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20.狂気と合理

 アニマ・グランヒルツという人物は、どんな人物も一様に厄介だと言うだろう。執着に執着を重ね、絶対的帰依を示す人物だ。現在、彼女は「賛美歌の心臓」と呼ばれる大森林にいる。賛美歌の心臓という名前の由来もアニマにある。彼女がこの森にほぼ毎日姿を現し、聖歌のようなモノを歌っているが故に、賛美歌の心臓という名が付いた。

 生前のエリュシオンはこの森を好み、幾度も足を運んでいた。アニマもまた、その折に何度か同行したことがある。

『お前とタルタロス。いずれ3人でこの地を歩きたいものだな』

 アニマにひどく響いたこの言葉。未だに脳裏に焼き付いている。アニマ自身も、それを望んでいた。

 だが、現実はそう上手くいくものでも無い。エリュシオンの願いは、叶わずに終わった。

 彼女は、死んだ。

 アニマがその事象を知ったのは、エリュシオンが亡くなってから3日経過した時のことだった。

 タルタロスから告げられた。エリュシオンが死んだ、と。アニマは、その言葉を信用しなかった。例え、タルタロスであっても。

 それからの事、アニマは毎日毎日、この森に訪れるようになった。エリュシオンとの再会を求めて。

 そして、好機が訪れた。

 エリュシオンを探し、1800年が経過した。

「ああっ……エリュシオン様ぁ……!! やはり、やはりここに居られたのですね!……」

 見つけた。シオリ(エリュシオン)を。やっとだ。やっと見つけたのだ。

「大丈夫……大丈夫ですからね……貴方様が永い昏睡から覚めて未だ事象を把握し切れていないことは我々共把握しております……!」

 口が裂けるのではと思うほどにアニマは口角をあげ、その全てを飲み込むような深紫色の目でエリュシオンをがっちりと見据える。

 一度拒絶されてもこうしてまた出会えることができるだなんて。やはり私らは形而上の命題として存在しているに違いない。

 今もなお、私から離れようとしている。ただ、彼女の本心はまた私らの元に行きたいという考えで溢れているに違いない。

「──だから‼︎ しつこいつってんだろ‼︎‼︎」

 そうエリュシオンは、アニマに猛々しく剣先をこちらに向けながら言った。

「あぁ……そんなに声を荒げて……」

 アニマは憐れみの目をエリュシオンに向ける。気付けば、両手を合わせていた。なぜだろうか。普段、エリュシオンに庇護欲なんてものは湧かない。それなのに、今は何故か、どうしても彼女を守りたいという気持ちが芽生えてくる。

 これを、見過ごす訳には行かない。

「安心してください……私は貴方様に危害を加えたりはしません」

 アニマは落ち着いたトーンでこちらに危害がないことを示す。

 ただ、それはどう頑張っても今のエリュシオンに伝わることはないのだろう。未だ彼女の目から警戒の意は解けていない。

「そんなに警戒しなくても」

 言葉が途切れる。アニマの意志ではない。アニマは、言葉が詰まった理由が理解できなかった。鮮血が喉から攻め上がってくる。ちょっと視野を広げてみた。するとあら不思議。アニマの喉に剣が突き刺さっているではないか。剣の筋を辿り、この剣の所有者の顔を見る。

 持ち主は、まるでまともではなさそうな男だった。重力に少し逆らっている稲妻のような髪がより一層、その印象を深めている。エリュシオンの側近にはとてもそぐわない男だ。

「それ以上雑音を撒き散らすな。不愉快だ」

 なんとも気に食わなそうな声色で男はアニマに吐き捨てた。その瞳は芯まで冷え切っており、アニマに対してポジティブ的感情を抱いてると捉えることは難しい。

 これではエリュシオンに近づくことができない。彼女を解放させることができない。彼女の元に行く為なら、どんな障害も壊すのみだ。

「ッ⁉︎」

 アニマは両手で喉に刺さっている剣をがっしりと掴む。刹那、アニマの両手に鋭い痛みが走る。

「あ……は……っ」

 喉を貫かれ、溢れ出した鮮血が唇を濡らす。アニマは血混じりの吐息を漏らしながら、喉を抉る刃をさらに深く、自らの肉体へと押し込んだ。男の驚愕を映す冷徹な瞳が、目の前まで迫る。

「邪魔……しないでください、私は、エリュシオン様の──」

 そこまで口に出したとき、男が行動を起こした。半ば強引に剣を寝かし、そのまま薙いだ。

 アニマはそれに伴い大きく目を見開き、首元を抑える。だが、そんなものは焼け石に水。出血の量は相変わらずである。

「俺はお前に直接的な恨みはない。ただ、シオリを連れてこうとするならば話は別だ」

 男は地面に膝をついたアニマに吐き捨てる。その瞳はどこまでいっても冷徹なままだった。

 その時、アニマは遠目で見た。エリュシオンがアニマから背を向け、走っているではないか。

 あぁ、ダメ……そっちに私はいない。そっちには…………ん……?

 数瞬、アニマは思案した。そういえば……あっちには──

 男が剣を振り上げる。ただ、今のアニマにはそんなもの眼中にすらなかった。己の命よりも、エリュシオンを優先するべきなのだ。

 アニマはにんまりと口角をあげた。そんなアニマを気にも留めず、男は剣を振り下ろす。

 男は言葉にならない声をあげた。それも無理はない。

 アニマに刃先が触れるすんでのところで刃先がピクリとも動かなくなったのだ。

 男が引き抜こうとも、逆に押そうとしても、動く気配はみられない。

 これは、アニマの個性能力(ユニークスキル)である《永遠の呪詛(アナテマ)》ではなく、《運命の白い手(フェイト・ドグマ)》という能力が関わっている。本来、一人につき一能力で、それ以上自然的に取得することは不可能なのだが、運命の白い手(フェイト・ドグマ)は生前のエリュシオンがアニマのために誂えた特別能力なのだ。アニマとエリュシオン。限られた者にしか見えない真っ白な手。その手が、刃を止めた。それだけのことだ。

「フハァッ……アハッ……」

 熱い液体が左肩から胸にかけて流れるのを感じながらアニマは笑う。男は一瞬後ろを振り向く。その後、安堵と苛立ちが混じったような息を吐いた。

「……離さないのか」

 低い声が落ちてくる。

 何を言っているのか、よく聞き取れなかった。

 次の瞬間、喉を貫いていた剣から、力が消えた。

「──あ」

 そう思った時には、視界が横殴りに弾けていた。何かに打たれた。

 理解が遅れて、頬の奥で骨が軋む。身体が大きく揺れる。

 それでも、手は離さない。離す理由がない。離してしまえば最後、彼は刃を引き抜き、エリュシオンの下に行ってしまうだろう。それはなんとしても阻止しなければならない。今アニマが取るべき行動はこの男をエリュシオンの下に行かせないことだ。今だけは己のプライドを捨て、他に任せるしかない。我々聖教団は仲間で、同じ目標に向かって歩を進めているのだから。

「……ふ、ふふ……」

 血が口の中に溜まる。

 吐き出す前に、また衝撃。今度は腹だ。

 内側から押し潰されるような感覚に、息が途切れる。

「あ、……ぁ……っ」

 呼吸がうまくできない。けれど、どうでもいい。

 エリュシオン様が、あちらに。

 視界の端で、背が遠ざかっていく。

「待、って……」

 それでも、自分が一番でありたい。彼女の隣に一番最初に立つのは自分でありたい。

 本能がエンジンとなり、足に力を込めようとした瞬間、顎が跳ね上がった。

 何が起きたのか分からない。ただ、空が見えた。ぐらりと傾ぐ視界の中で、あの男の顔だけが近い。

 冷たい。

 どこまでも、温度のない目。

 あぁ、やはり──

 この者は、邪魔だ──

「……邪魔を、しないで……」

 言葉になっていたかも分からない。

 次の瞬間、膝が崩れた。脚のどこかを打たれたらしい。地面が近づく。それでも、手だけは動く。

 刃をがっちりと掴む。絶対に離さない。離してはならない。

「……エリュシオン、様……」

 掠れた声で、名を呼ぶ。応える気配はない。

 分かっている。

 この男が、近づかせないからだ。

 また、衝撃。今度は頭部。

 地面に叩きつけられる。視界が揺れて、音が遠のく。

 それでも。それでも。この手は離さない。この男にとってこの刃は命の次に大事なものなのだろう。アニマは恐らく酷い姿をしている。なにもしなくても死ぬと思われるくらいには酷い姿だろう。それでも、この男がアニマから離れないのにはなにか理由があるからに違いない。

「あ……あぁ……」

 笑みがこぼれる。まだ、繋がっている。

 この者がいる限り、エリュシオン様に辿り着けない。

 ならば──


 壊さなければ。


 その思考だけが、やけに澄んでいた。


 ◇◇◇


「チッ……往生際が悪い奴だ」

 ホタルは冷徹な目で自分の足元に転がっている肉塊(アニマ)を見ながら吐き捨てた。刀はもうアニマの手元にはない。

 よくこんなボロボロになるまでこの刀を離さなかったものだ。それだけ、アニマの信仰心は狂っていて、根強いのだろうか。

 未だ、アニマの目は閉じていない。もう表情が分からないほどに血塗れだった。ただ、腹立たしいあの深紫の瞳はいつまでもホタルを見つめていた。

 どうせ放置してても勝手に死ぬ。ただ、アニマの事だ。放置してたら勝手に復活してめんどくさい事になりそうだ。

「……」

 ホタルは右手の刀に力を込めると同時に、袖口に忍ばせていた暗器を左手に滑り落とした。

 刀を、振り下ろした。すると、またもや何かに防がれた。ただ、予測の範疇だ。すぐさま左手の暗器をアニマの(こめかみ)に叩き込む。ピクっとアニマの身体が震え、その後はまるで死んだかのように固まった。いや、死んだのだろう。

 ホタルは脈を測った。脈は無かった。

 ホタルはおもむろにシオリの方へと向かい始めた。ホタルの足音が、湿った土を踏みしめて遠ざかっていく。

 一歩、また一歩と、シオリの後を追うその歩みに、迷いはない。彼が踏み出した場所には、アニマから溢れ出した鮮血が黒ずんだ花のように広がり、森の土壌へとゆっくりと染み込んでいった。


 パシッ──


 ホタルの歩みを、誰かが止めた。

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