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令嬢ではない侍女ですが婚約破棄相手に溺愛されました(連載版)  作者: 灰月 琥珀
【4章 辺境の日々】

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【4章 辺境の日々】◇5

    ◇5



 案内された広々とした食堂には、思わず感嘆の声を上げてしまうほどの豪華な料理が並べられていた。


「さあさあ聖女様、それに騎士様も! バレンシア自慢の味を、腹いっぱい堪能してけろ。まずはこの近海で揚がったばかりの、マグロとカジキの『サシミ』だべさ! 鮮度は保証するべ、ガハハ!」


 太鼓腹をさすってへらりと笑う村長が誇らしげに差し出した大皿には、脂の乗った赤身と透き通るような白身が、美しく輝き、規則正しく並べられていた。


「サシミ……? 村長さん、これは何ですか? 火が通っていないようですが……」


 王宮の厨房(ちゅうぼう)でさえ、魚は香草焼きかポワレにするのが常識だった。わたしは見たこともない調理法に、つい素の困惑を漏らしてしまった。


「おやおや、聖女様。これは昔この地を訪れたっていう、異世界の民が伝えた伝統の『切り身』料理だべさ! 聖女様の世界にもあったって聞いてるさ……どうだべ、懐かしい味がするんでねぇべか? ガハハ!」

「えっ、あ、ええと……」


(どうしよう、わたしのいた異世界『実家や王宮』には、こんな贅沢(ぜいたく)な生魚料理なんてなかったわ……!)


 冷や汗をかきながら杖を握りしめるわたしに、隣のウラカン様がそっと耳元で囁いた。


「大丈夫だよ、カリナ。これは最高に新鮮な魚を、最も贅沢(ぜいたく)に味わうための『切り身』なんだ。毒もないし、この冷たさが火照った体に心地いいはずだよ」


 彼はわたしの緊張を解くように、悪戯っぽく笑いながら、先に一切れのマグロを口に運んだ。


「ふむ、やはり見事だ。この『サシミ』……かつて異世界の民が、バレンシアの海に感謝を込めて伝えた技法だね。鮮度を保つための氷の魔法と、魚の神経を抜く独自の技術。バレンシア近海という寒流と暖流がぶつかる交差点だからこそ可能な、究極の美食だ」

「いやぁ、さすがは氷の騎士様だべ、よう知っておられる! お見通しだなんて、恐れ入ったべさ、ガハハ!」


 村長が膝を打つ。ウラカン様は、今度は香ばしく焼き上げられた肉の皿を指し示した。


「サシミだけではない。このバレンシア地元産の島豚(しまぶた)と黒毛和牛のローストも素晴らしい」


 ウラカン様は島豚をパクりと口にし、満足げに目を細めた。


「この豚肉も、バレンシア特有のサトウキビの搾りかすを餌に混ぜているはずだ。それによって脂身に特有の甘みが生まれ、口に入れた瞬間に溶けるような食感になる」


 淀みなく紡がれる彼の解説に、わたしと村長は驚きで目を見開いた。


「ウラカン様、すごい……。食べただけでそこまで分かるんですか!?」

「いやぁ、お見事じゃけ……! 騎士様、一口食っただけでそれを見抜いちまうとは……恐れ入ったべさ、ガハハ!」


(花びらが鼻に乗っているのに立派に語る姿がちょっと可愛いいわ)


 彼は満足げな含み笑いを浮かべ、花びらを鼻に乗せたまま、鮮やかな野菜の皿を見渡してさらに話を続ける。


「色ツヤでわかる。この夏野菜こそが、バレンシアの土地が持つ真の『力』だ。これだけのポテンシャルがあれば、王都の食卓を席巻する日も遠くないぞ……」


 ウラカン様は、鼻に乗った花びらさえも知的なアクセサリーに見えてしまうほどの凛々しさで、さらりとそう締めくくった。


(……すごい。ウラカン様、本当に何でも知っているのね。ただの贅沢(ぜいたく)者じゃなくて、世界を自分の目で見て、価値を正しく理解しているんだわ)


 知識をひけらかす嫌味さは微塵(みじん)もなく、ただ目の前の食材の価値を正当に評価し、その未来までを見据えている。その深い知性と鋭い審美眼に、わたしは食事の手を止めて、思わず見惚れてしまった。


「……カリナ? 私の顔に何か付いているかい? それとも、やはりこの花が気になるかな」


 わたしの熱烈な視線に気づいたウラカン様が、少し照れたように、けれど優しく微笑みかけてくる。彼は鼻を動かして花びらを落とそうとしたが、やはり上手くいかずに苦笑した。


「あ……いえ! あまりに詳しかったので、つい。……ふふっ、お鼻の花びらは、そのままの方がバレンシアらしくて素敵だと思いますわ、ウラカン様」


 わたしが少し悪戯っぽく返すと、彼は観念したように笑い、改めてわたしのグラスに冷えた夏野菜のジュースを注いでくれた。

 それを見た村の人たちも「俺たちも負けてられんべさ! 気合入れていくべ!」とばかりに、笑顔で騒ぎながら一斉にジュースや地酒を注ぎ合い始めた。食堂の空気は一気に熱を帯び、幸せな活気に包まれる。


「光栄だね。さあ、冷めないうちに食べよう。これだけの栄養を()れば、午後からの相談も(はかど)るはずだ。――カリナ、音頭を君が頼むよ」

「え、ええ? じゃあ、えーと……バレンシアの地に乾杯!」

「「「バレンシアの地に乾杯!」」」


 村人たちが一斉にグラスを掲げ、村長が地響きのような豪快な笑い声を上げる。


「聖女カリナ様、このバレンシアを俺たちの手で、もっと良くしていこう」


 ウラカン様が真っ直ぐにわたしを見つめ、静かに、けれど力強く告げた。

 わたしは大きく頷き、バレンシアの太陽が育んだ生命力溢れる料理を、一口ずつ大切に口へと運んだ。


(もー、すっごく美味しい!! 熱い日差しで火照った体に、この力強い素材の味はたまらないわ!!)


 あまりの美味しさに、わたしは言葉を忘れて目を見開いた。驚きと感動で(ほお)を膨らませ、リスのように夢中で頬張(ほおば)るわたしの様子を見て、隣のウラカン様がとうとう堪えきれなくなったように吹き出した。


「ははは! カリナ、そんなに驚くほどかい? 君は本当に、美味しいものを食べる時は分かりやすい顔をするね」


 彼は椅子を鳴らしてのけぞり、お腹を抱えて笑い転げた。鼻に乗ったままの花びらが、彼の激しい笑いに合わせてひらひらと揺れている。

 王宮や運河で見せていたあの冷徹な「氷の騎士」の面影はどこにもなく、そこにはただ、心から楽しそうに笑う一人の青年の姿があった。


「おーおー、騎士様がそんなに笑うなんて、今日はお天道様もびっくりだべさ! 鼻に花びら乗っけて、まるでタヌキに化かされたみたいさ、ガハハ!」


 村長がそう言って、大きな手で自分の膝を叩きながらへらりと笑う。

 つられて村人たちも笑い出し、食堂は幸せな熱気に満たされていく。


(うん、わたし、この人と一緒なら、どんな困難だって切り拓いていける――)


そんな根拠のない、けれど確かな自信が、バレンシアの太陽のような熱を持って、わたしの胸の奥で静かに、そして力強く燃え上がっていた。




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