第五話
「あの子、何者だ?」
「それを知りたくて君を呼んだんじゃないか」
ティリアを部屋に送ってから応接に行くと、ソファーに座ったキアクが背もたれに寄りかかり、足を組んでカップを手にしていた。
淑女にあるまじき振る舞いではあるが、見慣れた姿に、ソンツェは向かいに腰を下ろした。
彼女はモテる。主に女性に。幼い頃から活発ではあったが、それがそのまま大人になったようだ。
負けん気の強さはかつてのリリアンを思い起こさせるが、リリアンは大人になると相応に女性らしく立ち居振る舞うようになったからキアクとは大違いだ。
もっとも、若くして当主という重責を担うなら、このくらい豪胆でいいのだろう。
「貴方を王と呼んだって?」
「そうだね。しかもさっきのあれ、気づいたかい?」
「『暁をもたらす剣にご挨拶申し上げます』と言い出すかと思ったよ」
『暁をもたらす剣にご挨拶申し上げます』
それは吸血鬼狩猟者の当主への挨拶だ。今はもう使われない口上。そして、ティリアが取ろうとした礼もまた、その口上と共に廃されたものだ。
王の名称が廃されたのと同じ頃に。
「さすが、当主には伝わってるんだね。久方ぶりに見たよ。まあ、途中までだったけど」
右の掌を胸の前につけ、一族の、それも狩人の証である石を示しながら左足をひく。
ティリアは咄嗟にそれをやりかけた。すぐに手を腹に移動はさせていたけれど、偶然にしてはあまりに不自然な仕草だった。
「あれを使わなくしてから、ざっと百五十年くらいか……その頃か、それよりも前の一族が彼女の祖先だって可能性はあるかもしれないね」
「そうなら、君たち一族の掟を破った輩がいたってことになるけど?」
吸血鬼狩猟者は一族の人間以外に、一族のことも吸血鬼のこともけして話さない。一族を出ることはできても、それを他言することは許されない。そういう掟だ。
「まあ、そんな輩はいなかったと願いたいけどね」
「吸血鬼狩猟者は君たち以外の一族もいるという可能性は?」
「いるわけないだろう。耄碌したか?」
「まったくさあ。もうちょっと敬ってくれてもいいんだよ?」
「これはこれは失礼いたしました。──王。ま、一緒に食事をして、もう少し様子を見ようか。リュセリアだったか。こっちでも調査は命じておくから。ところで、もうひとつ気づいた? あの子、この石を見てすぐに、貴方を守ろうと前に出た」
ソンツェは、キアクの意外な言葉に目を見張った。
「まさか。王とまで呼んでおいて?」
吸血鬼は、身体能力も生命力も、人のそれを遙かに上回る。ましてや王ともなれば、その中でも最強ということだ。
そのソンツェを、あのいかにも非力な娘が?
「だからじゃないか? 石の意味を知っているとすれば、私は最も脅威になりうる者だ。その吸血鬼狩猟者から守ろうとした……ように見えたけどね」
◇ ◇ ◇
ソンツェが部屋に迎えに行く前に、ティリアは既に食堂の前に立っていた。
迎えに行くと言ったのに、とソンツェが言えば、それは申し訳ないのでと彼女は顔の前で手を振った。
初日と同じモスグリーンのワンピース姿だ。先ほどは髪を後ろでひとつに結んでいただけなのに、今は綺麗に編み上げている。客がいることもあり、彼女なりに気を遣ったらしい。
「髪をあげると雰囲気が変わるね。さっきも可愛かったけれど、大人びた感じで素敵だよ」
早速褒めるキアクに「ありがとうございます」とティリアがはにかんだ。
「キアク、君のそれはもう賞賛に値するね」
「何を言う、ソンツェ。女性は皆、愛らしいが、褒めれば褒めるほど可愛くなるんだぞ? 長く生きていて、そんなことも知らないのか?」
「ティリアは十分愛らしいよ」
「確かに。だが、咲いた花にも水や肥料は必要だ。美しい花だからといって、放っておいていいものではない。ティリア嬢が愛らしいのは同意するが、それが増えて誰が困る」
「えーっと……すみません。その話はそろそろ……」
見ればティリアは真っ赤な顔で俯いている。
熟れた果物のようなその頬はたしかに愛らしいが、困らせるのも本意ではない。
給仕がワインを注ぎ、温野菜と共にミートパイが配された。
ティリアが、ちらちらとこちらを見ているのを感じながら、ソンツェはわざとゆったりと口に運んだ。
咀嚼して、動きを止める。そのまま幾度も噛みしめて、まじまじと皿の上を見る。
綺麗に焼けている。料理人のジーナが作ったと言っても頷ける見た目だ。
知っている味だ。食べたことがある。
ただ、ソンツェが知っているそれは、もっと不格好で、時々は生焼けで、その次は表面のパイ生地をはずして食べるほどに焦げていた。どうにか残さず食べられる出来映えになったのは、たしか五回目のこと。
以来、それは彼女の唯一できる料理として『得意料理』の名を冠した。
「おいしいね! ミートパイは特別好きじゃないんだけれど、これはおいしい!」
「ありがとうございます」
「え、ティリア嬢が焼いたの? うちの邸で料理人をやらない? 本当においしいよ。な、ソンツェ」
「ああ、うん」
「……お口に、合いませんでしたか?」
不安そうに眉を下げるティリアに、首を振って見せる。
「いや、おいしいよ。なんとなく、懐かしい味がする」
「……我が家の、母の直伝です。お口に合ったならよかったです」
目を伏せたティリアは、自身もパイを口に運び、小さく頷いていた。
「キアク。飲み過ぎるなよ?」
「この一杯でやめておくよ。我が家系は揃って酒に弱いのが弱点だと思わないか?」
「まあ、そうかもしれないな」
味は好きなのになぁとぼやくキアクを横目に、ティリアは既にグラスを空けていた。
酒を覚えたばかりだというのに、飲みっぷりがよすぎるようにも思うが、それで酔わないのだから、こちらはキアクと正反対に紛れもない酒豪なのだろうと思う。
「ところでティリア嬢は、リュセリアの出身だって? あそこは海が綺麗だよね」
「それはリュセリアじゃないような……リュセリアは海に面してないので。あ、でも大きな湖がありますよ。すごく綺麗です」
「そうだったかな。勘違いをしていたみたいだ。リュセリアは何がおいしいの?」
「そうですねぇ……羊?」
少し考えて答えたティリアに、キアクが目を輝かせた。
「いいねぇ。羊!」
「キアク様はお好きなんですね。実は私は少し苦手なんです」
「もったいないな。いいなぁ、リュセリア。私も行ってみたい」
「機会があればご案内します。……っていっても、私が住んでいたのは、人よりも牛や羊の方が多いような場所ですけど」
淀みなく答えるティリアには、少しの気負いも見えない。
やがてパイの皿が片付けられて、メインのシチューが運ばれてきた。
「珍しいな、ソンツェ。メインも食べるのか」
「まあ、最近はね」
ちらりとティリアを見てから答えると、キアクは「なるほど」と頷いた。
「ティリアの家でも牛や羊を飼ってたのかい?」
「うちでは飼ってないですけど、羊の毛刈りや牛の乳搾りはできますよ。あのあたりの子たちは、みんな子供の頃から手伝わされますから」
小柄なティリアが羊を押さえつけて毛刈りをする。その様を思い浮かべて、ソンツェは知らず笑みを刷く。
「毛刈りかぁ。料理もできて羊の毛刈りも出来て、ティリア嬢は私が出来ないことがたくさん出来るんだね」
手放しで褒めるキアクに、ティリアは「それしか出来ないですよ」と困ったように笑った。
「キアク様の特技はなんですか?」
「私は、そうだなぁ。──吸血鬼を狩ること。って、知ってると思うんだけど?」
キアクの言葉に、シチューをすくうスプーンを止めたティリアは「吸血鬼を、狩る、ですか」と彼女の言葉をなぞった。
「それは……なんというか……すごいですね」
「さっきの、お辞儀。誰に習ったの?」
「……無作法がありましたか? すみません、貴族のお辞儀はよくわからなくて」
「すごいね、ティリア。このがさつな振る舞いを見て、彼女が貴族だなんてよくわかったね」
「誰ががさつだ!」
その物言いから既にがさつなキアクをいなしながら、横目でティリアを窺う。
ティリアはといえば、少しも動じる様子もなく、口元をナプキンで拭って微笑んだ。
「ソンツェ様のお邸に堂々と入って来られてましたし、おふたりは仲良しですし、当然貴族だと思いました」
「仲良しではない」
「別に仲はよくない」
キアクとソンツェの揃った言葉に、ティリアは楽しそうに声をあげて笑った。




