【1章 王宮追放】◇2
◇2
わたしは震えながら夜会の会場内に足を踏み入れた。
咄嗟に近くの男性がエスコートをしようと私に触れようとする。冗談じゃない。
身代わりの魔法は、誰か人の手が触れるだけで、すぐに解けてしまう儚い魔法なのだ。
「ふん。今宵は誰のエスコートもいらぬ、誰も触れるな。忌々しい」
わたしは拒絶の言葉を漏らし、扇子で払いのける仕草をした。
(ああ、心にもないことを言ってごめんなさい! 私に触れないでください。本当にごめんなさい!)
何度も心の中であやまりながら、毅然としたふりをしてエスコートを払いのけるように前に力強く踏み歩いて進むと、男性の方はとてもショックを受けた顔でおずおずと引き下がってくれた。
(婚約破棄の宣言の前に、わたしが胃痛で倒れそうだわ……)
中央の豪華絢爛な女王の席に、どかっと座り込んで、わたしは不満そうに腕組みをする。誰かにうっかりダンスを申し込まれないようにするための必死の防波堤だ。
わざと、イライラしているかのように、腕組みした指の二本をトントンとせわしなく腕を叩いて、わたしに話しかけないでという雰囲気を必死になって演出する。
会場ではヒソヒソと声がする。
『なんだ、おい。女王様はご機嫌ナナメだな。うっかり近づくと、とんでもないことになりそうだ』
『厄日ですわね。婚約者のウラカン閣下もおかわいそう……』
『さっきの見たか? エスコートも拒否されるなんて、今日の女王様は普通じゃないぞ。一体どうされたのか』
『噂の聖女降臨の儀の計画が大変で心労を煩っておられるのかも知れない』
半分ぐらい本当なので、わたしは何も言えない。
ザワザワした声が大きくなったを見計らって、わたしはグラスをわざと床に叩きつける。予め決めておいた作戦だ。ガシャーン!
グラスが割れ、会場が静まり返る。
「うるさい羽虫の音がするようですけど、あーら、気のせいかしら。ヒソヒソと耳障りですわね。ウラカンはまだ来ないのかしら?」
(ごめんなさい。あぁ、グラス割ってごめんなさい。これは演技なんです)
わたしは心臓がバクバク高まるのを押さえながら、もう一つグラスを手にして床に落とす。ガシャーン!
給仕が慌てて床に散乱したグラスを片付けようとやってくるので、わたしはバッと扇を向けて制する。
「給仕の者は片付けなくてよろしい! 下がりなさい!」
給仕が引き下がったのを見て、わたしは演技で不敵な笑みを浮かべる。
「さて、こうすればウラカン以外、わたくしにみだりに近づこうと思わない。そうでしょう? あっはっはっはっは!」
さらにグラスをもう一つ、ガシャーン!
心の中では三つのグラスを次々と派手に割ったことで、心臓はバクバク高鳴る。
(ダメダメ、緊張で心臓止まりそう)
わたしは奥歯を噛みしめて、緊張をこらえる。
膝は恐怖でガクガクを震えているけども、ドレスだから足の震えは見えないはず。そう信じつつ、とにかく不満そうな目をして扇子で口元を隠した。
(あー、扇子があって良かった。わたしのアワアワした口元がバレずに何とかなりそうだわ……みなさん、本当にごめんなさい!)
すると、一人の精悍で長身の麗しい男性が近づいてきた。
目は吸い込まれるような瞳のアイスブルー。爽やかで清涼感のある金髪のブロンドヘア。そう、ウソの塊であるわたしのようなウソを嫌っておられる真っ直ぐなお方、次期公爵のご令息、ウラカン・ウィンターガルド伯爵様だ。
別名、氷の騎士ウラカン。
(どうしよう! ついにウラカン閣下が来られたわ。ダメです、わたしの目を見ないでください!)
わたしはその吸い込まれるアイスブルーの瞳に目を奪われないよう、さっと扇子で顔を隠して横にむけて、大げさに溜息をつき、椅子に深くもたれかかる。
「ご機嫌麗しく、エリザベス女王陛下。私をお呼びでしたか」
「遅いですわ! どこに隠れていたのですか!?」
「エスコートを拒否されていたので、てっきり今日は誰ともお話されたくないのかと……勝手な憶測をお許しください、陛下」
ウラカン閣下は丁寧なお辞儀をして私の前で微笑む。
(えっ、すっごく、かっこいい……噂以上の美形……)
扇子の隙間から恐る恐るのぞいて見えた彼の姿は、氷の結晶のようにきらびやかで美しく整った顔立ちは芸術品のようで、思わず触れたくなるほどの輝きがあるかのように感じられた。いけない、わたしは見惚れている場合ではない。
「ああ、その床に散らばった割れたグラスで怪我をするといけないから、それ以上、近づかないでくださるかしら?」
「おや、どうされたのですか女王陛下、今日は苛烈ですね」
「ふ、ふん。仕事が忙しいからと、ここ数年は社交の場にも姿を現れず、よくもまあ、それでわたくしの婚約者が務まると思っていたわね。」
「……今日の君はいつにもなく饒舌ですね。これまで挨拶にも手紙にも返事をされなかったのに、今夜はどのような心境の変化でしょうか?」
ウラカン閣下の返答に言葉に驚いて詰まってしまう。
(え? 女王様ってずっとウラカン閣下を無視されていたの? そんなの酷いわ!)
つい、心が揺れてしまい、台本と違うことを話してしまう。
「わたくしにも色々と都合があったのです。聖女降臨の儀や、古代語の勉強など……」
「古代語の勉強? エリザベス陛下が!? それは初耳です。それならこの言葉はお分かりですか『君の顔が見えない』」
(あっ、うっかりわたしの趣味で勉強している古代語なんて言っちゃった! これはちゃんと返さないと!)
「ふん、初歩的な言葉ですね。『あなたの顔を見たくない』」
古代語は教養のある貴族でもごく一部しか習得しない。
わたしは語学の勉強が好きなので、弟に頼み込んで王立学校の図書館から弟が借りてきた本で勉強をするのが、苦しくて辛い侍女生活での心の拠り所だった。まさか、それがこんなところで役に立つなんて。
会場内は聞き取れない人ばかりのせいか「何を話しているんだ?」とざわついた。聞き取れるのは古代語を専攻した貴族か、わたしのような変わり者か、教会の司祭ぐらいだろう。ほぼ暗号だ。
ウラカン閣下は秘密の会話ができることを楽しまれてるご様子だ。
「驚いた! 陛下と初めて共通の趣味が見つかって私は嬉しい限りですよ。『どうして、今日は不機嫌なのですか』」
「ふん、そんなに馴れ馴れしく犬のように跳ね回らないて欲しいですわね。みっともない。『ごめんなさい。あなたに申し上げにくいのですが、大切な話があります』」
ちらりと見回してみたが、やっぱり、会場内では誰も聞き取れていないらしい。
ヒソヒソ聞こえる密談は、わたしの横暴な女王という言動の演技にばかり集中している。
「大切な話? エリザベス陛下、いったい何を……」
ウラカン閣下の顔が、一瞬にして曇る。ああ、ごめんなさい閣下。
「いいか、全員よく聞け!わたくし、エリザベスは、ウラカン・ウィンターガルド殿との婚約を破棄する! ウカラカン殿にはお望み通り古代語でも教えてやろう! 『ああ、どうか怒らないでください。ごめんなさい。あなたは悪くありません』」
「婚約破棄……そんな、王配のために私がこれまで一体どれほどの時間を費やしてきたと思うのです。『君は誰だ? 本当の君が知りたい』」
「今、この国は救国の聖女を必要としている。辺境の地であるバレンシアに拡がる疫病を止めねばならん。わたくしは、婚姻などに時間を費やす暇などないのです。『わたしのことは忘れてください。あなたとは身分が違います。もう会うこともないでしょう』」
すると衛兵たちが駆け寄ってきた。
わたしは咄嗟にグラスを叩きつけて叫ぶ。ガシャーン!
「近づくなと言ったであろう!わたくしの声が聞こえなかったのか!」
衛兵たちは不敵な笑みを浮かべる。
「女王様はお勉強が苦手です。学習に時間のかかる古代語を流ちょうに話せない。そんなに可愛い声でもない事ぐらい、俺たち衛兵じゃなくても分かるさ。へっ」
「やめなさい、やめて、やめ――あっ」
衛兵に腕を掴まれて、“身代わりの魔法”はたちまち解けてしまった。
シューっと白い煙が立ちこめてわたしの本当の姿が露わになる。
ドレスすら着ていない、侍女の服を着た貧相な身なりの本当のわたし。
“身代わりの魔法”は消えてしまった。
床に叩きつけられて割れたグラスから散乱したシャンパンが石床を水鏡のように反射し、銀髪の髪に琥珀色の目をした、いつもの見慣れたわたし自身の姿をそこに写し出している。
魔法が解けてしまって、何かも、おしまい。
会場が騒然とする。
わたしは力なく呆然とその場に立ち尽くす。
そのまま衛兵に連れて行かれそうになったところで、ウラカン閣下が私の腕を掴んできた。
「待ってくれ、彼女と話をさせてくれ。『大丈夫だ、俺は怒っていない。』」
「閣下がそうおっしゃるのであれば、はあ……先ほどから古代語で何をお話されていたんです?」
「君たちには関係ない国家機密の話さ。少し、庭園で二人きりで話をさせてくれ。それぐらい、構わないだろう?」
衛兵たちはすごすごと引き下がってわたしの身柄をウラカン閣下に引き渡した。わたしは彼に手を引かれるがまま、庭園へと足を運んだ。二人きりで。
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