じたのだ。
そこからは、まさに蹂躙だった。
凄まじい速度で蟻の間を駆け抜けるアベルが、腕を振い、蹴りを放つ度に、その圏内の蟻が弾け飛ぶようにバラバラになる。
僅かな時間で周囲は蟻の死体だらけになった。
ギチギヂギチ
アベルから距離を取り蟻たちが鳴き声を上げる。
アベルの右手は下半身を失った蟻の頭を掴んでいた。
ゆっくりと蟻たちの方に右手の蟻を突き出す。
ミシミシと音を立ててアベルの指が蟻の頭に食い込む。
ギィィ
蟻の頭を握り潰すと断末魔らしき鳴き声が周囲に響き渡る。
ギィ!ギィ!ギチギチ!ギチギチ!
周りの蟻が激しく鳴き声を上げたと思ったら、逃げるようにその場から去っていった。
蟻の気配がなくなり周囲が静けさを取り戻すと…
ドサッ
と音を立てて糸が切れたようにアベルが倒れる。
「アベル!」
我に返ったグレースがアベルに駆け寄った。
「ど、どうなったんだ。教えてくれ」
目が見えず状況が分からない隊長が言った。
「ア、アベルが…あ、あり…蟻たちを退けました」
隊員が答える。
「ここから逃げれそうか?」
「わかりません……でも、周囲から蟻は居なくなりました」
「ここに居ても仕方がない。今のうちになんとか逃げるぞ」
意識を失ったアベル。
目をやられた隊長。
両手を食われた男と右脚を食われた男。
ボロボロになりながらも支え合いながら、一行は洞窟の入り口を目指す。
蟻に噛み殺された隊員は、その場に置き去りにするしか無かった。
生きている者を優先する必要があったし、目が見えない隊長や意識を失ったアベルに片脚の男と、支える者が足りないのだ。
「こっちじゃないか」
戻る途中にも幾つか広い空間に行き着き、そこには無残にも食い荒らされた死体が見つかる。
幾つもの道に分かれている為、戻るつもりが違う場所に出てしまう。
目印を付けた隊長の目が見えないのも大きい。
道を間違える度に一行を、蟻が再び現れるのではないかという不安が襲う。
彼等はここが蟻の巣の中だと確信していた。
一行の不安を他所に、蟻は姿を見せず、なんとか洞窟の入り口まで戻る事が出来た。
「ここで一休みするか……村に向かうか……」
一行の状態を聴いた隊長がどうするか悩む。
全員、疲れきっていた。
しかし、時間を置けば残してきた仲間である隊員の遺体も、蟻に食われてしまう。
「こ、こんな所で休むなんてとんでもない!」
捕まっていた男が洞窟の奥を振り返り声を上げる。
「こ、ここからなら、麓に降りる方が早い! 道案内は出来るから、さっさと逃げよう!坊主だって、まだ目を覚まさないのに、アイツらに来られたら!」
全員の視線が未だに目を覚まさないアベルに集まる。
「そうだな……山は危険だが、蟻よりはマシだな」
隊長の言葉に全員が頷くと麓の村を目指して歩き出した。
◇
なんとか麓の村に辿り着いた一行は、公都に伝令を送った。
「あ、あの……アベルと居ても良いですか」
宿屋で目の治療を終えた隊長にグレースが問いかける。
未だにアベルは目を覚ましていなかった。
隊長の視力だが、村に滞在している魔術師では応急処置が限界との事だ。
「聖女様の魔法であれば、もしかすると」
そんな言葉を残して魔術師は部屋を後にする。
祝日に教会に行けば聖女の癒しと言うのが行われている。
だが近頃はリリィが参加すると人が集まりすぎて混乱する為に、リリィが顔を出さない事も多い。
アベルから頼んでもらうのが良いんだろうけど……
そこまで考えてグレースの思考が止まってしまう。
アベルは、まだ意識不明なのだ。
姉のケイティと同じく公爵家に仕えるグレースは、公都、ひいては公爵家に利益をもたらす聖女リリィに配慮する様に言われていた。
特に普段は大人しそうな聖女の振る舞いをするが、アベルの事になると過剰な反応を示す事も聞いていた。
安全と思われた調査任務で意識不明となれば、どんな反応を示すかわからない。
それに加えて、グレース本人も……アベルとリリィが会うことに抵抗があった。
「あぁ、居てやってくれ。アイツが居なきゃ俺たちは喰われてたからな」
グレースの内心を知ってか知らずか、隊長の言葉に従い、アベルの部屋へと向かった。
「アベル……」
部屋のベッドに横たわるアベルの顔にグレースの手が触れる。
「まだ熱も下がらない」
アベルは高熱を出してうなされていた。
おでこに乗せた手拭いを取ると水桶で濡らして絞ってから戻した。
「生きて戻ってこれたよ。約束通り、なんでもさせてあげるから……目を覚ましてよ」
グレースは大粒の涙を零した。




