【6章 再会】◇1
◇1
【ウラカン視点】
ガラガラ、ザーー……カーテンを開ける音とともに、差し込んできた強烈な朝日の光が、俺のまどろみを容赦なく引き裂いた。
「……ん……っ」
不意の眩しさに、俺は反射的に両手で顔を覆った。
指の隙間から漏れ出す光は、俺のアイスブルーの瞳を熱く灼き、閉じているはずの視界を真っ赤に染め上げていく。
「あ……もう、朝なのか……」
指先を通して伝わってくる、バレンシアの太陽の厳しい日差しの熱量。
ここ数日、バレンシア風土病と戦いながら意識が朦朧としていた最悪の日々には感じられなかった、力強い生命力を暴力的なまでの温かさとして素肌が感じる。
自分が生きている、生死の淵を彷徨っていたことを実感させる熱量だ。
俺は大きく深呼吸をして、肺いっぱいに朝の清涼な空気を吸い込んだ。
いつまでも顔を覆ってはいられない。
今日は、昨日よりももっと顔を上げて歩かなければ。
ゆっくりと、けれど力強く、顔を覆っていた手を下ろす。
しかし、視界が鮮明になった俺の目に飛び込んできたのは、予想外の光景だった。
「おはようございます。ウラカン様、申し訳ありません」
「ウラカン様、ボクはとんでもないことを……」
そこには、うなだれるエリーゼと、頭に痛々しい包帯を巻いたシロンの姿があった。
二人の表情には、隠しきれない焦燥と深い後悔が刻まれている。
「どうした、二人とも。なぜ、カリナがいない?」
俺が疑問を口にすると、二人とも肩をビクッとさせて震わせた。
「連れ去られました……恐らく、カリナ様のご両親に。執務室に書き置きがありました」
「ごめんなさい、ボク、行くのが遅かったんです。カリナ様が一人で屋敷を飛び出して……背後から黒い影に襲われて、ボクも殴られて気を失って……ボクのせいです」
シロンが顔を歪めて謝罪する。
エリーゼが無言で手渡してくれた封筒を受け取った。中には、見間違えるはずもないカリナの美しい銀髪が一房添えられ、赤いインクで書き殴られた乱暴な書状が収められていた。
『拝啓
ウラカン・ウィンターガルド閣下
貴殿は、当家の娘カリナ・ファリーナを無断で拉致し、側室とした疑いがあります。
貴族の慣習として、令嬢を連れ去るなど言語道断、遺憾の極みです。
娘を側室として迎え入れたいのなら、貴殿の財産の半分を当家へ譲渡されるよう希望します。
断るならば、誘拐罪ならびに「異世界の聖女」といった国家を揺るがす誇大妄想的な嘘を、国民、国家、我が一族、そして本人に無断で行ったことを糾弾し、多額の賠償金を求めて訴訟することを検討いたします。
これは交渉ではなく、取引です。
マラネロ王国 名誉男爵パガニエル・ファリーナ』
読み進めるうちに、視界の端がチリチリと灼けるような錯覚に陥った。
手にした紙が、俺の指の熱で発火するのではないかと思うほどに、全身の血が逆流し、沸騰していくのが分かった。
「……財産の、半分だと?」
低く漏れた自分の声が、地響きのように部屋の空気を震わせた。
こいつらは、あの夜のことを何も分かっていない。
王宮から着の身着のままで追い出し、雪の降る冬空の下、靴すら与えず、家族としての縁を自ら踏みにじって娘を勘当した男が、どの面を下げて「当家の令嬢」などと口にできるのだ。
カリナがどれほど傷つき、どれほど絶望の淵を歩いてきたか。
その痛みを知ろうともせず、ただ彼女を「換金可能な商品」としてしか見ていない下劣な欲望。
あいつが必死に守ろうとしていた慎ましい静寂を、この男は土足で踏み荒らし、挙げ句の果てに彼女を再び暗闇の中へと引きずり戻した。
俺の中で、何かが音を立てて決壊した。
それは、バレンシア風土病の熱ですら焼き尽くせなかった、静かで、冷徹な殺意だった。
「エリーゼ、シロン。……よく聞いてくれ」
俺はゆっくりと顔を上げた。
今、俺の心にあるのは、すべてを凍結させる絶対零度の冷え切った怒りだ。
「俺が最も嫌うのは、人を傷つけるための、醜い嘘だ。……そして、俺の大切なものに触れた者は、それが誰であろうと相応の報いを受けてもらう」
書状を握りしめた拳に力がこもり、紙は無惨な音を立ててひしゃげた。
「取引? 違うな。……これは、パガニエル・ファリーナ。貴様から仕掛けてきた俺への宣戦布告だ」
立ち上がろうとした瞬間、視界が激しく揺れた。
俺の震える肩を、シロンが懸命に押さえつけている。病み上がりの体に、激昂という猛毒はあまりに重すぎた。呼吸が荒くなり、足元がふらつくのを自覚する。
「落ち着いてください、ウラカン様! 今、無理をすればカリナ様を助けに行く前に倒れてしまいます!」
シロンの切実な声が響く。
エリーゼが冷たい水で濡らしたタオルを俺の額に当て、厳しい、けれど慈悲に満ちた瞳で俺を見据えた。
「ウラカン様。怒りはもっともですが、まずはこの書状の異常さを冷静に整理しましょう。……パガニエル男爵の主張は、法と倫理の両面において完全に破綻しています」
エリーゼは俺の拳から手紙を抜き取り、冷ややかな視線を落とした。
「誘拐、拉致と騒いでいますが、彼らは娘を裸足で雪原に放り出し、自ら保護の責任を放棄しています。さらに言えば、ウラカン様は女王陛下の『信任の指輪』という正当な手続きを経て彼女を保護しました。令嬢を無断で連れ去ったという主張は、事実の明白な歪曲です」
「……その通りだ」
俺は歯を食いしばり、呼吸を整えながら思考を回した。
「親の愛情など微塵もない。これは相手の弱みと社会的な立場を利用した、ただの恐喝だ。財産の半分という要求には、娘の安否を気遣う要素が一つも含まれていない。彼らはカリナを人間としてではなく、利益を引き出すための『所有物』として扱っている」
「ボクもそう思います!」
シロンが憤りを露わにして身を乗り出した。
「カリナ様を『偽の聖女』と暴露して訴訟するなんて脅し……そんなことをすれば、カリナ様自身が不敬罪で裁かれてしまいます。自分の娘の命を人質にして、ウラカン様からお金を脅し取ろうとしているだけです!」
「シロンの言う通りです」
エリーゼが深く頷く。
「これは交渉などではありません。一度見捨てたものが価値を持つと知るや否や、暴力的に奪い取りに来たに過ぎない。しかも、ウラカン様が病で倒れ、お屋敷の防備が手薄になったという最も卑劣なタイミングを狙って」
俺は、カリナがどれほど「偽物」である自分に怯え、罪悪感を抱えていたかを思い出した。
その繊細な心を、最も守るべきはずの肉親が、自らの欲望のために粉々に砕こうとしている。彼女の心理的な恐怖を煽り、孤立させることで支配しようとする、質の悪い搾取の常套手段だ。
「……あいつらは、カリナの心を殺しに来た」
冷たい水の感覚が、少しずつ俺の意識を冷徹な現実へと繋ぎ止める。
沸騰していた怒りは、今、氷のように冷たく鋭い刃へと変わった。
「ウラカン様」
エリーゼが、真っ直ぐに俺の目を見た。
「貴方の身体は、私が治癒魔法の限りを尽くして持たせます。限界まで痛みを抑え込みます。……ですから、あの子の心は、貴方が救ってあげてください」
「……ああ。分かっている」
俺は、額のタオルを外し、自らの足でしっかりと床を踏みしめて立ち上がった。
まだ熱は燻っているが、動けないほどではない。
「シロン、エリーゼ。……すぐに出発の準備をしてくれ」
俺はひしゃげた手紙をゴミ箱へ投げ捨てた。
窓から差し込む朝日は相変わらず眩しかったが、俺の心にはもう、一筋の迷いもなかった。
「あいつらが最も後悔する形で、カリナを奪い返す。……これは、氷の騎士としての誓いだ」
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