【3章 旅立ち】◇6
◇6
しばらくして、飛龍がゆっくりと高度を下げ、ようやく辿り着いた「辺境伯の屋敷」は、深い闇夜のなかに静かに佇んでいた。
そこは、エリーゼの説明にあった通り、白亜の石造りではあるものの、正方形をしたシンプルで小ぢんまりとした建物だった。
突貫工事で建てられたばかりのその姿は、これまで見てきたウィンターガルドの豪邸に比べれば、あまりにも質素で、けれどどこか愛らしい安心感に満ちている。
その小ささが今のわたしにはぴったりな気がしてホッとした。
屋敷の周囲には建設作業の方たちが使っている大きなテントがいくつかあり、そこからは一日の労働を終えた男たちの力強いいびきが聞こえてきた。
「……内装工事が終わらないかも知れないと言っていたからね。念のため、ちょっと中を見てくるよ」
ウラカン様がそう言って、明かりを手に屋敷の中へ入っていった。けれど、すぐに苦笑いを浮かべながら戻ってくる。
「……明日には完成するよ。ちょっとだけ塗料の匂いがするから、今夜は中で眠るのは難しそうだ」
「ええ!? じゃあ、わたしたち、どこで寝れば……」
「大丈夫、テントぐらい持ってきてるよ。それに、たまにはこういうのも悪くないだろう?」
ウラカン様は事もなげに言うけれど、わたしは目を丸くする。すると隣でエリーゼが、慣れた様子で荷解きを始めた。
「そうですね。教会での巡礼のために野外テントで過ごすことには私も慣れていますが……カリナ様は大丈夫ですか?」
「王宮を追放されたとき、お金がなくて実家まで三日間、野宿しながら帰ったぐらいですから。野外テントに泊まるのは初めてですが……なんだか、興味があります!」
わたしの答えに、ウラカン様は「よし」と頷いた。
そこからは、驚くほど手際の良い作業が始まった。ウラカン様が手際よく支柱を立ててテントを張り、エリーゼが迷いのない動きでそれを手伝う。わたしも二人の邪魔にならないよう、裾を捲り上げるなど、自分なりに頑張ってお手伝いをした。
「それにしても……野宿とは、苦労をされたのですね。聖女カリナ様」
ウラカン様は焚き火を熾しながら、すっかり「聖女の護衛騎士」になりきった口調で話しかけてくる。
「ええ、そうですね。異世界での野宿の三日間は……とても、大変でしたわ」
わたしも、彼が用意してくれた設定に合わせて、少しだけ背筋を伸ばして答えた。
「テントと焚き火があれば、野犬も近づいてはきませんから。ご安心を」
「屋敷の近辺は結界を張った堀の中だからね。そもそも庭で寝転がっていても、魔獣の類でも襲ってこないよ」
エリーゼの頼もしい言葉に続いて、ウラカン様がさらりと口にした「魔獣」という単語に、わたしは思わずゴクリと生唾を飲み込んだ。
「えっ! ま、魔獣……? 王都では見たことがありません!」
「バレンシアでは夜になると奴らがうろうろしているから、絶対に一人で出歩いたらだめだよ。もし出かけることがあるなら、必ず俺と一緒にね」
「わたしでも、低位の個体なら浄化魔法で払いのけられますが、バレンシアにはどんな個体がいるか分かりませんからね」
「ど、どうしましょう……。わたし、怖いです……」
震えるわたしの肩に、ウラカン様が優しく手を置いた。
「大丈夫。屋敷の中には奴らは来ないし、例外なく全てが夜行性だ。昼間はどこかで寝ているから、こちらから起こさない限りは大丈夫だよ」
「村の方たちは、精霊や異形の獣とも共生する知恵をもって暮らしています。魔獣に関しては人をよりも農作物を荒らすことのほうが問題ですが、鈴をつけていれば普段は逃げていきます」
「え、わたし、名前からして、もっと手に負えない凶暴なものだと思いました」
「飛龍のように大人しい種類も多いです。本能で生きている動物ですから自分から進んで危険なことをはしませんよ」
「あ、だから夜に飛んだんですね。そうか、飛龍もなんですね」
「何をするか分からないから手に負えない凶暴なもの、というのなら、魔獣よりも山賊のほうが危険でしょうね」
「そうなんですね……山賊の方が危険……」
「カリナ様、明日からは一緒に、村の方たちと交流して、この現地の詳しいことは、いろいろと教えてもらいましょう」
「……はい。頑張ります」
パチパチを音を立てる焚き火を囲み、エリーゼが手際よく淹れてくれた紅茶を啜る。
わたしたちの話を笑顔で聞いていたウラカン様が、「飛龍に乗った時の約束だからね」と言って、荷物の中から甘いドーナツを取り出して、わたしとエリーゼに手渡してくれた。
一口頬張ると、疲れが溶けていくような甘さが口いっぱいに広がる。
「美味しい……! ありがとうございます、ウラカン様」
「これから、すべて自分たちの手で、新しいことを始めていこう。エリーゼも言っていたように現地の人たちにまずは色々と教わっていこう」
「はい。きちんと、地域に根ざした発展を目指したいですわ」
「その通り。単なる寄付ばかりでは生活は良くならない」
「お金で解決できる簡単な問題なら、聖女降臨の儀なんて必要なかったですよね」
「その通り。今、バレンシアの地で、いったい何が問題で荒廃しているのか、きちんと見極めて、根本的な問題と対峙しないとね」
真剣な眼差しで語るウラカン様の言葉が、わたしの胸に深く刻まれる。
「根本的な問題と対峙……。わたしも、聖女として精一杯頑張ります」
「私もシスターとして、全力でお手伝いします」
「ああ。三人で頑張ろう」
ふと空を見上げた瞬間、わたしは息を呑んだ。
「え……? すごい……。今日は、流星群の日だったんですか?」
夜空を切り裂くように、幾筋もの光の尾が降り注いでいる。
「実はそうなんだ。内装工事を一日遅らせてもらったのは、これが理由でね。……この望遠鏡で見たら、もっと綺麗だよ」
ウラカン様はポケットサイズの小さな望遠鏡を貸してくれた。覗き込むと、白い尾を引いて流れる星たちが、すぐ側にあるかのように鮮やかに見えた。
(……ああ。この流星群まで計算に入れて、わざと野外テントにしたのね。さすがだわ、ウラカン様……!)
彼の「優しいウソ」に胸が熱くなっていると、ウラカン様は「二人とも、これにかけるといい」と言って、さらにリクライニングチェアを二脚、荷物から取り出してきた。
(……そんなものまで持ってきていたなんて!)
わたしとエリーゼは、顔を見合わせて驚きながらも、勧められるままに椅子に深くもたれかかった。
厚手の毛布にくるまり、静まり返ったバレンシアの夜空を仰ぐ。
視界いっぱいに広がる、キラキラと光り輝く流星群。
隣には、信頼できるエリーゼと、わたしを誰よりも大切に思ってくれるウラカン様がいる。
かつて雪の中を裸足で歩いたあの時の冷たさは、もうどこにもなかった。
この場所で、この人たちと作る明日が、今は楽しみで仕方がない。
降り注ぐ星々に、わたしはそっと、これからの未来への誓いを立てた。
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