【4章 辺境の日々】◇2
◇2
完成間近の屋敷を後にすると、門を出てすぐの場所に、塗料が塗りたての「辺境伯邸前」という文字が躍る立て看板が立っていた。乗合馬車の停留所らしい。
「えっ、もう馬車の停留所までできているの?」
「新しい領主様が住まわれる屋敷ですからね。道が整備され、停留所ができるのは、この国では当然の優先事項ですよ」
感心するわたしに、エリーゼは当然だと言わんばかりに頷いた。
「次の馬車の時刻は……」
わたしは、ウラカン様に先日プレゼントしていただいた、青い宝石の埋め込まれた銀の懐中時計をそっと取り出した。蓋を開けて時刻を確認する。……次は五分後だ。
「ああ。ウラカン様からのプレゼントですか、それ」
エリーゼが横から覗き込んできた。無表情を装っているけれど、その瞳には隠しきれない興味の色が滲んでいる。
「世界で一つだけなんだって! ほら、エリーゼも見てみる?」
わたしが誇らしげに手渡すと、エリーゼはそれを恭しく受け取った。けれど、掌に乗せた瞬間、彼女の眉がピクリと跳ね、はっとしたように目を見開いた。
「……カリナ様。この懐中時計、私のような外部の者はもちろん、誰であっても決して手放してはなりませんよ。はい、すぐにお返しします」
エリーゼが慌てた様子で返してきたので、わたしはきょとんとしてしまった。
「え、どうして? 重たかった?」
「重さの問題ではありません。これには極めて高度な『本人限定の護身魔法』がかかっています。きっと、カリナ様を守るためにウラカン様が特注で魔道具師に依頼したのでしょう。持ち主から一定距離を離れると、拉致されたと判断して緊急信号を発信しかねません」
「ええっ!? も、もし誤作動したらどうなるの?」
驚きのあまり手が滑り、時計が地面に落ちそうになる。それをエリーゼが落雷のような速さで受け止め、わたしの手にぎゅっと握らせた。
「間違いなく、氷の騎士様が血相を変えて飛んでくるでしょうね。場所を知らせる強力な探知魔法が発動するはずです。……恐らくですが、私たちが乗ってきた船――エルグランド号よりも、この時計一つの方が高価ですよ」
(ウラカン様、わたしのために、そこまで……)
わたしは言葉を失い、銀の時計を胸元でぎゅっと握りしめた。冷たいはずの銀が、今は彼の体温のように熱を帯びている気がした。
「シスターである私には専門外なので断言はできませんが、相当に強い魔力を感じます。カリナ様、大切に使ってあげてくださいね」
エリーゼが、年上の姉のように優しく微笑んだ。その温かな視線に、わたしの目頭がじわりと熱くなる。王宮で孤独だったわたしを、こんなにも想ってくれる人がいることが、ただただ嬉しかった。
……パカポコ、パカポコ。
心地よい蹄の音が近づいてきて、一台の乗合馬車が停留所に滑り込んできた。
「えー、辺境伯邸前ー、辺境伯邸前ー。ご乗車のお客様はおられませんかー」
御者が仕事に慣れた口調で私達に笑顔で呼びかけてくれる。
「さあ、乗りましょう。お昼までにはアプタ村に着きますよ。村長がいる『公会堂』は、アプタ教会に併設されているんです」
「人口四万人なら、きっと教会も大きそうね」
「ええ、王国内で三番目に大きい立派な教会です。私はシスターとしての用事もあるので、丁度いいですわ」
わたしたちが馬車に乗り込むと、御者が「ではー、出発しますー!」と声を上げ、馬車がゆっくりと走り出した。
エリーゼはわたしの向かい側に座ると、「失礼」と言って身を乗り出した。彼女が窓枠に手をかけ、ガラリと勢いよく窓を開け放つ。
その瞬間、窓からバレンシア海を渡ってきた優雅な潮風が、一気に車内へと吹き込んできた。
「エリーゼ、教会で何をするの?」
「上級シスターとして、聖女様の歓迎会の手配……おっと、これは職務上の秘密でした」
エリーゼが悪戯っぽく口元を指で隠す。
「あ……ごめんなさい、聞かなかったことにするわ」
「ふふ、大丈夫です。物騒な話ではありませんから」
開放的な風に包まれながら、わたしたちは会話を続けた。
「そうね、さっきのことは、わたし、何も聞こえていないわ!」
「ええ、聖女様は是非そのままで」
パカポコ、パカポコ……馬車の揺れが心地よく、開け放たれた窓から吹き込む潮風が頬を撫でる。沿道に咲き乱れるハイビスカスの赤い花をはじめとした色鮮やか植物たちがとても綺麗だ。
「わたし、いいのかな、異世界の聖女様で」
「誰が見たって、その杖もっていたら異世界の聖女様ですよ」
顔を見合わせて、わたしたちは同時に吹き出した。
「いやー、聖女様たち、ほんと楽しそうですね!」
御者の楽しげな声と共に、晴れやかな笑い声が、青い空へと溶けていった。
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