【5章 辺境の風土病】◇3
◇3
メイドの面接ではちょっとした騒動もあったけれど、その後は滞りなく進み、結局、候補だった四人全員の採用が決まった。
そして翌日からは、採用された四人全員のメイドたちが働き始め、お屋敷には活気が出て来た。
心地よい風が吹き抜け、生け垣にはハイビスカスをはじめとした色鮮やかな花々が咲き乱れている。
バルコニーではヘチマやヒョウタンが勢いよく蔓を伸ばして生い茂り、涼やかな日陰を作っていた。
屋敷内にはみんなで手入れをしている小さな畑もあり、そこではトマトやキュウリ、ゴーヤにスイカといった瑞々しい野菜たちが、バレンシアの太陽を浴びてすくすくと育っている。
新しく加わった彼女たちや、シロン君がいてくれるおかげで、公務に忙しいウラカン様やエリーゼの不在中も、取り残されたような寂しさを感じることはない。
(灰にまみれて掃除をしていた王宮時代とは、何もかもが違うわ。こんな素晴らしい日々が来るなんて!)
中でも、王都の事情に詳しい同い年のピニンとは、すぐに打ち解けることができた。言葉に訛りのない彼女は、難解なバレンシア方言の「通訳」としても、今のわたしには欠かせない存在だ。
彼女は地元のアプタ学園の卒業生だが、十四歳まで王都の学園に通っていた経験があり王都にも詳しいので、共通の話題が多く、とても話しやすいのだ。
他のみんなも決して悪い人たちではないけれど、バレンシア独特の方言が強すぎて、たまに何を言われているのか分からず困ってしまうことがある。ピニンは、方言も標準語も自由に使いこなせるので、心強い相談相手になってくれそうだ。
「ねえ、ピニン。みんなが言っている『はーなーもー』ってどういう意味なの?」
「ああ、それは『まったくもう』という、ちょっとした溜め息ですよ」
「じゃあ、『これ、ける』は?」
「ふふ、『これを、あげる』という意味です。怒って蹴り飛ばしているわけじゃありませんよ」
「難しいわね。……あ、『めげた』は?」
「『壊れた』という意味です。誰かが叫んでいたら、何かが壊れた合図ですから、駆け寄ってあげてくださいね」
ピニンはよく笑う子なので、話していてとても楽しい。
褐色の肌をした小柄な彼女だが、その体は驚くほど引き締まった筋肉質だ。なんでも、早朝の砂浜で、飼っている複数の大型犬と共に一時間以上も長距離走をこなすのが毎日の日課らしい。バレンシアの過酷な太陽の下で健やかに育った彼女の底知れぬ体力は、圧倒されるぐらい頼もしい。
そんな幸せな日常が、絶叫によって切り裂かれた。
「旦那様さ、ねまってる、ねまってる! おぎね!」
廊下に響いたのは、メイドのエスパダの悲鳴だった。彼女は顔を真っ青にして、ウラカン様の寝室から転がり出るように飛び出してきた。
「さささ! 聖女様だ、なじょしたべ! 旦那様さ、まどろっこい! えりゃー、こわい!」
頭が凍りつく。呪文のような言葉の羅列に、思考が追いつかない。
「エスパダ、落ち着いて。一体、どうしたの?」
震える声で問いかけるわたしの元へ、険しい表情のピニンが駆け寄る。
「エスパダ、その説明じゃなんつぁならん! 私に話してば! なんぼうゆーても、しにゃー、っていうのかい!?」
切迫した言葉を重ね、ピニンは寝室を覗き込む。そして、はっと息を呑んで振り返った。
「聖女様……これ、多分、バレンシア風土病さね。おえんが! おえんが!」
嫌なほど真っ直ぐに、その言葉が突き刺さった。「おえんが」――だめだ。
バレンシアの穏やかな空気は、一瞬にして冷酷な顔を覗かせた。
無言で寝室へ走ろうとしたわたしの体を、ピニン、エスパダ、そしてシロン君が力ずくで取り押さえる。
「カリナ様、ボクも確認しました。間違いありません、これはバレンシア風土病です!」
「いやっ! 放して! ピニン! シロン! ウラカン様ーっ!」
「落ち着いてください! ボクはこれで父も母も亡くしたんです! 近づいてはダメです! エリーゼ様が教会へ向かわれました、隔離の手配のために!」
「いやぁぁぁぁっ! 放してぇーっ!」
わたしは声の限り叫び、自分を取り押さえる腕を振り払おうと無我夢中で暴れた。その拍子に、廊下の飾り棚に置いてあった大きな花瓶に体が当たり、カシャーン! と耳を突き刺すような甲高い不快な音を立てて砕け散った。
飛び散った破片と水が床を濡らし、わたしの足元を汚していく。その異様な物音に、奥から様子を見に来た他のメイドたちも、持っていたトレイを落として皿を割ってしまった。
ガチーャン!パリン!……お屋敷中に、陶器の砕ける不吉な音が連鎖していく。
「聖女様、落ち着いてください! おえんが、本当におえんがですよ! こらえてください!こらえてください!」
ピニンが泣きそうな顔で叫びながら、呆然としている他のメイドたちに鋭い声を飛ばした。
「あんたたち、突っ立ってないで! 割れた破片を片付けなくていいから、早く外へ出なさい! 二次被害を出してる場合じゃないわ!」
わたしはその場に崩れ落ち、冷たい床に膝をついて泣きじゃくった。ウラカン様の部屋は、すぐそこなのに。あんなに近くにいるのに、誰もわたしを行かせてくれない。
(どうして……どうして、やっと幸せになれると思ったのに……!)
喉が張り裂けるほど泣き叫び、床を拳で叩くことしかできない。そんなわたしの背後で、シロン君がこれまでに聞いたこともないような野太い声で吠えた。
「全員、今すぐお屋敷から出てください! ここは隔離されます! 必要なものだけ持って、一刻も早く外へ! 急げーーーっ!」
その怒号に近い叫びが、さらに混乱を加速させる。
活気に満ちていたお屋敷は、触れることさえ許されない残酷な「檻」へと、一瞬にして姿を変えてしまったのだった。
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