18.聖教団とは
「……んんっ……」
暗い部屋で、聖教団第二聖徒の「アロン・ヴィルナヘル」は目を覚ます。覚醒しきってない顔で体を起こす。キチッとしたいつもの覇気なんて感じられない。アロンは寝台の傍らに室内履きを揃えている。今日もいつも通り室内履きを履いてぺたぺたと黒檀の木で造られた床を歩く。その足取りに迷いは無い。壁に固定されたブラケット式の魔石灯に手を触れる。すると、魔石から琥珀色の光が発せられ、部屋全体を眩い、だが淡い光が空間を満たす。
アロンは金細工が施された高級感溢れる棚から櫛を取り出し、おもむろに部屋を出た。廊下は、部屋と印象変わらず、といった所だ。床に深紅のカーペットが敷かれており、アーチ状の柱と魔石灯が規則的に並べられている。
現在時刻午前五時四十分。
この時間帯に活動しているのはアロンとアニマだけだ。もっとも、アロン自身がそれを意識することはない。
洗面所へと向かう。そして、鏡の中のアロンとご対面。やる気のない顔とボサボサの髪を見て溜息をつく。
アロンが髪を整える一方、アニマは大聖堂で祈りを捧げていた。外は未だに闇に包まれている。ただ、それでもアニマは祈りを辞めない。
シオリとの対面からはや二日。アニマはシオリに聖教団に顔を出すことを心の底から願っている。故に、彼女はシオリを連れ帰るため、今も着々と祈り、作戦を練っている。彼女は、かれこれ三時間は祈りを捧げている。周りは異常、というだろう。だが、この場においてそれは例外ではない。少なくとも、聖教団においては、これがいつも通りなのである。
◇◇◇
時は流れ、現在時刻午前七時。聖教団が本格的に動く時間だ。聖教団の聖徒は全員で十二名。しっかりと全員起床していた。午前三時から祈っていたアニマは、今でもなお祈りを辞めない。何も食わず、花を摘みに立ち上がったりもせず、体勢を変えたりもせずに。
一方、アロンはというと
「……」
自部屋で黙想していた。最初はアロンも聖堂で黙想しようかとも考えていた。ただ、アニマの祈りの言葉が聞こえてきたため、自室にしたのだ。アニマが礼拝中に見つかると強制的に参加させられるのは、アロンからしたら面倒極まりないものだった。
静寂。
祈りの声すら届かない空間で、アロンはただ瞳を閉じていた。
コンコンコンッ……と、音だけ聞けば可愛らしいが、どこか残虐なノックが響いた。
「……誰?」
「アタシ」
簡素な返事。第七聖徒の「セルセロッタ」だ。アロンは顔を顰めた。セルセロッタは問題児だからだ。戦闘狂で、いつ何時も戦闘の事を考えている。戦闘の為に幾つかの感覚を遮断したくらいに、彼女は戦闘に人生を捧げている。
「用件は?」
「別に。飯一緒に食わないかって聞きに来ただけだよ」
「あぁ……そう」
彼女にしてはあまりにも可愛い用件に、アロンは思わず耳を疑う。
「分かったわ」
アロンは立ち上がり、扉を開ける。開けた瞬間、アロンの眉が微かに寄った。セルセロッタを中心に鼻を劈くような強烈な腐敗臭が漂っているのだ。それは、アロンから見て目の前の女から発せられている。
ガビガビに固まった血によって青色の髪は黒色になっており、所々が破れているハビットを着用しているこの女からだ。
「……より一層キツくなってるわね」
「あー……そう? まぁしゃーないよなぁ。もうこれ臭い落ちないし」
「もっと早くから洗っておけばよかったのよ」
「アタシは臭い感じねぇからよ。分かんないんだわ」
「はぁ……」
型破りなセルセロッタにアロンは今日も頭を抱える。そして2人は異臭を抱えながら食堂へと向かうのだった。
食堂の扉を開けると、数名の聖徒が既に席に着いて談笑していた。朝の時間帯はどこか緩やかで、それでいてどこか歪んでいた。
「あらあら〜来たのね〜?」
最初にアロン達の存在に気付いたのは第四聖徒のマニア・モーベラスだった。柔らかいふにゃふにゃした笑みを浮かべながら手を振る。その隣では、第八聖徒のリーベ・ヘルツィカイトが静かに食事を整えていた。
「あ、セルセロッタさん……」
「?」
「その……えっと……」
どうやって相手を傷付けずに臭いのことを伝えようか、リーベは頭の中で言葉を転がしていた。
「悪ぃけど、風呂なら断る。めんどくせぇし」
「あ…………そうですか……」
心の内を見透かされているのが恥ずかしく、リーベは照れ隠しで目を逸らした。
「んじゃま、飯食うか」
リーベなんてそっちのけでセルセロッタは席に座った。一歩一歩と動く度に悪臭が全員の鼻を突く。
「そうね……って、あら?」
アロンも席に着こうとしたところでふと止まる。
「ナノは? さっきまで居たわよね?」
彼女が指している人物は第六聖徒のナノ・エンドロール。つい先程までは席に着いており、マニアとリーベと一緒に談笑していた。
ナノを待ってても仕方ない、アロンはそう考え、席に着いた。そして、気付いた。ご飯ない。
アロンとセルセロッタは遅れてきたからご飯がないのは当たり前だ。
「ちょっと、ご飯持ってくるわね」
そう言ってアロンが立ち上がった時──
「持ってきたよ」
ナノの声がした。声の方をアロンが向けば、ナノが既に2人分のパンを持っていた。
「あ、ありがとう……」
アロンは無言で差し出されたパンを受け取り、席に座り直した。
「貴方も気遣えるのね……」
無意識に口をついて出た言葉だった。
ナノはこれまで、気遣いとは無縁の存在だったはずだ。むしろ、場の空気を微妙に歪ませる側の人間である。
「……そう?」
ナノは首を傾げる。
その仕草はいつも通り──のはずなのに、どこか噛み合っていない。
アロンは一瞬だけ、言葉にできない違和感を覚えた。
だが、それ以上深く考えることはしなかった。
「まさか、私が気を遣えないと思っていたとは……ただまぁ、構わないよ。君たちがなんと思っていようと、結果は変わらないのだから」
「「「……」」」
沈黙。
「……ん〜」
マニアが、場の空気をなぞるように視線を揺らす。
「私、ズュースちゃんにご飯あげてくるわね〜?」
柔らかい声音のまま、椅子を引く。
「え、ちょっ……」
リーベの制止も聞かず、マニアはそのまま席を立った。第三聖徒、ズュース・イヴ。小柄で愛らしい外見も相まって、聖教団内では酷く甘やかされている存在だ。
「馬鹿なこと言うんじゃないわよ」
アロンが冷たい視線をナノにぶつける。
「事実を言って何が悪いの?」
「寝言は寝てから言って欲しいわ。朝から疲れるから辞めなさい」
アロンの言葉にナノは素直に従った。ナノは見た目とは裏腹に意外と素直なのだ。その肝心な見た目はというと、黒ハビットに加えて黒いアイマスク。入団当初は団員のほとんどが敬遠していた。現在では打ち解けている。ただ、意味の分からない発言は絶えない。
「あのアマ……またガキンチョ甘やかしに行ったのかよ」
セルセロッタがパンを齧りながら言った。
「まぁまぁ……ズュースさんは本当に怠惰な子ですから……それに、あの子もマニアさんを好いてるみたいですし……」
「ぁーあ……ったくよ……」
セルセロッタは残りのパンを口に放り込み、席を立った。
「あたひ、そほへへふるわ」
「え、えぇ……またですか……? 昨日も行ってましたよね……?」
セルセロッタはその言葉で足を止め、顔をリーベに向ける。
「体が鈍るんだよ。1日でも怠れば」
それだけ吐き捨て、セルセロッタは食堂を後にした。
この後にセルセロッタがアニマに捕まって午後まで祈らされるなんて、今のセルセロッタは知る由もなかった。
「そういえば……最近アニマさんのお祈りがいつもより長い気がします」
リーベがアロンとナノの顔色を伺いながら喋る。
「あぁ、彼女の行動に理解を示そうとしても無駄だよ。彼女の行動が分かるのは我らが主、エリュシオンしかいないだろうね」
表情筋を一切変えずにナノは告げた。
「そういえば……アニマの話によると我らが主、生きていたらしいわよ?」
「「え!?」」
2人の視線が一気にアロンへと集まる。
「それって本当ですか!?」
リーベが目を輝かせてアロンに詰め寄る。
「え、えぇ。真偽は未だに分からないけど……」
「例え虚偽の情報でも、構わない。姿を拝めるのなら……」
ナノが頭の中で思案する。もし、あのお方に会えたらどんな言葉を掛けようか。素直に気持ちを伝えるか、それとも抱き着いてみようか。そう考えるほどに、彼女らにとってエリュシオンとは救世主的存在なのだ。
「場所は!? 場所は分かってるんですか!?」
「い、いえ……まだなにも……だから、散り散りになって捜しましょう」
リーベとナノはそれぞれ相槌を打ち、落ち着きのない様子で食堂を出た。
それに次いで、アロンも食堂を後にした。




