3 十年目、全部勘違いだと知った
誤字や不自然な表現などがありましたら、教えていただけると助かります。
トーマスは険しい顔のまま、足早にその場を後にした。
召喚秘境から出た瞬間、眩しい日差しに目を細めた。
秘境の前には、見慣れたアデルハイム家の紋章の付く車が停まっていた。
窓が下りると、アデルハイム伯爵の、まるで刃物で削り出したような顔が現れた。「契約は済んだか」
トーマスの足が止まった。
彼は口を開いたが、声は出なかった。
父の眉がわずかに動いた。
「聞いている、狼獣と契約したのか?」
トーマスは唇を噛んだ。
「……いいえ」
かすれた声が落ちる。
「狼獣は二頭しかございません……一頭はエミリーが契約しました」
父は何も言わない、ただ黙って続きを待っていた。
「もう一頭は」
トーマスの喉がひどく乾く。
「……エマが契約しました」
静寂。
しばらくして、父が静かに口を開いた。
「エミリーに劣るだけではなく」
感情のない声だった。
「赤瞳の奴にも勝てないのか?」
父の視線が落ち、冷たい目だった。
トーマスの身体がびくりと震えた。俯いたまま、声を絞り出す。
「……申し訳、ありません」
「役立たずめ」
トーマスは、父の車がどんどん遠ざかっていくのを見つめながら、爪を手のひらに深く食い込ませ、痛みなんて感じなかった。
気づけば、ぽたりと赤い雫が足元へ落ちていた。
***
エマは十年もルーカスを育て続けてきた。
彼女はルーカスがより強く美しい召喚獣へと成長するのを見届けてきた。
彼女は彼の毛並みの輝きも、些細な仕草の変化も、誰より知っていた――彼が自分との間に置く距離だけを除いて。
エマはそれを彼の気質であり、彼特有の誇りの高さなのだと思っていた。
近づけば一歩下がられることにも慣れ、彼の前に食べ物を置き、優雅に食べる姿を見つめながら、一度も彼が彼女に尻尾を振る姿を見たことがないことにも慣れていた。
エマは与えることに慣れ、そしてそう言い聞かせてきた――これが彼らの関係なのだ、彼が無事で強くあればそれでいい、と。
***
夕日が木々の隙間から差し込み、芝生の上にまだらな光と影を落としていた。
高い杉の木々に囲まれた召喚獣の休憩区では、授業を終えた召喚獣たちが思い思いに身体を休めていた。
「わあ、エミリー様だ!」
ある召喚獣が小さく叫んだ。
ルーカスの耳がぴくりと動いた。
さっきまで伏せていた尻尾が、気づけば小さく左右に揺れている。
「エミリーさん、こんにちは。 お久しぶりです」
少しだけ背筋を伸ばし、いつもより行儀よく座り直している。
――エマの前では、一度も見せたことのない姿だった。
エミリーは足を止めた。
金色の髪を揺らしながら振り返り、ルーカスをちらりと見ると、礼儀正しく微笑んだ。
「あら、お姉さまのルーカスね。 今日もここで休んでいるの?」
「は、はい」
エミリーは小さく首を傾げ、一瞬彼に視線を留めた。
「あなた、本当に綺麗ね。 こんなに初雪みたいに白い毛並み、珍しいわ」
ルーカスの耳がぱっと立ち上がり、瞳が驚くほど輝いた。
「でも……」
エミリーは軽くため息をつき、残念そうな口調で言った。
「こんなに優秀な召喚獣なのに……本当に惜しいわね」
何が惜しいのか?
彼女はそれ以上は続けなかった。
ルーカスは口を開き、何か言おうとしたが、エミリーはすでに背を向けていた。
「ダニエル、行きましょう。もうすぐ日が沈むわ」
「はい、エミリー様」
灰色の狼獣は静かに返事をし、その後ろを歩いていく。最初から最後までルーカスに一度も目を向けなかった。
ルーカスはその場に立ち尽くしていた。
遠ざかっていくエミリーの背中を見つめ、尻尾はさっきまで軽く揺れていたままの弧を描いていた。
その姿が木々の向こうへ消えて、ようやく彼の尻尾がゆっくり垂れ下がった。
「エミリー様って、本当に気高くて綺麗だよね」
「ダニエルは幸せね」
「でも、召喚獣思いの主人ならエマさんも負けてないよ。 ね、ルーカス。
エマさんは本当にあなたに良くしてくれているよね」
「確かに、毎日迎えに来てくれる主人なんて、なかなかいないから」
エマは学園の採集任務をいつもより早く切り上げ、月光草の束を抱えて召喚獣の休憩所へ向かっていた。
ちょうどその時、あの召喚獣が彼女を褒めているのが聞こえてきた。
足が止まり、エマは瞬きをした。
胸の奥がふっと温かくなった。
――……え? みんな、そう思ってくれていたの?
……もしかして、ルーカスが他人の前で、私のことをそんなふうに――?
気づけば、笑顔がこぼれていた。
そのまま足取りも軽く、休憩エリアへ踏み入れる。
「ルーカス、お迎えに来たわ」
月光草を持ち上げる。
「ほら、好きでしょう? 持ってきたよ」
ルーカスは振り返り、彼女を一瞥すると、ふん、と鼻を鳴らした。
エマの笑顔が止まった。
「毎日迎えに来ないと気が済まないのか?
俺が自分で家に帰れない子どもに見えるのか?
お前の勝手な思い込みで、毎日いい主人ぶって現れるな!」
周囲の空気が少し止まる。
「おい、ルーカス、そんな言い方ないだろう――」
近くにいた召喚獣が慌てて口を開く。
「エマさんが君のために注いできた心遣い、僕たちみんな見てるよ」
「他の召喚士で、エマさんみたいにできる人がいる?……」
「だから何だ?」
ルーカスの声が鋭く落ちた。
「エマお嬢様には心から感謝しろってことか?」
ルーカスは突然笑った。
「はっはっは!ありがとよ、この10年間、ずっと俺の面倒を見てくれて
ありがとよ、俺を助けてくれて
ありがとよ」
そこで、声が突然変わった。
「エミリーさんの隣に立つチャンスを奪ってくれてな!!」
みんなが目を丸くし、誰も口を開かなかった。
ルーカスは止まらない。
「あの儀式で、お前が余計なことして俺を抱き上げなければ、
今エミリー様のそばに立って、
彼女に呼び出され、撫でられているのは、本来ならこの俺、ルーカスだったはずだ!」
白い牙が覗く。
「全部、お前のせいだ!
邪魔したんだよ、お前が!!」
エマはその場で動けなかった。
「……ルーカス?」
風が止む。木の葉のざわめきさえも消え去った。
「おい、ルーカス……言い過ぎだろ」
誰かが小さく呟いた。
ある召喚獣が申し訳なさそうにエマを一瞥した。あんなことを言う召喚獣なんて聞いたことがないよ。
「俺が言い過ぎ?
じゃあ、この魔物みたいな赤い瞳の主人を君にあげるよ。いるか?」
そう言うと、ルーカスはエマを一瞥もしなかった。
銀色の光が弾けた。
そこにいた少年の姿は消え、代わりに現れた白狼が、数回跳躍すると、森の奥深くへと姿を消した。
一度も振り返らなかった。
エマはその場に立ち尽くした。月光草の束はまだ手に握られたままで、下ろすのを忘れていた。
周囲からひそひそ声が落ちる。
「……まあ、仕方ないかも。 青い瞳のエミリー様と比べると……あの赤い瞳は……確かに、ちょっとね……」
「いや、ちょっとじゃないだろう。 人間が赤い瞳をしているのは、おかしいよ」
「ほら、君たち!」
「何を、事実だろう。 赤い瞳の読み手とかね。いつか本当に心を読まれてるかもしれないよ。 そんなの嫌よ」
「そうよ。 はっきり言おう。 あの目は本当に不気味だ! ルーカスが彼女を嫌うのも無理はないよね」
エマの指が緩んだ。
月光草の束がエマの手から滑り落ち、地面に散らばった。
それは彼女が採集任務を早く終わらせて、遠くまで走って、やっと見つけたものだった。
それはルーカスが一番好きな月光草だった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
評価や感想、ブックマークなどいただけると、とても励みになります!
明日も更新予定ですので、また読みに来ていただけると嬉しいです!




