【5章 辺境の風土病】◇1
◇1
――ウラカン辺境伯邸のお屋敷。
エリーゼの誕生日から三日後。
今日からこの地は雨期に入ったとのことで、外は恐ろしいほどの大雨。
地元で雇うメイドさんたちの面接日は明日なので、今はまだお屋敷の中はガランとしている。
「空で誰かがバケツをひっくり返したような大雨だわ……」
わたしが窓の外を眺めていると、激しい雨のカーテンの向こうから、こちらへ走ってくる二人の人影が見えた。
村長さんが、一人の黒髪の青年を連れて必死に走ってくる。
わたしは慌てて玄関へ向かい、大きなドアを開け放った。
「わー、雨がすごいべ! 聖女様、今日はこの子とお話があるんだべさ!」
「聖女様、すみません、僕たち雨具もってないんです!!」
「濡れましたねー!! すぐにタオルを出しますから、どうぞ中へ!」
へらりと笑う村長さんと、びしょ濡れの青年をひとまず中へ招き入れた。
わたしは彼らに予備のタオルを渡すと、二人を客間へ案内し、急いで執務室へ向かった。
「ウラカン様! エリーゼ! 村長さんがいらっしゃいました。大事なお話があるみたいです」
執務室のドアを叩くと、書類を整理していたウラカン様が顔を上げた。
「おや、この雨の中を村長が? ああ、例の子だね」
「シロン……ふふ、あの子、また村長さんに振り回されて無理やり走らされたのですね」
ウラカン様と作業をしていたエリーゼも羽ペンを置き、くすりと笑いながら立ち上がります。
「お待たせしては失礼だ。カリナ、先に客間でアイスティーの準備をしておいてくれるかい? 俺たちもすぐに行くよ」
「わかりました!」
わたしはパタパタとキッチンへ走り、飲み物とお菓子を用意して客間へと戻った。
テーブルの上には、冷えたフルーツジュースと、バレンシア特産の果実をたっぷり使った焼き菓子、そして香りのいいアイスティーを並べた。
それから、雨で濡れた二人の体が冷えているかもしれないと思い、念のため、湯気の立つ温かいホットティーも用意した。
連れられてきた青年は、緑色の瞳に褐色の肌をした細身の若い青年。
彼はまだ緊張した面持ちで、差し出されたホットティーを震える手で受け取る。
(ああ、外の豪雨で体が冷え切っていたのね、可哀想に)
そこへ、準備を整えたウラカン様とエリーゼが部屋に入ってきた。
「待たせたね。……おや、シロン。そんなに縮こまっていないで、まずはそのお茶で体を温めるといい」
ウラカン様が優しく声をかけると、青年――シロン君は、少しだけ安心したようにホットティーを一口、啜った。
「さあさあ、今日は、お蔵入りしそうだった大事な話をするべさ。まずは一杯いただくべ」
村長さんがへらりと笑いながら、自分の前にあるアイスティーに手を伸ばした。
窓の外では激しい雨音が続いているが、温かいお茶の香りが客間の空気を少しずつ解きほぐしていく気がする。
「教会としても、バレンシア風土病は大きな問題です。アプタ教会の聖堂が巨大なのも、大勢の病人を収容する施設が必要だった時代が定期的にあったからです」
エリーゼがそう言って、お菓子を一つ口に運び、真剣な表情で頷いた。
「ところで聖女様、バレンシアのお天道様はたまらなく暑いさ? もう慣れたべ?」
村長さんがアイスティーをごくごくと飲み干し、おかわりを注ぎながら聞いてきた。
「いえ、なかなか……。日差しが強い日は、半日外を出歩くだけで体力がなくなってしまいます」
「帽子や長袖は当然として、カリナはとくに色白だからな。日傘を忘れたら本当に命に関わる。俺も目が離せない」
ウラカン様はフルーツジュースを飲みながら、心配そうにわたしを見つめた。
「それでよ、前からウラカン様に相談してた話なんだが、お屋敷で迎えてもらいたい地元の子を紹介するべさ。この子、シロンって言うんだべ! へへっ、よろしく頼むべ」
村長さんの紹介に、エリーゼも居住まいを正してお菓子を飲み込む。
「カリナ様、ウラカン様、私からも教会を代表して推薦します。彼は信用できるアプタ教会の修道士で、神学生のシロン君です。さあ、シロン、カリナ様にご挨拶を」
緊張した面持ちで少年が立ち上がった。
「初めまして、聖女カリナ様。ボクはアプタ教会の修道士シロンです。神学生で十六歳です。宜しくお願いします!」
シロン君が初々しい挨拶を終えると、ウラカン様が優しく微笑んで「まあ、寛いで飲みながら話そう」と着席を勧めた。
「よく来た、シロン。そうだ、カリナ。村長とシロンには本当の事は話してある。無理して異世界人のフリをしなくても大丈夫だ。二人は秘密を必ず守る」
「そうなんですね。シロン君、よろしくお願いします」
わたしが挨拶すると、シロン君は恐縮したように冷たいジュースを一口飲み、少しだけ肩の力を抜いてくれた。
「彼は地元の子だべから、暑い日差しにも慣れてるさ。体力もあるし山登りが趣味で、教会の壁画を描いてるさ。えらく絵がめちゃくちゃ上手いんだべさ!」
村長さんが自分の事のように自慢げに熱弁し、お菓子を頬張った。
「まあ、そうなの。シロン君、すごいわね」
「おまけに彼は古代語も、エリーゼほどではないが読み書きができる。発音はまだまだ練習が必要だがな」
ウラカン様がそう言うと、シロン君は照れくさそうにグラスを置き、背筋を伸ばしました。
「はい、これぐらいなら、何とか……『バレンシアに眠る青き花のために』」
「まあ、発音がすごく綺麗ね! ……ウラカン様、シロン君にちょっと厳しすぎませんか?」
わたしが驚いて声を上げると、エリーゼがアイスティーを飲みながら補足してくれた。
「ウラカン様は私の顔を立ててくださいましたが、正直、読み書きも発音もシロンのほうが私より上達速度が速いぐらいですよ」
「シスター・エリーゼ、そんなご謙遜を……ボクは、まだまだです……」
シロン君は謙遜するエリーゼに、慌ててお菓子を差し出した。
そんな様子を見て、へらりと笑いつつ村長さんが再び話を戻した。
「ガハハ! それで、話を戻すが、風土病に関しては地元の古文書に治療法の記録もあるんだべ。何せ古代語だべから、今まで細々とやってたんだわ」
「そうです、ボクと村長さんだけで、やっていました」
「だからよ、エリーゼ様と聖女様、それにウラカン様にも助けていただけると助かるべさ」
(なるほど……村長さんが豪雨の中でも無理に来訪して話を進めたがる訳ね。これは確かに重要な話だわ)
「任せてくれ。そのために、私は辺境伯として来た」
「わたしも喜んで、お手伝いします。ねえ、シロン君、今までの資料を見たいわ」
わたしの言葉に、シロン君の緑色の瞳が輝いた。
「では雨が止み次第、ボクが今まで集めてきた地元の古文書の資料を、このお屋敷に運んできてもいいでしょうか? カリナ様、ウラカン様」
「ああ、構わないよ。明日は、地元民の方をメイドとして雇用面接する。採用が決まったら、彼女たちにも手伝ってもらいなさい」
ウラカン様がシロン君の皿にお菓子を多めに取ってあげると、彼は嬉しそうに元気よく「はい!ボク、頑張ります!」と返事をした。
「良かったよー。これで、治癒魔法もほとんど効かない風土病の治療法が分かると嬉しいべなぁ。ガハハ!」
村長さんの豪快な笑い声が客間に響き、冷たいアイスティーの氷がカランと涼しげな音を立てた。
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