【3章 旅立ち】◇3
◇3
――慌ただしい準備期間を駆け抜け、ついにバレンシアへの出発当日を迎えた。
わたしはウラカン様、そしてエリーゼと共に、ウィンターガルド運河に設けられた内港へと馬車で向かっていた。
バレンシアへは、この運河から大型の帆船に乗り換え、外洋を渡って移動するのだという。
「うん、本当に良く似合っているよ、異世界人の聖女カリナ様」
馬車の向かい側に座るウラカン様が、うっとりとした、けれどどこか熱のこもった視線でわたしを見つめてそう言った。
「ありがとうございます、ウラカン様」
仕上がったばかりの聖女の正装を身に纏い、その手に「聖女の杖」を携えた今のわたしの姿は、鏡を見るまでもなく、まるでこの世ならざる者のような異彩を放っていた。
特注の杖は、龍木草と呼ばれる稀少な木材で作られ、その先端には古代に異世界人が愛用していたという伝承が残る、龍の目のような宝玉が埋め込まれている。
衣装やわたしの素性は「ウソ」で塗り固められたものだけれど、この壮麗な杖だけは、ウラカン様がどこからか探し出してきた紛れもない「本物」だった。
それからしばらくすると、内港が近づいてきた。
運河を行き交う地味で小さな商船の群れの中に、場違いなほど真っ白に輝く一隻の帆船が姿を現した。
「わぁ……あれがウラカン様の船ですか?」
「ああ。一番目立たない、小回りの利く船を用意させた。エルグランド号だ」
ウラカン様は事もなげに言うが、その船体は磨き上げられた白銀のように美しく、巨大なマストが誇らしげにそびえ立っている。
「商船のフリしているけど、中身は中級の最新鋭の軍艦だからね。見た目以上に頑丈で速度も出る。半日もあればバレンシアに着くだろう」
「えっ、軍艦……? 運河だけが商売じゃないのですか?」
「当然だろう。中立かつ最強の独立勢力で本業の運河を維持するためには、相応の私兵を抱え、守る術を持たなければならない。」
「でも、今は大きな戦争なんて……」
「大戦は終わったが、世界のいたる所で内乱の火種は燻っている。海では、ならず者国家の船も珍しくない。この世界は甘くないんだよ」
静かな、けれど有無を言わせぬ確信に満ちたウラカン様の言葉。
わたしの知らない世界の厳しさを、水平線の彼方まで平然と見据えている彼の底知れなさ。その奥に眠る徹底した冷静さに触れた気がして、わたしの心臓はまるで氷を押し当てられたかのように冷たく震える気がした。
すると、わたしの不安を察したのか、ウラカン様が馬車の揺れに合わせてそっとわたしの手に、自身の大きな手を重ねた。
「大丈夫だ。先ほども言った通り、俺は騎士だよ」
「でも、軍艦なんて、大砲とか恐ろしい兵器が沢山……」
「大切なものを守るための道具であって、自分から好き好んで誰かの命を奪うような真似はしない。道具に善悪はないんだ、大切なのは使う人の心だよ」
重ねられた手のひらから、熱がじんわりと指先まで伝わってくる。
その温もりは驚くほど優しく、心細かったわたしの胸を静かに満たしていく。
(さっきまでの厳格で冷たい横顔が、今は嘘のように穏やかだわ……。一体、どちらが本当のウラカン様なんだろう?)
けれど、きっとどちらも嘘ではないのだ。
冷徹なまでの判断力も、包み込むようなこの温かさも。その両方を持っているからこそ、この人はこれほどまでに強く、そして、わたしの目には眩しく映るのかもしれない。
「大丈夫ですよ、カリナ様。まるで海賊のような暴虐に手を染めるようなことがあれば、その瞬間に私が教会から破門状を出します!!」
「おお怖い怖い。お手柔らかに頼むよ、はははは!!」
エリーゼがいつもの調子で軽やかに言い放ってくれて、ようやくわたしの心から強張りが解けていった。
(王宮という小さな籠の中にいたわたしには想像もつかないほど、広い世界と責任を、ウラカン様は背負っていらっしゃるのだわ……)
馬車が港に停まり、扉が開かれる。
(遠くから見ていたより、ずっと大きな船だわ、すごい……)
わたしは地上から船を見上げた。
目の前に広がる運河で、エルグランド号の白い帆が、風を受けて大きく膨らんでいる。
船と港を繋ぐタラップへと、ウラカン様が手慣れた足取りで先に足を踏み入れる。
それから、彼はごく自然な動作で、けれど壊れやすい宝物に触れるような丁寧さで、わたしに手を差し伸べてくれた。
差し出されたその大きな掌を見つめ、わたしはそっと自分の手を重ねる。
グローブ越しでも伝わってくる彼の確かな体温と、エスコートされる心地よい緊張感。
タラップの一歩一歩が、これまでの自分を捨てて、新しい世界へと踏み出す儀式のようにも感じられた。
「足下に気を付けて、聖女様」
「ありがとうございます、氷の騎士様」
わたしの気分はすっかり異世界の聖女様だ。
タラップを渡りきり、白銀に輝く甲板へ足を踏み入れる。
すると、整列していた船員たちの前を割り進むようにして、一人の屈強な男が歩み寄り、胸を叩いて騎士の敬礼を捧げた。エルグランド号の船長だろう。
「旦那様、そして聖女カリナ殿。船長であるティーゼルが、船員百二十名を代表して心より歓迎いたします。エルグランド号へようこそ!」
船長は深く、響くような声で挨拶を述べる。
わたしとエリーゼが船長に会釈して頭を下げると、ウラカン様は少し楽しそうに微笑んでいた。
「うん、すまないね。ティーゼル、今日の船出は万全かな?」
船長は、淀みなく現状を報告し始めた。
「はい! 本日のウィンターガルド運河、天候は快晴。風は東よりの微風、海面は穏やかです! 航海士、状況を知らせ!」
「はい、エルグランド号、船体・魔道具ともに異常なし。港内の船籍および他国の船群にも不審な動きは認められません!」
「ウラカン閣下……本艦、いつでも出航可能です。ご命令を!」
「出してくれ、行こう!目的地、バレンシア港」
「アイ・アイ・サー、閣下! 総員、抜錨! おもーかーじー一杯! エルグランド号、出航!」
船長の野太い咆哮が甲板に響き渡ると同時に、整列していた百二十名の船員たちが弾かれたように動き出す。
巨大な帆が風を孕んで真っ白に膨らみ、白銀の船体が音もなく滑らかに、ウィンターガルド運河を滑り出した。
慌ただしく水夫達が駆け回っているを満足そうに見ながら、ウラカン様がわたしに向かって少年のような笑みを浮かべて言った。
「ほら! 二人とも。今回はちゃーんと、派手なのは控えて『地味』にしただろ? 俺だってやればできるんだ」
初日の反省を活かしたと言わんばかりの、自信満々なその言葉。
わたしは思わず、身を乗り出して叫んでいた。
「黙って聞いていれば……全然、控えていませんっ!」
「ダメです! これは十分すぎるほど派手です! この船を売れば、教会の大聖堂が二つや三つは余裕で建立できる規模ですよ!」
わたしは胸の前で、両手を使って大きなバツを作った。
隣に立つエリーゼも「全くだ」と言わんばかりに力強く頷き、同じように特大のバツを突きつける。
「ええっ!? そんな……これでも、俺が持っている中で一番小さくて控えめな一隻だぞ……!?」
完璧な配慮をしたつもりだったらしいウラカン様は、まさかのダブル・バツに、本当に驚いていた。
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