193話 入学式
ミレスの入学式の日となった。
ミレスの大学構内と市街地は鮮やかな花で飾り立てられ、通りはすれ違うのもやっとなほど人で溢れかえっていた。通りの人の服装も、雪国のものを思わせる厚着から、南国の人を思わせる半袖など、多様だった。
ミレスの港湾には、豪華絢爛な旗を掲げる巨大な帆船が五百隻近く停泊していた。帝国のルクスでもこれほどの数の船が一度に港に泊まることはない。
帝国のみならず、多数の人間国家の王族や貴族が集まっている証左だった。
拠点の屋上からそれを眺めていた俺は、少し恐れのようなものを感じていた。
魔王国の王子アシュテやメリエが怖いわけではない。自分の行動が世界にここまでの変化をもたらしたことが怖くなったのだ。
今、俺の隣にいるユリスはずっとこんな思いを抱いてきたのだろうか。
だが、今の本人は何の恐れもなさそうだ。滅多に感情を表に出さないユリスだが、今はむしろどこか嬉しそうにも思える。
俺がユリスを横目で見ていると、ユリスがこちらに気がつく。
「どうしたの、アレク? もしかして不安なの?」
「不安かどうかと言われれば、不安かもしれない。ミレスでは、これからはやりなおし前の知識がほとんど通用しないだろうし」
「私もそうね」
「その割には、あまり怖くなさそうだな」
「新しい景色を見れた喜びの方が強いもの。今回は、アレクも一緒だし」
ユリスはそう言って微笑んだ。嬉しいのか恥ずかしいのか、俺は再び海に目を向けた。
「そうだな……いいふうに進んできている。そう捉えよう」
俺は自分にそう言い聞かせる。
それから俺はエリシアに目を向けた。
「それで、入学式は予定通り?」
「はい。今から二時間後には始まります。すでに新入生とその家族は大学の大食堂や講堂で待機しているようです」
帝国のみならず、アシュテが来ることでミレス入学を取りやめさせた王族や貴族はほとんどいなかった。
一人相手に何をそこまで恐れる──そう馬鹿にされることを、プライドが許さなかったのだろう。子の入学をやめさせるどころか、堂々と入学式に参加する親が多数だった。あの父ですら、このミレスに来ている。
ここ一週間、ミレスでは、各地で各国の王族や貴族が主催する祝宴が開かれるほどだった。各国間の王族や貴族が交流する良い機会だったが、アシュテの入学に対する余裕の演出でもあったと聞く。
ともかく当初衝撃的に受け止められたアシュテの入学も、今では誰も恐れることはなくなっていた。
魔王の子はどんな姿をしているのか、どんな人物なのか、好奇心から来る興味を口にしていた者も少なくなかった。
しかし、今日になってミレスの教授陣が慌てている様子も伝わってきた。
というのも──肝心のアシュテがまだミレスに来ていないのだ。
「それで、アシュテはまだ来ないのか?」
エリシアは頷いた。
「ラーンさんをはじめとして、ミレス周辺の海域と空域を巡回していますが、魔王国から近づく船はありません。人間の国の船に偽装していることも考え念入りに調べてもらってますが、それらしき船はなく」
ユリスが海を見て言う。
「今、ここから水平線に船が見えたとして、普通の船ではとても二時間ではミレスには着かないわ」
「入学式には参加しないつもりか」
エリシアが首を横に振る。
「ですが、ミレス側には、入学式に必ず参加する、と回答したようです」
「必ず、か。やむを得ない事情があったか。あるいは」
ユリスが頷く。
「ここには今、人間国家の重要人物たちが集まっている。人間国家の中で最大の帝国の指導者もいる」
「一網打尽にするのなら、またとない好機だな」
「ええ。でも、そんなことをできるなら、すでに人間国家の一つや二つ、簡単に滅ぼせているはず。それに王を殺したところで、新たな王が立てられるだけ」
「俺もだまし討ちの可能性は低いと思う。でも、どんな手を打ってくるか分からない」
俺が言うとエリシアが即座に答える。
「すでに、ミレス周辺は魔道具で重武装した者たちで固めています。ミレス内部は、私やセレーナなどもおりますし、何よりアレク様がおいでです。アルスをはじめとした各拠点も臨戦態勢ですし、ミレス以外の地域で何が起きてもすぐに異変を察知できるかと」
俺は深く頷いた。
「こちらの迎撃態勢は万全だ。あとは、向こうの出方を待つとしよう」
「ええ。私たちも入学式が行われる中央校庭へと向かいましょう。私は新入生席、アレクは在校生席」
「ああ。ユリス、頼んだぞ」
「そっちもね」
そうして俺たちはミレス大学の中央校庭へと向かうこととした。
中央校庭は大学の中心部にあって、大学最大の広さを誇る校庭。校庭の端から端を歩くまで三分、外周を歩くのに十分もかかる広大な場所だ。
ここでは主に全校生徒が集まる行事や、広範囲に広がる強力な魔法の練習に使われている。
今日に限っては入学式ということもあり、多数の垂れ幕や旗で飾り立てられていた。
俺が中央校庭に到着すると、すでに多くの生徒とその家族が集まっているのが分かった。数千人がこの場にいるようだが、これからももっと増えるはずだ。最終的には、参加者は三万人ほどになる。
これだけ多いと、父もルイベルたちも俺を見つけるのは難しいだろう。
それに俺が向かう先は、在校生の席。まず会うことはない。
俺は同じく事前に入学してもらったメーレを伴い、席へと向かっていく。
だがそんなとき、聞いたことのある声が響いた。
「アレク」
「うん? マレンか」
振り返ると、そこには明るい顔をしたマレンがいた。
会うのは、ノストリア以来。しかし、鼠の王ではない本物の俺は、マレンに助けを申し出たものの断られてしまった。
本来は少し気まずい空気になってもおかしくないが……マレンは特に何かを気にしている様子はなかった。
マレンは笑顔で挨拶をしてくる。
「アレク、戻ってきていたんだね」
「ああ。今まではあまりミレスに来れなかったけど、これからはちゃんと勉強しようと思って……あっ。彼女はメーレだ」
「メーレよ。よろしくね」
メーレはそういって挨拶をした。
「メーレって言うんだね。とても可愛いし……びっくり」
そう言うとメーレは少し照れるように頬を染めた。
「とても可愛いなんて……そんな」
「お世辞じゃないわ。アレク、すごくモテるのね。まあ、モテても仕方ないと思うけど……」
マレンは少し頬を染めてこちらをチラリと見た。
……嫉妬? 何に嫉妬しているのだろうか。
マレンのよくわからない反応に俺は戸惑うが、マレンは咳ばらいをして俺に頭を下げた。
「アレク、ヴェルトワではありがとう」
「あ、気にしないでくれ。こちらこそ力になれなくて悪かった」
俺がそう言うと、マレンは少し考え込むような顔を見せた。
「どうした?」
「……いいえ。ともかく、今度は私があなたの力になるわ。この大学では、私が先輩だしね。何でも言って」
「あ、ああ。ありがとう」
ノストリアの故郷の聖木が戻り、聖木狩りの脅威がなくなったからだろうか、マレンの顔からはかつての影は消えていた。
悪魔の召喚にはもうこだわることもないだろう。これからは大学で何を勉強するのか。いずれにせよ、これから一緒に勉強する仲だ。仲良くしていこう。
そうして俺は右手にマレン、左手にメーレを伴い、席へと就いた。
「メーレって、アレクとどういう関係なの?」
「友達よ。昔、助けてくれてからね」
「へえ。アレクって偉いわね」
「偉いよ。とってもね」
メーレはマレンの問いに自然な雰囲気に答える。あまり色々質問されるとボロが出そうな気がしたが、メーレはすぐに話題を変えた。
「しかし、すごい人だね。こんな沢山の人、帝都でも一度に見ないかも。ちょっと酔いそう」
メーレが言うとマレンも頷く。
「無理もないわよ。これだけの生徒や家族が集まるのは今までなかったんじゃないかしら。例年の入学式は、校庭の一角しか席はないって聞くわ」
「例外中の例外なんだね」
「そうね。教授たちも徹夜で設営していたみたいよ……」
「疲れてそう……」
事実、ミレスの学長たちも史上最大規模の入学式となると忙しない様子だった。
だが、それは設営をしていたから、だけではない。ミレス全域で警備を強化していたからだ。
当然、この式場にもミレスの兵や教員が目を光らせている。
アシュテが何かをしたくても、この状況で何かを起こせるとは思えないが……
そんなことを思っていると、俺は遠くのほうが騒がしくなるのに気が付いた。
新入生の席のほうに龍眼で目を凝らすと、新入生や貴族の注目を集めている者がいた。
──ルイベルか。
俺の弟のルイベル。ミレスの制服に身を包んでいる。
隣に父である皇帝を伴い、席へと向かっていた。その後ろを、ルイベルの護衛たちとその家族がぞろぞろと続く。そこには、闇の紋章持ちであるリーナの姿もあった。
リーナも白い制服姿。しかしいつもの無垢な雰囲気は消え失せ、真剣な表情をしていた。何歳も年上になったような、そんな印象を与えるほどだった。
ルイベル一行の行く手を阻むものはおらず、誰もが自分たちから道を開けていった。
「あれがルイベル殿下。なんと神々しく麗しい」
「【聖神】の持ち主……聖の神に愛されたお方だ!」
新入生たちは口々にルイベルを称賛した。父は、とても鼻が高そうだった。
一方のルイベルはどこか顔が晴れない。そして何かを探すように周囲を見ているようだった。
「あっ、私目が合ったかも!」
「きゃー! ルイベル様、愛してます!!」
「誰か、祝宴でお眼鏡にかなう者を見つけたのかもしれないな」
と、女子生徒とその家族はルイベルの視線一つで盛り上がっていた。
……俺を探しているわけじゃないよな?
そんなことを考えていると、やがてルイベルは席に着いた。
父は少し離れた場所に設けられたひときわ豪華な王族たちの席に腰掛ける。リュセル伯爵はその後方で控えるように立っていた。
ヴィルタスのほうは……ルイベルや父とはずいぶん離れた場所に座っているようだ。
やがてほかの生徒と家族たちも続々と席についていく中、ある声が大きくなってきた。
「アシュテだっけ? 魔王国の王子、来ていないそうだぞ?」
「ルイベル殿下もいらっしゃったし、怖くなったんだろう」
「やはり魔王国など、軟弱な下等生物の集まりだ!」
魔王国とその王子アシュテを嘲笑する声。
アシュテが来ていないと聞いて、安堵する父のような者たちもいた。
しかし俺は周囲を龍眼で警戒する。
どこに何が潜んでいるかわからない。リュセル伯爵たち拝夜教団が呼応して何か行動を起こす可能性もある。
そうこうしているうちに、全員が席に着き始めた。
しかし、新入生たちが演壇近くに視線を向けている一つの席は、依然として空席のままだった。
教授陣たちが校庭の隅に集まり、立ったまま会議を始める。アシュテが結局来なかったことについて議論しているようだ。
しびれを切らしてか、ルイベルの近くに立っていた一人の男子生徒が立ち上がる。
「魔王国の王子アシュテは我々に恐れをなして逃げた!! 早く、入学式を始めろ!!」
その言葉に、王族や貴族を中心に多くの歓声が上がる。アシュテに勝ったと主張したいのだろう。
やがて教授の一人が演壇に上がり、拡声の魔道具を手に話し始めた。
「ご静粛に願います! ……一人欠席がございましたが、時間となりましたのでこのまま式を執り行います」
その声に、さきほどより大きな歓声が上がった。
依然として、眷属たちからアシュテについて報告はない。
では、何のためにミレスに行きたいなんて申し出たのだろうか。
俺は思考に気を取られそうになるが、頭上のはるか高くに、魔力の動きを感じた。
「うん?」
思わず空を仰いだ。
龍眼で見るも、あるのは雲一つない青空だけ。
しかし確かに魔力の揺れを感じる。
空を飛ぶ鳥や魔物でもいるのだろうか。あるいは龍人たちが姿を隠して警戒をしているのか。
いや、もし魔王国に姿を隠す手立てがあるとしたら。
俺は足元に視線を落とす。そこには姿を隠した鼠人たちがついてきてくれている。
「──空だ。空から来る」
校庭の上空に、膨大な魔力の反応が現れ始める。
鼠人たちはいっせいに走り出し、ユリスや他の眷属に伝令へと向かった。
俺はすぐに魔法を放つ準備をする。
マレンが不思議そうな顔で訊ねる。
「空?」
そう言ってマレンは空を見上げた。
まだ、空は青空のまま。しかしすぐに、隠れていた何かが姿を現した。
「巨大な、船?」
俺たちの頭上には、空を覆う巨大な帆船が浮かんでいた。




