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王立図書館の茶会までの数日間、私の夜は極めて多忙を極めた。
昼間は「野暮ったく不細工なヴァルデック男爵令嬢クロエ」として王都の路上をのろのろと歩き回り、夜になれば下町の安宿で擬態を解き、エルフの精霊力と闇のヴェールを身に纏う。
そうして王都の屋敷や王立機関の文書庫へと忍び込み、ネズミよりも静かに情報を集めたのだ。
結果として判明した事実は、胸がムカムカするほど不快で、同時に笑ってしまうほど愚かなものだった。
アレン様の上司である王立図書館の館長補佐——ルパート・フォン・バークレー子爵。
彼は職権を濫用し、王立図書館の予算から相当額の金銭を懐に入れていた。さらに、アレン様が寝る間も惜しんで解読・執筆した『古代帝国の灌漑施設に見る現代治水事業への応用』という画期的な論文を盗用し、自分の名前で上位貴族や王立アカデミーへ提出しようとしていたのだ。
そして、アレン様の実家であるセドリック子爵家。
彼らは優秀な先妻(アレン様の亡き母親)の血を引くアレン様を嫉妬と猜疑心から嫌い、後妻の生んだ出来の悪い腹違いの兄・レイモンドを跡取りとして甘やかしていた。
レイモンドは夜会で遊び暮らし、莫大な借金を抱えている。子爵家はその補填のために、アレン様が図書館から得る僅かな給金すら巻き上げていたのだ。
(どこもかしこも、腐りきっているわね……)
安宿の机の上。ひび割れた窓から差し込む月光を浴びながら、私は羊皮紙に記した大量の告発資料を整理した。
以前の私なら、この資料をすぐさま公にして、破滅する彼らを遠くから冷ややかに眺めて終わっていたかもしれない。
だが、今の私には目的がある。
ただ奴らを叩き潰すだけでは意味がないのだ。何よりも優先されるべきは、アレン様が正当な名誉と評価を受け、二度と誰にも不当に踏みにじられない環境を整えること。
どくどく、と胸の奥で熱い血が脈打つ。
(静かに……熱を冷ましなさい、私)
指先に氷の魔力を滑らせ、湧き上がる感情を理性で押し込める。
激情に任せて叩き潰すのではない。エルフの持つ冷徹な計算と綿密な策略によって、奴らが逃げ場を失い、自ら仕掛けた罠に落ちるように誘導するのだ。
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茶会の当日は、雲ひとつない快晴だった。
王立図書館の奥深くにひっそりと存在する小庭園。
大通りから離れたその場所には、古いレンガ造りの回廊と、見事に咲き誇る白と紫のハーブの花々が広がっていた。一般の貴族たちが押し寄せる華やかな社交場とは異なり、静謐な風が吹き抜ける隠れ家のような空間だ。
「クロエ様、ようこそおいでくださいました」
白の木製テーブルの傍らで、アレン様が満面の笑みで私を迎えてくれた。
今日の彼は、普段の地味な書記官の服ではなく、少しだけ仕立ての整った若草色のジャケットを着ている。胸元には一輪の小さな白いハーブが挿されていた。
「アレン様、お招きいただきありがとうございます。まあ……なんて素敵な庭園でしょう」
私は「愚鈍なクロエ」の動作で控えめに頭を下げながら、周囲を見渡した。
テーブルの上には、手作りの小さな焼き菓子と、湯気を立てるガラスのティーポットが用意されている。
「お口に合うと良いのですが。ここにあるハーブは、僕が仕事の合間に手入れをしているものなんです。今日の紅茶は、心を落ち着かせる効果のあるカモミールとレモンバーベナをブレンドしてみました」
アレン様が丁寧にカップへ紅茶を注いでくれる。
澄んだ琥珀色の液体から、甘く爽やかな香りが立ち上った。
一口含んだ瞬間、胸の奥で強張っていた緊張が、スッと解けていくのを感じた。
「……とっても、美味しいですわ。心が洗われるようです」
「本当ですか? 良かった……! 実は、クロエ様にお会いできると思うと緊張して、昨夜はあまり眠れなくて」
アレン様は照れくさそうに目元を和ませ、自分のカップを手にした。
二人の間に、穏やかで優しい時間が流れる。
彼は最近解読に成功したという古代の植物図鑑の話や、街の子供たちに本を読み聞かせたときの話など、楽しそうに語ってくれた。
彼の話す言葉の端々には、生き物や本、そして人々への深い愛情が溢れている。
前世のクソゲーに登場した、どの攻略対象とも違う。
自慢話も、他人を見下す卑小なプライドも一切ない。ただ純粋に、自分の好きな世界を私と分かち合おうとしてくれている。
(ああ……やっぱり、この人は本物だわ)
不細工な仮面の下で、私の心が温かな幸福感で満たされていく。
この人と一緒にいる時間だけは、エルフの孤独も、人間の血の濁りも、すべて忘れて「ただの私」でいられるような気がした。
だが——世界は、どこまでもこの静寂を許してくれないらしい。
「ほう……こんな隅っこで、何をごちゃごちゃやっているかと思えば」
静かな庭園に、ぶち壊すような濁った声が響き渡った。
回廊の陰から姿を現したのは、二人組の男だった。
ひとりは、肥満体で派手な錦織の上着を着た男——王立図書館館長補佐のルパート子爵。
もうひとりは、派手な髪色を整え、高級そうな宝石を身につけた若者——アレン様の異母兄であるレイモンド・フォン・セドリックだった。
ふたりは手にした酒杯を揺らしながら、底意地悪く下品な笑みを浮かべて近づいてくる。
「アレン、お前が公務を放り出してどこへ行ったかと思えば……ハハッ、なんだその貧相な茶会は!」
異母兄のレイモンドが、テーブルの上の手作り菓子を蔑むような目で見下ろした。
「それに……なんだ、その連れは? ヴァルデック男爵家のブサイク娘じゃないか! ハハハ、なるほどな! 無能な平書記官には、壁の粗末な花がお似合いというわけだ!」
ルパート館長補佐も同調して、太った腹を揺らしながら下品に笑う。
「まったくですな、レイモンド様! アレン、お前のような落ちこぼれに王立図書館の庭園を使わせているだけでもありがたいと思え。……おい、ヴァルデック令嬢。さっさと立ち去ったらどうだ? 目の毒だぞ」
アレン様の顔から、一瞬で笑顔が消え去った。
彼はガタリと椅子を引いて立ち上がると、私の前に庇うように立ち塞がった。
「ルパート館長補佐、レイモンド兄様! 僕を侮辱するのは構いません。ですが、ゲストであるクロエ様に対して、そのような無礼な言葉は撤回してください!」
細い肩を震わせながら、必死で声を張り上げるアレン様。
彼自身、この二人には普段から頭が上がらないはずなのに。それでも私のために、恐怖を押し殺して怒ってくれているのだ。
その背中を見つめた瞬間——。
ドクン。
胸の奥で、あの忌々しくも愛おしい「熱」が跳ね上がった。
(……人間の血が、暴れようとしているわ)
殺してやる。
アレン様の澄み切った世界を泥靴で踏みにじるこの豚どもを、今すぐ氷の刃で刺し穿ち、死体も残さず消滅させてやる——。
視界が赤く染まりかけ、指先が痺れるような殺意に支配されそうになる。
(鎮まりなさい……! 鎮まるのよ、私……っ!)
私は奥歯を強く噛み締め、両手をドレスの布地の中で固く握りしめた。
心の中で冷たいエルフの魔力を怒涛のように巡らせる。
熱い血を氷の檻で閉じ込め、激情を「冷徹な知性」へと変換していく。
ここで私が暴走して魔法を使えば、アレン様を巻き込み、彼を恐怖させてしまう。
それに、力でねじ伏せるだけでは、この豚どもは「不運にも災難に遭った」と思うだけで、自分たちの愚かさに気づくこともない。




