43 ルーカスの訪問
小さな海辺の中庭には陽の光がたっぷりと降り注ぎ、初夏の温もりを帯びた海風が塀を越えて吹き込み、物干しロープに干された洗濯したばかりのシーツを揺らしていた。
エマはつま先立ちになり、最後のシャツをハンガーにかけていた。
「エマさん、焼き魚とベーコン、どちらにしますか?」
チャールズは台所の窓から上半身だけをのぞかせ、手には包丁を握ったままだった。
「ベーコン! それに玉子焼きも」
「はいはい。 飲み物は?」
「コーヒー」
「野菜ジュースですね」
チャールズはニヤリと笑った。
「分かりました」
「チャールズ!」
「だめですよ、エマさんは最近コーヒーを飲みすぎですよ」
「それなら聞かないでよ!」
エマはハンガーを手に取り、窓からチャールズの頭を軽く叩いた。
「へへ~、もっと強く叩いてもいいですよ」
「まだ笑ってるの!? バカ、痛くないの?」
「へへ~、全然大丈夫ですよ~」
庭には、軽やかで楽しい笑い声が満ちていた。
ちょうどその時――
「エマ」
庭の外から、エマには馴染みのある声が響いた。
エマの笑い声は途絶えた。
彼女は勢いよく振り返った。
低い木製の柵の向こう、庭の外には背が高く凛とした人影が立っていた。
銀白の髪は日差しの中で冷たく鋭い輝きを放ち、氷のような青い瞳が、一瞬も瞬くことなくエマを捉えていた。
かつて彼女が十年の歳月を注ぎ込んだにもかかわらず、終始冷たく距離を置いていたその顔は、彼女にとって馴染み深く、自らの手で手放したものであった。
ルーカスが来たのだ。
「ガシャン――」
ハンガーがエマの手から滑り落ち、石畳の地面に打ち付けられた。
全身の血が一瞬にして頭頂へと駆け上がり、また瞬く間に引いていき、残ったのは冷たいしびれだけだった。
指先は冷たく、膝は硬直していた。鼓動が肋骨を打ちつけ、鈍い痛みを伴っていた。
なぜルーカスがここにいるの?
何しにして来たの?
「エマさん?」
背後からチャールズの声が聞こえた。普段より少し低い声だった。
チャールズはすぐにエマの異変に気づき、一瞬で青ざめた彼女の顔色を一目で見抜いた。
エマが振り返る間もなく、彼は窓から飛び出し、エマの前の一歩先に立ちはだかった。
ふさふさとした尾が警戒して立ち上がり、琥珀色の瞳がルーカスを鋭く睨みつけ、喉からは警告を込めた低い「ウゥゥゥ」という唸り声が漏れた。
エマにはチャールズの表情は見えなかったが、彼の体のこわばりと、そこから伝わってくる守りたいという想いは感じ取れた。
「……もし戦いが起これば、僕は必ず……エマさんの前に立ちはだかり、エマさんを守るために死んでみせます!」
エマはふと、チャールズが以前言った言葉を思い出した。
誰かに守られているというこの感覚が、エマの乱れた心を少しだけ落ち着かせてくれた。
エマは深く息を吸い込み、込み上げてくる感情を必死に抑え、チャールズの尻尾の先をそっと引っ張り、リラックスするよう合図した。
「大丈夫よ、チャールズ。
あの人を知ってるわ。まずはさっき買ったエビをさばいて、エビフライにしようか? ちょっと話してすぐ戻るから」
チャールズはすぐには答えなかった。
彼は庭の外にいるルーカスを警戒してちらりと見やり、しっぽを不安そうに振っていた。
「でも……」
「いい子ね、行ってきて」
エマは試しに彼の耳を撫でてみた。
「すぐ戻るから、ね?」
チャールズは数秒ためらったが、不満そうな顔をしつつも、うなずいた。
「戻ってくるのを待ってますよ」
そう言って、何度も振り返りながら家の中へ入っていった。
エマには見えないところで、その眼差しはますます陰鬱になっていった。
見えないけどエマはチャールズが、きっと台所の窓からこちらを緊張した面持ちで見ているに違いないと分かっていた。
チャールズがこのような緊張状態を見せるのは、久しぶりのことだった。
エマは庭の門を開け、ルーカスの前に歩み寄った。
日差しは相変わらずまぶしく、海風は相変わらず温かかったが、空気はまるで固まってしまったかのようだった。
二人は無言のまま、少し先にある海辺のベンチへと歩み寄った。
海風は遠慮なくエマの髪を乱し、ルーカスの銀白の髪もなびかせていた。
エマがベンチの片端に座ると、ルーカスは数秒間沈黙した後、反対側の端に座った。
「久しぶりね、ルーカス」
エマが口を開いた。
ルーカスはエマに返事をしなかった。
彼の視線はエマを通り越し、あの小さな中庭をまっすぐに見据えていた。
台所の窓は開いており、その中にはオレンジ色の影が揺れていた。
そしてルーカスは口を開いた。
その声には、抑えきれない、エマにはお馴染みの冷たさと不快感がにじんでいた。
「……あの狐は誰だ?」




