9 仮面の少女、学園祭に迷い込む
誤字や不自然な表現などがありましたら、教えていただけると助かります。
色とりどりの旗が夕方の風に揺れ、道の両側には屋台がずらりと並んでいる。
焼き肉やスイーツの匂いと、薬草を煮込んだ魔法薬の独特な香りまで混ざり合って、空気の中を漂っていた。
魔法の風船が空にふわふわ浮かび、巨大な召喚獣のランタンが夕暮れの中で温かな光を放っていた。
「すごーい!」
「早く行こう!」
子どもたちが駆け抜けていく。
エマは思わず顔を上げ、風に翻る大きな旗に「ディヴァーン大学・創立記念祭」と書かれているのを見た。
――学園祭だ。
その言葉を見た瞬間、エマの足が止まった。
……帰ろう。
そう思った。
賑やかさなんて、彼女には縁のないものだった。
そう思ったのに、足は動かなかった。
屋台の向こうから笑い声が聞こえる。
誰かが走っていく。
風に乗って甘い匂いが流れてくる。
エマはしばらく黙って立っていた。
そして……少しだけ、少し見るだけ。
白い仮面を隠すように顔を伏せ、そのまま人混みへ紛れ込んだ。
学園祭の中は、さらに賑やかだった。
魔法料理の試食、錬金術の展示、召喚契約のシミュレーション体験……どのブースの前も人で溢れかえっていた。
「こちらどうぞー!」
「今なら無料体験できます!」
学生たちの声が飛び交う。
揃いの制服、楽しそうな笑顔で来場者に熱心に説明していた。
頭上では、ほうきに乗った学生が空を横切った。
その後ろを飛行召喚獣が追いかけていく。
「うわぁっ!?」
「速っ!?」
「頑張れ!」
至る所で笑い声が響いていた。
エマは人混みの中に立ち、ぼんやりとそれを見つめていた。
「ねえ! 錬金術科の『瞬間開花』ポーション、試してみない?」
突然、元気な声が飛んできた。
振り向く間もなく、ポニーテールの女子生徒が目の前に現れる。
そして、小さな瓶をエマの手にぐいっと押し付けた。
「え――」
断る暇もなかった。
女子生徒はそのままエマの手を引っ張って、近くの植木鉢の前まで連れていく。
「はい、一滴! いくよ!」
ぽたり、透明な液体が土に落ちる。
女子生徒は目を輝かせた。
「1――2――3!」
声が消えるやいなや、土がモコッと動いた。
小さな黄色い芽が顔を出し、ぱっと花が開いた。夕暮れの光の中で、小さな花びらがふわりと揺れる。
「わあぁぁ!」
真っ先に声を上げたのは女子生徒だった。
「成功した!」
「先輩?! なんと、今日は失敗しなかった!」
「奇跡だ!」
「おい! ひどいぞっ! それどういう意味だよ!」
「そうだね、 今日くらい褒めてあげないと! 素晴らしいね~」
皆が笑い転げた。
あっという間だった。
その女子生徒は黄色い花を摘み、そしてエマの手に押し付けた。
「はい、あげる!」
「今日が楽しい日になりますように!」
それだけ言って。
「あっ! 次のお客さん発見!」
今度は別の人の方へ走っていく。
「待ってください!逃げないでー!」
その背中は、ほんの数秒で人混みの向こうへ消えた。
静かになった。
手の中には小さな黄色い花を持て、エマは立ち尽くしていた。
名前は聞かれなかった。
仮面のことも、何も。
ただ普通に話しかけられて、普通に笑って、普通に花を渡されただけだった。
「……あ」
小さく声が漏れる。
手の中の花が少し滲んだ。
気づけば目元が熱くなっていた。
その時――
「見つけたニャーー!!」
灰青色の何かが、ものすごい勢いで飛んできた。
エマ:「?!」
「やった! 出来そうな人間だ!」
目の前にいたのは、ピンクがかった青色の短毛の猫獣少女だ。
耳には幽霊のヘアピンが留められていて、しっぽをイライラと振り回している。
「緊急事態ニャ! お化け屋敷でお化けが一人足りないの!」
少女はエマの肩をがしっと掴む。
琥珀色の目が必死だった。
「生徒会に見つかったら単位が危ないニャ! なんでみんな花火を見に行っちゃったのニャー!」
叫びながら、そのままエマの腕を引っ張る。
意外と力が強い。
「ちょ、待っ――」
「お願いニャ!」
「私、学生じゃ――」
「大丈夫!」
「いやそうじゃなく――」
「立ってるだけでいいから!」
ずるずる。
ずるずる。
「 命の恩人ニャーー!」
猫獣は振り返り、ぱちり、と琥珀色の瞳が瞬く。
揺れたしっぽの先が、エマの手の甲をふわりと掠めた。
……
断れなかった。
十分後、エマは白い布を頭から被り、お化け屋敷の隅に立っていた。
……
どうしてこうなったんだろう。
自分でもよくわからない。
やがて、お客さんが入ってくる。
五、六歳くらいの女の子が、お母さんの後ろにぴったり隠れている。怖そうなのに、でも気になるらしい。
大きな目だけがきょろきょろ動いていた。
エマは少し迷った。
それから、壁の陰からそっと顔を出す。
「……うー」
小さな声だった。
まるで全然やる気のない幽霊だった。
女の子は、「きゃっ!」と声を上げて、お母さんにぎゅっとしがみついた。
そして数秒後、「……ぷっ」笑った。
「お母さん! このお化けのお姉さん、全然怖くない! かわいい!」
ぶすっ。
ちょっとだけ傷ついた。
女の子はにこにこしながら手を振る。
「お化けのお姉さん、ばいばーい!」
暗い室内、誰にも見えない仮面の下で、口元がほんの少しだけ緩んだ。
「……ばいばーい」
ようやく代わりの人が現れた。
エマは白い布をめくり、裏口からこっそりと抜け出した。
夜風が顔に吹きつけ、海の塩の香りと遠くから漂う焼き肉の匂いを運んできた。
学園祭の賑やかな音も、少しだけ遠く聞こえる。
彼女は静かに立ち去ろうとして――
「待ってね、ニャー!」
あの猫獣が後ろから追いかけてきて、しっぽがぶんぶん揺れている。
「ありがとうね、君! すごく上手だったよ、「特にあの『うぅ〜』ってやつ!」
少女は真似する。
「うぅ〜……」
「すごく魂がこもってた! 前に見つけたあの子よりずっとマシだよ、あの子は毎回笑っちゃってたんだもん、ニャー」
エマ「……」
猫獣がたこ焼きの箱を差し出した。
「はい! 報酬だよ!」
エマは少しだけ戸惑って、それから受け取る。
その時だった。
どん。
誰かが肩にぶつかった。
「あっ、すみません!」
パチン。
仮面がずれた。
――息が止まる。
エマは反射的に仮面を押さえた。
頭が真っ白になる。
見られる。
怖がる。
あの目つきをされる。
また――
「ごめんなさいね! 待ってよ!」
通行人は慌てて謝ると、走り去った。
立ち止まらず、振り返りもせず、何もなかったかのように。
……
静かだった。
エマはゆっくり顔を上げ、猫獣の少女と目が合った。
猫獣の少女はぱちぱち瞬きをする。
エマを見る。
仮面を見る。
またエマを見る。
首を傾げた。
「……?」
ただ2秒ほど沈黙した後、突然、ポケットをごそごそし始めた。
取り出したのは、くしゃくしゃになった紙だった。
「はい! 入学案内だよ。 春に追加募集もあるニャ!」
エマは少し遅れて、その紙を見た。
「なぜ……私に?」
猫獣の少女はきょとんとした。
「ん? まあ―― なんとなくね。 だって、観光って感じじゃないし、家出した人っぽかったから?」
……エマは体をわずかに硬直させた。
少女は「あ、当たった?」みたいな顔をする。
そして困ったように笑った。
「私も昔そうだったからニャ。 家から追い出されて、拾われて、気づいたらここにいた」
あっさりした口調で、まるで誰か別人の話みたいに。
「だからまあ、居場所って、意外と後から見つかるよ」
そう言うと手を振った。
「じゃ、仕事に戻るわ!」
数歩走ってから振り返り、手を伸ばしてエマの頭を撫でた。
「その仮面、なかなかクールだね。 でもずっとつけてると息苦しくないの、ニャン?
たまには外して息しなよー」
そう言うと、彼女は耳をぴこんと動かして、今度こそ走っていく。
「さあさあ! お化け屋敷、最後のグループだよ!勇者募集中ー!ニャン——」
***
「ドーン――!」
夜空が震えた。
一瞬遅れて、大きな音が胸まで響いてくる。
花火大会が始まった。
最初の花火が空で弾ける。
金色の光が夜空いっぱいに広がり、雨みたいに降り注いだ。
「わああ!」
「すごい!」
あちこちで歓声が上がり、誰もが空を見上げていた。
その中で、エマだけがまだ手元を見ていた。
しわくちゃになった入学案内。
【ディヴァーン大学――その出自は問わない。ただ帰る場所を問う。】
エマの指先が、その一文をなぞった。
出自は問わない。
……
こんな場所も、あるんだ。
エマはパンフレットを折りたたみ、身に着けているポケットに、あの黄色い小さな花と一緒にしまった。
そして、顔を上げ、空いっぱいに花火が咲いていた。
赤、緑、金、紫の色が次々広がっては消えていく。
周囲からは感嘆の声や笑い声が絶え間なく湧き上がっていた。
誰も彼女に気づかない。
誰も彼女を見ていない。
だから、エマはゆっくり手を伸ばし、真っ白な仮面を少し上にずらした。
海風が頬を撫で、少しひんやりとしていて、心地よかった。
花火の光が真っ赤な瞳に差し込んだ。
ぱっと咲いて。
消えて。
また咲いて。
初めてのことだ。
その瞳には、もはやエミリーも、ルーカスも、隅っこに縮こまっていた自分さえも映っていない。
そこにはかすかだが、紛れもなく彼女自身の光があった。
しばらくして、彼女はそっと口を開いた。
「……ここにいたい」
遠くに校門が見えた。
大きく掲げられた歓迎の文字があった。
エマはしばらく見つめて――
ゆっくり、一歩前へ踏み出した。
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