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第13話 青年の悪巧み・リリィの不安な事

 食事のあと、部屋に戻ったリリィの為に、身体を拭くための湯を入れた桶と手拭いが用意されていた。


 この世界では水道が普及していない為、平民の場合は井戸や川で汲んだ水を使う事が多い。湯を沸かして部屋まで運んで貰えるのは、貴族の家ならではなのだろう。


 身体を拭き終えて服を着たリリィは、ベッドの端に腰掛けた。

 まだ下げられていない桶をぼんやりと見ながら、呟く。


「ここにあと10年……無理……アベルに会いたい……」


 ガランの町を離れて3日、公都に着いて初日だと言うのに、早くも帰りたくなっているリリィであった。


 食事も、用意された部屋も、平民としては考えられない贅沢なのだろうが、リリィにとっては無意味なものであった。


「でも、帰っても住むところが無いか……アベルの家に押しかけたら迷惑かけるし、駆け落ち……には若過ぎるよね。

 はぁ、もっと大人になるまで大人しくしてるんだった……でも、攫われそうになったのは、私のせいじゃないし……さっさとあの男たちを殺しておけば良かったかな」


 人目を気にしてなされるがままにしていたが、尾行に気がついた段階で対応していたら違っていただろうか?

 それとも、騒ぎになっていただろうか?


 今更考えても意味が無いのはわかっているが、どうしても考えてしまう。


 ブツブツと独り言で愚痴を吐いていると、外からメイド長と青年らしき声が聞こえてくる。


 ドア越しで、しかもかなりの小声だったが、リリィの聴覚にはハッキリと聞こえていた。


「旦那様は、あの平民の小娘を甘やかし過ぎです。家族と同じ席で食事までさせるなど……」


「父上が出掛けている間に、身の程を教えておけばいい。お前もそう思うだろう?」


「えぇ。若様のお言葉なら、あの娘も従うでしょう」


(こんな子供相手に、何をするつもりなのやら)


 声の主は確かローデリックの息子として先程会った青年と、自分に敵意を剥き出しのメイド長らしい。


 そう思っていると、扉が乱暴に開けられ、青年が入って来た。

 その後ろからメイド長も入り、扉の前に立った。


 リリィはベッドから降り、頭を下げる。

 方針も決まっていない今は、可能な限り穏便に済ませておきたかった。


「この家に置いて貰う以上、お前には立場を理解させてやる必要があるな」


「既にわかっております。ご迷惑をお掛けしないように致します」


 出来るだけ刺激をしないように答えたリリィに、青年は鼻で笑った。


「口では何とでも言える。躾は必要だろう」


「いえ、私は……」


 言い終える前に青年がリリィの腕を掴み、頬を叩いた。

 小さな身体がよろめき、掴まれた腕に引き戻される。


(……何?)


 頬に熱い痛みが残った。

 何を言っても殴るつもりだったのかと、リリィは青年を見上げる。


「なんだ、その目は。文句でもあるのか?」


「……ございません」


 面倒事を避けようと、リリィは目を伏せた。

 身体は仮初に作られたものだし、多少怪我をしても治してしまえば済む話だ。

 それよりも、初日からローデリックの息子と揉める方がまずいと思ったのである。


「若様に躾けて頂いているのですよ。お礼も言えないのですか?」


 メイド長が、当然の事のように言った。

 扉の前に立ったまま、止めようとする気配も無い。


「……ありがとうございます」


 自分でも馬鹿らしいと思いながら、リリィは言葉を返した。

 それを聞いて青年は満足そうに笑う。


「そうだ。平民はそうして頭を下げていればいい。父上に気に入られたからといって、私と同じ立場になったと思うなよ」


(誰が、そんな事を言ったのよ)


 掴まれた腕に青年の指が食い込む。

 痛みよりも、その得意げな顔に苛立ちが湧いてきた。


 家督も財産も、リリィにはどうでも良かった。

 この家に来たのも自分の意思では無い。それなのに、言い返さず頭を下げた事で、何をしても構わない相手だと思われてしまったらしい。


(大人しくしていれば、何をしてもいいと思っているの?)


 リリィは、自分の中に湧き上がる怒りに気がついた。

 殴られた頬を治すのは簡単だ。だが、治せるからといって、殴られてやる理由など無い。


 謝っても、礼を言っても、この二人はやめない。

 我慢を続ければ、明日も明後日も同じ事になるのだろう。


「次は、食事も使用人と一緒に取れ。私の前に顔を出す時は、必ず許しを得るんだ。わかったな?」


 返事をしないリリィを見て、青年が再び手を振り上げた。


「聞いているのか!」


(……調子に乗るな)


 リリィは掴まれた腕を振りほどき、ゆっくりと右の手の平を青年に突き出した。


 ◇


「水弾:アクアボール」

 リリィが呟くと、桶から水の塊が浮き上がり青年目掛けて飛ぶと、口元を覆うようにまとわりつく。


「なっ……ゴボゥ」

 水の玉は青年の口を被ったまま貼り付いて止まる。

 驚きの声を一瞬上げるが、すぐに口内に水が入り込む。


 突然呼吸を奪われた青年は、苦痛の表情を浮かべながらまとわりつく水球を取り払おうとするが、青年の指はただ水球をすり抜けるだけで一向に目的を果たせない。


「何をするのです!」

 扉の前にいたメイド長が、慌てて駆け寄ってくる。


 リリィが、そのメイド長に向かって右手を動かすと、もう一つの水の玉が飛び出し、青年と同様にメイド長の口元を覆った。


 リリィは右手を二人に向けたまま、ゆっくりと二人に歩み寄る。

 苦痛からなのか、恐怖からなのか、それとも水球の1部なのか……青年とメイド長は目や鼻から水分が流れ出ている。


「こんな使い方出来るのですよ」


 リリィが右手を上にゆっくりと上げると、それに合わせて、液体であるはずの水球が上がると、掴まれた様に二人の身体も一緒に持ち上がる。


「「んん! ゴボッ」」


「……水の中で暴れると、水を飲んじゃいますよ?」


 その雰囲気は、周りに愛嬌を振り撒く普段のリリィとは違い、人を人とも思わない冷たさがあった。


「(人間風情が)よくもやってくれたわね」

 相手を見下す言葉を吐いたつもりだったが、最初の一言だけが声にならなかった。

 口を動かそうとしても、その言葉を発する事だけが出来ない。


(……今、止めたの?)


 《禁止事項に触れる情報開示は出来ません》


(こんな時まで……)


 殴られた怒りで忘れかけていたが、自分もまた監視され、制約を受ける存在だった。

 人間を見下して好きに振る舞える訳では無い。その事を突き付けられ、リリィの頭が少し冷静になる。


 だが、目の前の二人をこのまま帰せば、懲りずに同じ事を繰り返すかも知れない。

 殺さずに、二度と余計な事をしようと思わなくなる程度には、思い知らせておく必要がある。


「ここで殺すと面倒だから……」


 二人は、勢いよく何度も頷く。


「……ふふ、死んだ方がましだと思わせてあげるわ……火球:ファイアボール」


 リリィは火の魔法で二人を傷つけ、すぐに水の魔法で治療した。

 拒む二人に構わず、同じことを何度も繰り返す。


 やがてリリィが水球を消すと、二人は床に崩れ落ちた。


 床に這いつくばる体勢の2人を見下ろすような形ですぐ側に立つリリィに気がつくと、2人は蒼白な顔の怯えた目でリリィを見上げる。


 その顔には先程までの余裕も傲慢さも消え失せ、恐怖が張り付いていた。


「ねぇ」


 リリィが一言発すると、ビクッと反応を見せる2人。

 そのままリリィは言葉を続ける。


「私は一人で生きてもおかしくない年齢になったら、勝手に出ていくわ。家督を寄越せとか財産を寄越せとか言うつもりは無いから、余計な事はしないで貰える?」


 リリィの言葉に、二人は必死に頷く。

 既に二人には、貴族の誇りは残っていなかった。

 ただ、目の前の暴力から逃れたい一心だったのだ。


「……それじゃ、出ていって貰える? もう休みたいのだけど」


 その言葉に大慌てで部屋から2人が去っていった。

 それを見届けると、リリィは扉を閉めてベッドに腰掛けた。

 頬に手を当て、残った痛みを魔法で消す。


 静かになった部屋で、ようやく息をついた。


(はぁ……こんな姿はマスターに見せられないわね)


 圧倒的な暴力で危機を打ち砕いたリリィであったが、思うのは復讐でも罪悪感でもなく、暴力的な振る舞いがバレて、アベルに嫌われ無いかどうかの心配だけであった。



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