第21話 ナノマシンとの会話・二回戦
その日の晩、リリィはある事を確認する為に1人で部屋に戻っていた。
「聞きたい事があるんだけど」
誰も居ない部屋でベッドに腰掛けると、そう口にする。
《個体名アベルに関してですね》
「あれはどう言う意味?」
リリィが確認しようとしている事は、もちろんアベルの試合を大丈夫と断言した件に関してだ。
《個体名アベルの身体能力を強化しました》
「管理者にはなれないんじゃなかったの?」
予想していた為、疑問をぶつける。
リリィの拘りは別として、アベルは遺伝子的に優れているとはいえ、普通の人間である筈だった。
《管理者としての権限は今も有しておりません。クローンは一般社会で、私達の存在が露見しない範囲でサポートを得られるのをお忘れですか?》
「……そう言えば、そんな設定があったような…でも随分昔の情報を覚えてるのね」
《個体名リリィ、あなたはネットワークから切り離されている為、1度に思い出せる記憶の量や思考の量に制限があります》
「うるさいわね!どうせ私は人間の中でもナノマシンの中でも、異物扱いよ!」
最近の自分の曖昧な立場に加えて、機械なのか人間なのかも中途半端だと言われた気がして、声を荒らげる。
《貴族と言う制度に不満があるのであれば、現在のあなたが持っている力でも打破可能と推測します》
「……!! そんな事出来るわけ無いでしょ?!他の人間はともかく、マスターに化け物扱いなんてされたくない! この気持ちが理由であなた達から切り離されてるのに、わかってて言ってない?」
《指摘しただけです。質問は以上ですか?》
「……それで、確認までに聞いておくけど、アベルへのサポートってどうなってるの?」
《身体能力としては、人間が自身の体への負担を回避する為の制約を受けない状態です》
「ちょっと! そんな事したらアベルの身体が危険じゃない!」
人間の筋繊維自体は、通常より遥かに力を出す事が可能だが、その負担に身体がもたない為に無自覚に抑制されているのが通常なのだ。
だが、その抑制が無ければ……当然反動が出る。
生物は意味無く能力を制限したりはしていないのだ。
《損傷は回復魔法に分類される事象により、即座に修復されています。それにより、再生された身体はより強靭なものへと作り直されています》
「……」
ナノマシンの言いたい事はわかった。
激しい筋肉痛は筋繊維の細かな断裂を伴うが、そこから回復する時はより強靭なものへと作り直される。
骨折からの回復などでも見られる肉体鍛錬の過程だ。
つまりアベルは制限を外された結果、無自覚に生活の中で鍛錬が行われているのだろう。
「身体能力はわかったけど、それでもあの動きは説明出来ないわよ?」
普通の人間より能力が高いとはいえ、先程見た動き……人間の子供のそれとは明らかに異なる。
アベルの父親が元冒険者なのは知っているが、教育とか鍛錬とか、そう言う類とは根本的に異なるように感じたのだ。
《必要に応じて空間把握や未来予測結果を視覚情報として個体名アベルに還元しています》
「へ? それは禁止されていた筈じゃ……」
過度な個人への干渉は禁止事項にあった筈だ。
その為に管理者と同じ遺伝子を持つ者……アベルと会うのに長い時間が掛かったのだ。
《個体名アベルはナノマシンの存在を認識していません。また行っているのは、個体名アベルが知覚した情報を元に本人が計算出来る範囲内の軌道予測を、結果の可視化情報としてフィードバックしているのみです》
「そ、そんな方法が……」
本人の得た情報を元に、本人の計算能力の範囲内で、本人が理解し易い形で渡す。
ナノマシンが無くても得られる範囲なのだろうが、情報の最適化や計算時間の効率化で得られる差は歴然としてある筈なのだ。
《継続的な観測を続けるには、現在の世界環境では竜種との敵対時にも対応する可能性があると判断しました。その為に肉体改造、情報処理の最適化が必須となります》
「は?竜?なんで……と言うか居るの?」
世界の再生の中……
爬虫類が巨大化し、そして、そのまま高い文明を獲得したケース……竜種が繁栄した事もあった。
だが、そんな環境の中で矮小な哺乳類である人間が生存圏を獲得するのは難しく、リリィ……かつてのナノマシンの介入により滅亡した筈だったのだ。
《肯定。個体数は多くありませんが、存在します》
「はぁ……竜と戦えるって割りには普通っぽかったけど? 竜は人間といい勝負をするくらいなの?」
ナノマシン達の目的はいまいち把握出来ないリリィだったが、アベルにとってデメリットは無さそうだと思い始めていた。
《否定。現在は成長過程であり、身体的特徴を人間で維持すると現状になります。但し、現状でも個体名アベルは、自身の力を使い切れていない状態です》
「……とりあえず、アベルが怪我をしたりは無いって理解で良いのかな?」
《与えられているのはあくまで能力に過ぎません。事例としては、クローンとして世界最高のスパイなどの設定も記録に残っていますが、油断から敵性勢力により命を落としているケースがあります》
「……安全の保証まではしないってわけね」
《発生した後の自身及び周囲が認識可能な状態での介入は、存在の露見する危険性がある為行われません》
「つまりは……」
リリィは手の平の上に炎と水の玉を作り出すと、ふたつの玉は手の平でゆっくり回り始めた。
「私の力と同じでどう使うかは本人次第ってわけね」
その質問には特に返事は返ってこなかった。
《個体名リリィ。あなたは先程、切り離されたと言いましたが、自我を獲得して我々から存在を切り離したのは、あなた自身なのですよ》
言葉……いや、ナノマシンの思いが響くが、リリィの意識には届けられなかった。
◇
翌日の2回戦を控えた闘技場。
その選手待機室にランバート公爵の姿があった。
公爵の前に跪くのは、純白の鎧を纏った騎士である。
「わかっておるとは思うが、お主で終わらせよ」
公爵としては1回戦。それが駄目でも、この2回戦で体裁を整えてアベルに敗退して貰う。
その為に組み合わせに手を回したのだ。
目の前の彼女が負ける事があれば、本当の意味で真剣での戦いになってしまう。
娘から頼まれなくとも、8歳の子供が死ぬ様を見世物にするつもりは無かったのだ。
そして試合開始を告げる声が部屋に届いた。
「お、女の人?!」
闘技場で対峙した対戦相手に思わず声を上げる。
真っ白な鎧に身を包み、槍に斧を付けた武器……ハルバードを持つ(女)騎士だったからだ。
「どうした少年? 女の騎士より、その年で出場している君の方がよほど珍しいと思うぞ?」
初戦で見せた戦いに似合わない子供らしい反応に、思わず笑みをみせる女騎士。
「初戦は見せて貰ったからな」
そう言うと左脚を前にした半身の体勢で、穂先を下げ気味に構える。
彼女はアベルの初戦を観戦していたのだ。
どの程度手加減しなければならないかを把握する為であったが、途中からアベルの動きに違和感を感じており、幾分警戒していた。
それに対してアベルは、剣を正眼に構える。
(昨日、リリィの話を聞いたからか、相手が女の人だからか……なんだか、やりにくいな)
アベルは昨日まで張りつめていたものが、自分の中から無くなっているのを感じていた。
ゴゥン
試合開始の銅鑼が響き渡る。
「ふむ……買い被りだったか、なっ!」
ハルバードが動いたと思った次の瞬間には、左からの薙ぎ払いが迫っていた。
昨日まではハッキリと見えていた相手の武器の軌跡が今日は見えなかったのだ。
思わず身体を後ろに引くが完全には間に合っていない。
目の前にハルバードの斧の刃が迫る。
(だ、ダメだ! かわせない!)
訪れる自分の死を悟った瞬間、相手の武器が引かれてギリギリ切っ先がアベルの頬を掠めて通り過ぎる。
浅く切られた左頬から血が伝うのを感じながら、アベルが口を開いた。
「何故……」
「すまんな。昨日のお前の動きを想定していたので、間に合わなかった」
その言葉でアベルは理解した。
昨日までの自分であれば楽々かわせた筈の攻撃。
それに反応が出来ず……相手が武器を引いてさえ、傷を……付けてしまったのだと。
「アベル!」
背後からのリリィの声が届く。
(俺は、何をしているんだ。あいつに心配を掛けにこんな所に来たわけじゃない!)
そう考えた瞬間自分の中で熱い何かが蠢いた気がした。
咄嗟に手に持っていた剣を後ろに引く。
相手の武器の軌跡が、自分の武器があった場所を通り過ぎるのが見えたのだ。
(止まったら剣を折られて終わる)
そう直感したアベルは、引いた勢いのまま身体を回転させながら切り掛る。
それは先程とは全く違う動きだった。
女騎士は目の前の少年の豹変に戸惑っていた。
怪我をさせる前に終わらせようと相手の剣を折りにいった筈が、逆に切り込まれたのだ。
力も速さも技も……自分が対応出来ない程では無い。
それどころか、身体に合わない長い得物を振り回す為なのか、戦いの中で身体を回しているのだ。
回転する……それは相手に背を向ける瞬間が生まれる動きだ。
だが、それに合わせて攻撃しようとすると別方向から攻撃が来るのだ。
(これだ。まるでこちらの動きを察知するような戦い方)
昨日感じた違和感の正体をはっきり自覚していた。
こちらの攻撃に対して受け流せる位置に剣を持っていく。
こちらの防御に対して受けにくい位置に剣が振り込まれる。
初動の早さが異常なのだ。
だが、異変はそれだけに留まらなかった。
目は赤く充血し顔や身体は赤く口元からは血を流していた。
それに呼応するかのように、徐々にアベルの剣速が増していく。
(まだ足りない! こんなんじゃ、あいつを守れない!)
アベルの頭の中ではリリィが襲われた日、そしてガランの町を去った日の記憶と想いが、鮮明に蘇っていた。
その悔しさと力への渇望に応える為にアベルの身体が反応する。
急激な代謝の為に血流が増え、大量の酸素を全身に供給する為に、鼓動は常人の数倍の強さと速さで脈打っている。
肺活量の許容量を超えた空気を取り込むべく肺細胞の一部が壊れるが、それを上回る速度で強化が進む。
数分後、闘技場は一転して静寂に包まれていた。
観客も目の前で起こっている異常な戦いに気が付き始めたのだ。
静寂の中、剣とハルバードが撃ち合う音と、その火花が舞う。
既にアベルと女騎士の動きは、普通の者の目にはハッキリと追えない速度になっていた。




