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令嬢ではない侍女ですが婚約破棄相手に溺愛されました(連載版)  作者: 灰月 琥珀
【5章 辺境の風土病】

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【5章 辺境の風土病】◇2

     ◇2




 翌日、昨日の大雨が嘘のようにすっかり上がり、空はからりと晴れ渡っていた。お屋敷の窓をガラガラと開け放つと、心地よく爽やかな風が部屋の中へと滑り込んでくる。


 今日はいよいよ、ウラカン様が募った地元採用のメイドさんたちがやってくる日だ。わたしはシロン君と一緒に、彼らへの対応についてウラカン様から事前の説明を受けた。


「昨日話した通り、十時からメイド志願者がやってくる。カリナ、君はシロンと一緒に一次面接を担当してほしい」

「はい、ボク頑張ります!」

「分かりました。ウラカン様とエリーゼが、その後の最終面接ですね」

「ああ。実務能力については俺たちがチェックするが、それ以前に君やシロンと“相性が合うかどうか”が重要だ。無理に採用する必要はないからね」

「相性……カリナ様は、どんな方がいいですか?」

「そうね……攻撃的な人は苦手だわ。それから、挨拶や返事がはっきりしない人は、わたし、少し戸惑ってしまうかも」

「その通りだ。基本的な会話が成立しない者を無理に側に置くことはない。それでは、もう間もなく到着するはずだ。二人とも、面接官として頼んだよ」

「「はい!」」


 わたしたちは客間を面接会場として整え、志願者たちを待った。今回やってきた女性は四名。

 実は書類選考の段階で十倍近い応募があったのだが、四十名全員と会う時間は取れない。

 そのため、作文課題として出した「自分の夢」という項目で、特に光るものがあった四名に絞らせてもらったのだ。


 彼女たちは皆、一定の教養と文章力を備え、規定のルールを守りながらもスマートに自己アピールができていた。

 事前の書類選考を通過した彼女たちなら、きっとそれほど突飛な人は来ないはず。わたしは少し緊張しつつも、面接官らしい威厳が出るよう聖女の衣装に身を包み、龍の宝玉が埋め込まれた杖を手に取って客間へと入った。


「みなさん、おはようございます。暑い日差しの中、はるばるようこそお越しくださいました。『バレンシアに眠る青き花のために』」


 わたしが入室すると、席に座っていた四名の女性が一斉に立ち上がり、声を(そろ)えて挨拶を返してくれた。


「「「「聖女カリナ様、おはようございます。『バレンシアに眠る青き花のために』」」」」


 息の合った返礼に、思わず背筋が伸びる。これなら互いの連携も円滑に進みそうだ。


「では、みなさん、ご着席ください」


 全員の顔つきは凜々しく、やる気に満ち溢れている。過度な緊張も見られず、これなら面接も滞りなく進められそうだと安堵(あんど)した。


 ――ところが、その直後のことだ。

 バァン! と勢いよく扉が開くと、シロン君が血相を変えて部屋に飛び込んできた。


「シロン君、落ち着いて。あなたが皆さんと面接するのは、もう少し後のはずよ?」

「ち、違うんです、聖女カリナ様! 応募していない方が勝手にお屋敷に来ていて……! 今、ウラカン様もエリーゼ様も午後の面接に備えて外出されていますし、ボク、どうすればいいか分からなくて……」

「えっ? 分かったわ。あなたがここで面接を続けて。わたしが対応してくるから」

「すみません、カリナ様……」

「いいのよ、じゃあ続き、お願いね」


 わたしはシロン君に場を任せ、急ぎ足で屋敷の玄関へと向かった。胸の鼓動が早まるのを感じながら、杖を強く握りしめる。扉の外には、すでに苛立ちを隠そうともしない先客がいた。


「遅いわ! 何をさせているの! わたしはカリスト子爵家の令嬢なのよ。神学生なんかに相手をさせるなんて失礼しちゃう。今日は採用面接の日でしょう?」


 そこには、褐色の肌を露わにし、扇子を手に仁王立ちする少女がいた。クラリスと名乗るその令嬢は、募集もしていない「側付き侍女」の座を要求してきた。


「あの……恐れながら、侍女の募集はしておりません。ましてや、ウラカン様の側付きなど……」

「メイドは募集しているのでしょう? おかしいじゃない! 代筆やお話し相手をする侍女がいてもいいはずよ。わたし、側付きになってウラカン様の愛人になるんだから。側室でも構わないわ!」


 愛人、側室――その言葉を耳にした瞬間、わたしの心に冷たい隙間風が吹き抜けた。

 冷静に考えれば、彼女の主張は貴族社会においては一つの正解なのだ。ウラカン様は次期公爵令息にして辺境伯。その地位と財力があれば、側に控える女性が一人や二人いても、不自然ではない。


(ああ、そうだったわ……。わたしだけが特別だなんて、思ってはいけなかったのね……)


 昨日までの夢のような時間が、足元から崩れ去るような絶望感に襲われる。わたしのような「何もない元侍女」より、彼女のような令嬢の方が、彼の隣にふさわしいのではないか。そんな卑屈な思考が、泥のように胸を支配していく。


「だいたい、あなたは何なの? 聖女は令嬢(レディ)ではありませんわ。わたくし、教会とは何の縁もありませんの。早くウラカン様に合わせてくださる? あなたじゃ話にならないわ!」

「ウラカン様は辺境伯としてこちらに来られましたが、それはわたしの護衛騎士となるためです。わたしのために、彼は……」

「まだ口答えするの! うるさい子ですわね! おだまりなさい!」


 激情に駆られたクラリス嬢が、扇子を握った腕を振り上げた。わたしは咄嗟に、かつて受けた暴力を思い出し、身を硬直させて目を閉じた。

 ――その時だった。首にかけていた銀の懐中時計が、リリン、リリン……と澄んだ音を立て、青白い光を放ち始めたのだ。


「な、何なのそれ! わたくしに何かする気? やめて! わたしは子爵令嬢なのよ。異世界人のあなたには分からないでしょうけど、貴族令嬢に手を上げたら許されないんだから――」

「もう、そこまでだ。いい加減にしろ」


 凛とした声と共に、空からバサリとマントを広げた人影が降り立ってきた。

 驚く暇もなく、ウラカン様がクラリス嬢の右手を確かな力で掴み取った。


「えっ、ウラカン様!? 空から……?」

「君は“元”子爵家だろう。先日の教会の不正に加担したことで、君の家はお取り潰しになったはずだ」


 ウラカン様のアイスブルーの瞳が、これまでにない冷徹な光を宿して彼女を射抜く。


「元領主の元令嬢さん。君は現実を受け入れていない、ただの平民だ。……二度と、俺のカリナに手を上げようとするな」


 その一言に、クラリス嬢は愕然(がくぜん)として崩れ落ちた。支えを失った彼女は、わなわなと震えながら後ろへたじろいでいく。


「申し訳、ございませんでした……。わたくし、ただ、行き場がなくて……」


 彼女が涙ながらに謝罪し、衛兵に連れられて去っていくのを、わたしは呆然と見送った。騎士としての素早い対応に心は躍ったが、それ以上に気になることがあった。


「ウラカン様、助けてくださってありがとうございます。でも……空からどうやって降ってきたのですか?」


 ウラカン様が上空を指差すので見上げれば、青空に浮かぶ、エルグランド号とは別の、もっと小さく鋭利なフォルムをした黄金の飛空艇が見えた。


「ああ、あれは緊急連絡用の連絡艇『ルミナス号』だよ。エルグランド号は地味な商船型だけど、こいつは俺が個人で所有している最速の空を飛ぶ船なんだ。時計の信号が届いたから、空から飛ばしてきたのさ」

「空を飛ぶ船まで持っていたなんて……そんなの、地味でもなんでもありません!」


 呆れるわたしをよそに、ウラカン様は真剣な表情に戻り、わたしの両手をそっと包み込んだ。


「カリナ。さっき、側室がどうとかいう話が聞こえたが……そんな心配は無用だ。俺は絶対に側室など作らない。」

「え、ウラカン様……でも……」

「側室を持ったことで家庭が壊れ、母親が冷え切った後の寂しさを抱えた父の背中を見て育ったんだ」

「そうだったんですね……」

「ああ、俺は、あんな氷のような家庭は二度とごめんだ」


 彼はわたしの瞳をじっと見つめ、静かに、けれど強く宣言した。


「俺が選ぶのは、正室に君ただ一人だ。これは俺の魂に懸けた誓約だよ。君がそう心に決めてくれるまで、俺は待っている」


 あまりに真っ直ぐな言葉に、胸を支配していた絶望感は、いつの間にか温かな熱に溶けていた。わたしは顔を赤くしながらも、今度は逸らさずに、彼のアイスブルーの瞳を見つめ返した。


 けれど、その視線が重なり合うほどに、わたしの胸の奥はちりちりと痛み始めた。

 ウラカン様が語った言葉は、あまりに重く、尊い。側室も持たず、ただ一人の女性を愛し抜くという誓い。それは、王宮で「身代わり」として使い潰されようとしていたわたしにとって、一生をかけても返しきれないほどの巨大な贈り物だった。


(……ダメ。こんなに良くしてもらっているのに、わたし、まだ「はい」って言えない……)


 感謝の気持ちは溢れるほどにある。彼を慕う気持ちだって、嘘じゃない。

 それでも、どうしても、過去の傷が足を引っ張る。いつかこの夢から醒めて、また雪の中を裸足で歩くことになるのではないかという臆病な恐怖が、どうしても喉の奥でつかえて、言葉を塞いでしまうのだ。


 ウラカン様は、何も言わずにただ優しく微笑んでいる。その忍耐強い優しさが、今のわたしには何よりも眩しく、そして申し訳なかった。


「――っ」


 結局、わたしは真っ赤になった顔を伏せ、逃げるように彼の視線から目を逸らしてしまった。

 返事もできず、ただ(うつむ)くことしかできない。自分という存在の不甲斐(ふがい)なさと、彼への申し訳なさで胸が締め付けられ、わたしはただ、手元の杖をぎゅっと握りしめることしかできなかった。



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