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まずは、アレン・フォン・セドリックという青年の「真の実績」の調査。
彼が王立図書館でどのような仕事をし、どのような論文を書き、それがどのように上層部に揉み消されているのか。
セドリック子爵家が彼を冷遇している理由と、その裏にある財務状況。
エルフ特有の優れた聴覚と視覚、そして高度な擬態魔法を使えば、貴族たちの邸宅や図書館の機密文書室に忍び込むことなど造作もない。
人間たちが「不細工な壁の花」として私を無視してくれるなら、それは私にとって最高のエスピオナージュ(間諜)の機会だ。
(アレン様を無能と呼んだ者たちに、思い知らせてあげる。彼らが捨てた石ころが、実はどれほどの至高の宝石であったかを。そして、彼ら自身がいかに愚かで無力であるかをね)
筆先が紙を滑る音が、静かな部屋に響く。
羊皮紙には、緻密な計画の骨子がびっしりと書き込まれていった。
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翌日から、私の「情報収集」が始まった。
『ヴァルデック男爵令嬢クロエ』として、私は王立図書館へと足繁く通うようになった。
目的は表向きには「暇を持て余した不細工令嬢の読書」だが、裏の目的はアレン様の周囲の観察と、図書館の記録の閲覧だ。
王立図書館は、幾重もの重厚な石造りの回廊と、天井まで届く巨大な本棚が立ち並ぶ知識の殿堂だ。
しかし、ここでも階級制度の毒は回っていた。
「おい、アレン! まだその分類作業が終わっていないのか! 本当に手際が悪いな」
「申し訳ありません、館長補佐。ですが、この年代の古文書は保管状態が悪く、不用意に触ると羊皮紙が破損してしまうため、補修を施しながら分類しておりまして……」
「言い訳を聞いているんじゃない! さっさと終わらせろ。お前のような落ちこぼれを置いてやっているだけでも、我が図書館の慈悲なのだからな!」
遠くの回廊から、肥満体の高級書記官がアレン様に唾を飛ばしながら怒鳴り散らしている声が聞こえた。
私は本棚の陰に隠れ、借りてきた分厚い地理の書物で顔を隠しながら、その光景を冷ややかに見つめていた。
(……落ち着きなさい、私。胸の奥の熱を冷やすのよ)
ドクン、と跳ね上がろうとする心臓の鼓動を、氷の魔力で力任せに抑え込む。
またあの「人間の血」が滾りそうになるのを、歯を喰いしばって耐えた。
今ここであの肥満男の頭上に本棚を倒して押し潰すのは簡単だ。だが、それでは何の解決にもならない。
私は呼吸を整え、エルフの鋭い視覚を発動させた。
アレン様が手に持っている古文書の束、そして彼が丹念に書き留めている手元のノート。
(……すごい)
遠目からそのノートの文字を解読した瞬間、私は思わず息を呑んだ。
アレン様が書いているのは、単なる分類記録ではなかった。
数百年前の古代帝国の農政改革に関する記述を解読し、現代の王国の治水事業に応用するための、極めて高度な論文の草案だったのだ。
魔力が低いとされる彼だが、その知識の深さと応用力、そして文献解読の正確さは、王立アカデミーの教授陣すら凌駕するレベルにある。
彼は決して「無能」などではない。
むしろ、この国全体の農業や治水を根底から立て直すことができるほどの「知の怪物」なのだ。
しかし、彼のその素晴らしい功績は、すべて上司であるあの肥満男や、セドリック子爵家によって奪われ、揉み消されているらしかった。
アレン様が書き上げた優秀なレポートは、上司の名義で上に提出され、彼自身には「手際が悪い落ちこぼれ」という不当なレッテルだけが貼り付けられている。
(なんて……なんて酷い……!)
怒りではなく、深い悲しみと憤りが胸を突いた。
己の才能をひけらかすこともせず、不当な扱いに耐えながら、それでも真摯に知識と向き合い続けるアレン様。
彼のその謙虚で美しい心が、腐りきった人間たちの欲望によって利用され、踏みにじられている。
(許せない。……いいえ、許す許さないの問題ではないわ。これは、正されなければならない世界のバグ(歪み)よ)
私は本を静かに閉じ、棚へと戻した。
アレン様はご自身の価値に気づいていない。
周りから「無能だ」「役立たずだ」と叩かれ続けたせいで、自分の素晴らしい才能を「ただの趣味」程度に思い込まされているのだ。
ならば、私が教えなければならない。
彼がどれほど特別で、どれほど価値のある存在であるかを。
そして、彼を虐げてきた愚か者たちに、自分たちがどれほど大きな損失を犯したかを、骨の髄まで理解させてやらなければならない。
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図書館の回廊を歩き、アレン様が作業をしている机の近くへと差し掛かる。
アレン様は上司に怒鳴られた後も、嫌な顔一つせず、丁寧に古文書のページを捲り、壊れた製本を修復していた。
その指先はとても繊細で、本に対する深い愛情に満ちている。
私は「愚鈍なクロエ」の歩調でゆっくりと近づき、彼の視界に入るところでわざと足を止め、お辞儀をした。
「……アレン様。お忙しいところ、恐れ入ります」
アレン様がパッと顔を上げた。
彼の上司からの叱責で暗く沈んでいたはずの琥珀色の瞳が、私を見た瞬間、パッと明るい光を帯びる。
「クロエ様! おいでになっていたのですね」
彼は急いで手を拭い、椅子から立ち上がった。
「はい。来週のお約束の前に、少し本をお借りしようと思いまして。……あの、何かお困りごとでしたか? 先ほど、少し大きなお声が聞こえましたけれど……」
私が心配そうに問うと、アレン様は気まずそうに苦笑いを浮かべ、困ったように眉を下げた。
「ああ……お恥ずかしいところをお見せしてしまいましたね。僕の手際が悪くて、上司を苛立たせてしまったんです。僕は要領が良くなくて……剣も使えず、魔力も人並み以下ですから、せめてここで決められた仕事くらいは完璧にこなさなければと思うのですが、なかなかうまくいきません」
自分を卑下する彼の言葉。
胸が締め付けられるように痛む。
(違うのよ、アレン様。手際が悪いのではないわ。あなたが誰よりも丁寧に、本を傷つけないように心を込めて仕事をしているから時間がかかっているだけなの。あなたの上司が、ただの無能な暴君なだけなのよ……!)
叫び出したい衝動を、必死で抑え込んだ。
今、不細工令嬢の私がそんなことを言っても、説得力がない。
だから、私はただ優しく、心を込めて微笑んで見せた。
「私は……アレン様のその丁寧なお仕事ぶり、とても素晴らしいと思いますわ」
「え……?」
「本を扱う手つきを見れば分かります。アレン様がどれほどこの本たちを愛し、大切に扱っていらっしゃるか。数字や速度だけでは測れない価値というものが、世の中にはあるのではないでしょうか」
アレン様は息を呑み、琥珀色の目を大きく見開いた。
彼の頬がかすかに赤らみ、耳の先端まで赤くなっていく。
「クロエ……様……」
「来週の茶会、とても楽しみにしておりますわ。アレン様のお話をもっと伺いたいです」
「あ……はい! 僕も……僕も、クロエ様にお会いできるのを、心から楽しみにしています!」
彼は子供のように純粋な笑顔を咲かせた。
その笑顔を見た瞬間、私の中でモヤモヤと渦巻いていた冷たい迷いが、綺麗に吹き飛んでいくのが分かった。
私の中に流れる、激しい人間の血。
アレン様を傷つけるものに対する、猛烈な怒り。
それらを抑え込むのではなく、正しく御してみせる。
エルフの冷徹な頭脳と古代魔法を執事とし、私の中に流れる「愛おしい誰かを守りたい」という人間の情熱を主人として。
(見ていなさい、この王国の腐った貴族たち)
私はアレン様に深々と頭を下げ、図書館を後にした。
来週の茶会。
それが、私とアレン様の物語の本格的な始まりであり——
アレン様を虐げてきた愚か者たちに対する、私の「静かな反撃」の第一幕となるのだ。
夕暮れの街並みを歩きながら、私は仮面の下で、密やかに、そしてどこまでも冷ややかに微笑んだ。




