【3章 旅立ち】◇1
◇1
【ウラカン視点】
寝室のベッドにバサッと顔をうずめ、俺はそのまま激しく身悶えした。
(……ああ、これは。今夜は絶対に寝れそうにないな)
『わたしに時間をください。心の準備ができていません』
目を閉じると、潤んだ瞳で切実に訴えるカリナの姿が、まぶたの裏に焼き付いて離れない。
あんな顔をされたら、ショックで止まりそうになる心臓を抑えて「分かった、待っているよ」と平静を装うのが精一杯だった。よくもまあ、あそこで格好をつけられたものだ。
いたたまれなくなってベッドから飛び出て、バルコニーへ出て三日月を仰ぐ。
綺麗な琥珀色に輝いた三日月は、まるで、カリナの瞳そのものじゃないか。
リクライニングチェアに深く沈み込み、震える手でロゼのワインをグラスに注ぐ。
本来、貴族の男女仲には地位と金、あるいは義務と責任しかない。
政略結婚もその延長線上にある。女王エリザベスとはお互い様だと割り切っていたし、愛のない婚姻になど何の躊躇もなかったはずだ。そんな血の通わない未来を、カリナは予期せぬ形で断ち切ってくれた。
俺がどれだけ感謝しているか、彼女は知らないのだろう。
(だが……カリナを救うためとはいえ、側室という形は絶対に嫌だ。結婚するなら、正室はあいつただ一人がいい。そもそも、愛のない結婚になど、もう微塵も興味が湧かないんだ)
側室をもったがゆえに母親との確執を生み、修復不可能になって冷え切った後の寂しさを抱えた父親の背中を知っている。
あんな氷のような家庭だけは、何があっても嫌だ、なりたくない。
「……琥珀色の月が、カリナのように綺麗だな……」
「はあ。少し飲み過ぎです。明日、二日酔いで情けない姿を見せてカリナ様に呆れられても知りませんよ」
「エ、エリーゼ!? いつからそこに!」
「『夕食の後に大事な話がある』と、お酒の勢いで喚いていたのはどこの誰ですか。侍女頭にまで居場所を聞いて、かなり探したんですよ」
いつの間に現れたのか、エリーゼが呆れ顔でバルコニーに立っていた。
彼女は手にした大口のコップを、ドンッ! と乱暴にテーブルへ叩きつける。
「そう言えば……すまない」
「プロポーズの返事が『はい』じゃなかったのを曲解しようとしていませんか?」
「そ、そんなことはない。機会を見て出直すよ……」
俺は頭を抱え、激しく髪をかきむしった。その様子を見て、エリーゼは深く、長いため息を吐きながら腰に手を当てる。
「これじゃ、まるで怒られている少年みたいだ。おいおい、冗談じゃないぞ」
「本当のカリナ様が、見えていますか?」
「見てるさ! あいつは王宮内で有名だった。他の王宮侍女のように、肩書きを傘に着ることもなく、誰よりも真面目で……それで古代語も話せるなんて驚いたよ」
それに、あの容姿だ。白銀の髪と琥珀の瞳……美人じゃないか。誰にでも愛嬌を振りまかない凛とした造作が、間近で見ると恐ろしく整っていることに気づかされる
「確かに、カリナ様の語学力は司祭も驚いていました」
「ああ、独学であそこまで修得するには、どれほどの月日をコツコツとした努力に費やしたことか。そのひたむきさが、俺には眩しくてならない。」
賢いのに偉ぶったりせず、まるで幼女のように泣き、よく笑う。
あの隙だらけで素直な表情を見てしまえば、もう他の女など視界に入らなくなる。見た目だけ着飾った貴族令嬢なんて比較にならない人としての魅力がある。
「いいか、あの純粋すぎる優しさ、そんな心をもった女性が他にいるか? 」
「落ち着いてください。熱弁の前に、もっと水を飲んでください」
コップの水を一気にあおるが、もやもやとした想いは加速するばかりだ。
「ああ、カリナ……あいつが心を開いてくれるのはいつなんだ。物で釣る作戦は、やはり失敗だった」
「あからさま過ぎるんですよ。富豪の力を見せつけても、普通の女性は恐怖で小さくなるだけです。これが王立学校の試験なら落第点で退学ですね」
エリーゼの容赦ない言葉に、俺は呻きながら天を仰ぐ。
喜ばせたい一心で手配したものが、空回りしてカリナを追い詰めてしまうなんて、俺はどうすればいいんだ。
「難しいな、好きになってもらうのって……」
「ウラカン様がご自分で壁を高くしているんですよ」
「だいたい、あいつは自分の魅力に無頓着すぎるんだ。もっと自分を誇っていいのに」
「ええ、彼女には自分を許す心が必要ですね。ですが、ウラカン様も乙女心を学ばれることが必要です。……あっ、まだ飲もうとしていますね?」
ワインに手を伸ばそうとした瞬間、ぴしゃり! とエリーゼに手を叩かれた。
(……今日のエリーゼ、本当に怖いな。これ本気で怒ってるだろ)
叩かれた手をさすりながら、俺は縮こまった。
エリーゼは鼻を鳴らし、これ以上ないほど深い溜息を吐く。
「ウラカン様……カリナ様が愛くるしいのは、当然のことです。そんなこと、言われなくても誰もが知っています」
「なっ! だったら余計にカリナは誰にも渡さんぞ!」
「誰も取りませんよ。カリナ様だって、ウラカン様に夢中なんですから」
「えっ!? 本当か!? 本当にそうか!?」
俺は椅子から飛び起き、思わずエリーゼの肩を掴んで激しく揺さぶった。
エリーゼは心底迷惑そうに、その手を冷たく振り払う。
「揺らさないでください。揺らしても答えは変わりません」
「ああ……カリナ……。物で釣るのがダメならどうすればいいんだ。あいつ、屋敷に着いた瞬間、泣き出したんだぞ。俺の価値観をさらっと話しただけなのに……」
あの時、平静を装いながらも、内心はパニックだった。どうしていいか分からず、ただ焦っていたのを思い出す。
「いいですか。他の貴族の屋敷を犬小屋呼ばわりするのは、二度とやめてください。彼女も名誉男爵の娘であることをお忘れなく」
「悪かったよ……。家柄なんて気にする必要はないと思っていたんだが、逆効果だったか……」
「それから、最高級の品々をいきなり山積みにするのもダメです。戸惑う以前に、引いていますよ」
「くう……手厳しいな。俺、カリナの前では空回りしかしてないじゃないか」
俺はもどかしさで、再び空を仰いだ。
好きになってもらうための努力が、すべて裏目に出るなんて。
「どうすればいいんだ……」
「焦らず、その戸惑っている感情を格好つけずに素直に表現すればいいんです。……ふあぁ。この話、まだ続きます? 私、もう限界なんですけど」
エリーゼはあからさまな欠伸をしてみせる。
「……格好つけない、か。俺の最も苦手なことだが、やってみるよ。悪かった、エリーゼ。地に足つけて、一からやり直すさ」
「ええ、貴方ならできますよ。……では、失礼します」
エリーゼは頭を下げてバルコニーから出て行こうとする。
「待ってくれ、エリーゼ」
「はい?」
振り向かずにエリーゼが立ち止まる。
手短に要件を済ませろ、という意味だろう。
「……今日は、その、やりすぎてしまった。これからは派手な振る舞いは控えるつもりだと、明日でいいからカリナに……そっと伝えてくれないか。頼む」
格好がつかないことを自覚しているので、俺は視線を泳がせながら、絞り出すようにそう告げた。
「……ふふっ。かしこまりました。おやすみなさい、ウラカン様」
背を向けたエリーゼの表情は見えなかったが、その声から、彼女が小さく笑ったのが分かった。
独り残されたバルコニーで、俺は再び夜空を仰ぐ。
高くかかった、琥珀色の月。
目を閉じれば、今にも泣き出しそうに潤んでいたカリナの瞳が鮮明に浮かび、そのたびに胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
(あいつのためにと用意したすべてが、あいつを怯えさせていたなんて……)
後悔と、愛おしさと、やるせなさが混ざり合い、熱を持って体中を駆け巡る。
今夜は、やっぱり、明け方まで眠れそうにない。
本作を面白いと感じていただけましたら、ブックマークや評価、いいねなどで応援いただけると嬉しいです。
今後の活動の励みにさせていただきます。よろしくお願いいたします。




