194話 落ちてきたもの
空に巨大な帆船が突如として現れた。
影が校庭を覆いあたりが暗くなると、誰もが一斉に顔を上げた。
「な、なんだ、あの船!?」
「船が空中に!?」
「で、でかすぎる!」
普通の帆船の十倍はあろう大きさの巨大な船が、突如として空に現れた。
側舷に巨大な翼を取り付けた巨大な船。
どう浮かんでいるのかは分からないが、人間が作れるような代物ではないのは分かる。それにこれほどの大きな船を浮かべ、しかも魔力や姿を隠蔽してここまでやってきたのだ。
俺はすぐにそれが魔王国のものであることを察した。
普通の人間の船や魔法では、とても敵わない──この場にいた者のほとんどは、そう思ったはずだ。
【転移】で一人で向かい対処すべきか。しかし、俺たちは魔王国の手の内を把握しているわけではない。一人で船に向かったところで、どんな罠があるか分からない以上、袋の鼠だろう。文字通り、船が袋になりかねない。
そもそも、俺を誘い出そうとしている可能性もある。
ここは一旦、向こうの出方を窺おう。攻める準備はできていないが、守る準備はできている。
しかし周囲は、俺のように冷静ではいられなかった。
「う、うわぁあああああ!!」
先ほど声を上げた新入生の一人は席を立つと、声を上げて校庭の外へと走り出す。
やがて恐怖が伝播したのか、次々と生徒と家族が席から逃げ始めた。
小島ほどの大きさはある船が上空へ浮かんでいるのだ。俺もやりなおしの前なら、逃げていた。
「落ち着いて!! 教員各員は、生徒たちの避難誘導を!! 兵士は臨戦態勢を!!」
演壇の教授がそう命じるが、生徒はおろか教員にさえ伝わっているか怪しい。
やがて俺たち在校生の席の周囲も大混乱となり、群衆が一気に外へと走り出した。
「アレク、どうする? 鼠人たちが各所に伝えてくれたとは思うけど」
メーレは落ち着いた様子のまま小声で尋ねてきた。この喧騒の中では、マレンには聞こえていないはずだ。
一方のマレンも不安そうに船を見上げてはいるが、逃げ出すことはなかった。
俺も小声で答える。
「様子を見る。魔法を撃ってくるようなら、まずはそれを防ごう」
「分かった。しかし、大変な騒ぎだね……」
先ほどまでアシュテを侮っていた貴族たちの姿はどこへやら、大半が逃げていく。
しかしルイベルの護衛たちは意外にも多くがルイベルの周りに残っていた。逃げ出したのは先ほど声を上げた者と数名だけ。
リュセル伯爵の選抜が優れていると見るべきか。
一方のルイベルはその護衛に促されて、校庭の外へと向かおうとしていた。
父である皇帝も護衛たちに連れていかれながら、ルイベルへと声をかける。
「命を賭してルイベルを守るのだ!! リュセル伯爵、あとは頼むぞ!」
その言葉が響くより前に、リュセル伯爵はルイベルのもとへと駆けていた。
他の新入生や家族、在校生たちも続々と逃げていく。
こうして見ると落ち着いている者も多い。
ある集団が目に入ったが、それは魔族の新入生の集団だった。中央の男はフードを目深く被っているが、強力な魔力を体に宿している。
ヴィルタス、か。
ヴィルタスたちも動揺はしているが、比較的落ち着いて状況を見守っている。周囲の魔族は忠誠心からか、ヴィルタスを守るために残っているようだ。
安全な場所に逃げるより、何が起きるかを見ておきたいのだろう。
一方でリュクマール王国の王女ネーレをはじめとした一部の新入生は、逃げる際に転んだ者などを気遣ったり、避難誘導の手助けをしていた。
邪龍に襲われていたときも彼女は身を挺して皆を守ろうとしていた。相変わらず立派な王女だ。
そんな中、さらに上空に異変が起きる。
船の両舷の穴から、無数の赤い光が水平に発射された。
来るか──だが、なんだこれは。
赤い光に魔力の反応は一切ない。煙の線を引きながら飛んでいく。
魔法ではないのは確か。爆薬か何かか?
しかし光は水平に広がるだけで落ちてくる気配はない。
その光を見るや、周囲の恐怖はさらに大きくなった。
ルイベルの護衛が次々と逃亡をはじめ、ヴィルタスも部下の魔族に促され退避を余儀なくされる。
野次馬精神で残っていた者も、あの光で消え失せた。
そこへ追い打ちをかけるように、船から何かがこちらに向かって落ちてきた。
俺も見たことのない膨大な魔力の塊。龍眼で目を凝らすと、それは高速で落下し、輪郭を捉えることが難しい。だが、人型の何かであることはわかった。
四肢のある人に似た存在。オークだろうか。いや、手足が短い。ゴブリンかもしれない。
ただ落下しているのではない。地面に高速で向かっている。
「な、なにか落ちてくるぞ!!」
「おしまいだ!!」
周囲の混乱と恐怖は最高潮に達した。
強力な魔法が落ちてくる──そう誰もが感じた。
だが、あれは魔法ではない。物体だ。
とはいえ、その物体がいつ魔法を使ってくるか分からない。
俺も手に魔力を宿し、いつでも魔法を使えるようにした。
そんな中、逃げていたルイベルが地面に転んでしまう。
ルイベルはすぐに立ち上がろうとするが、体の震えのせいで立ち上がれないようだった。
そんなルイベルの近くに、落下物は落ちてくる。
俺は落下物の針路が少しずれたことを見逃さなかった。
……意図的にルイベルに向かってくる?
ルイベルは帝国の皇子にして、【聖神】の紋章を持つ最有力後継者。
それを知っているなら、ルイベルを殺そうとしてもおかしくはない。
ミレスで殺戮を起こさせるのは許せない。
──撃ち落とすか? しかし、何か妙だ。
あれほどの魔力とあれほどの船を持っているのなら、遠くから容易に攻撃を加えられるはず。わざわざ近づく理由がない。
まだ、様子見だ。しかし、対処できるようにはしておく。
ここからでは魔法の射線がルイベルと被る可能性がある。移動したほうがよさそうだ。
この状況で《転移》や《隠形》を使っても誰も見ていないと思うが、断言はできない。走って向かうしかないか。
俺はマレンが落下物にくぎ付けになっているのを確認し、メーレに伝える。
「ルイベルのところへ行ってくる。いざというときは、援護を」
「分かった」
そうして俺はルイベルのもとへと走った。
落下物がいよいよ近づいてくると、ルイベルの護衛のうち貴族のほとんどがルイベルを見捨て逃げ出した。
残った者はリーナと俺の眷属たち。貴族の者は数えるほどしかおらず、ほとんどが眷属たちの後ろに控えていた。
一方で俺は、落下物の動きに違和感を抱いていた。
先ほどの勢いはどこへ行ったのか、速度は徐々に落ち始めた。
やがて地面に近くなるころには、まるで落ち葉が着地するようにふわりと降りてくる。
その頃には、落下物の姿形を捉えられるようになっていた。
「子供──」
降り立ったのは、ミレスの白い制服に身を包んだ子供だった。
金色の短い髪は肩の近くで切りそろえられ、ふんわりと風に揺れている。陶器のような肌、ルビーのように煌めく赤い瞳。少女なのか少年なのか分からぬ中性的な顔立ちをしていたが、制服はミレスでは男子が多く着るズボンだった。
子供が着地すると同時に、空の赤い光は巨大な花火へと変わった。
鳴り響く花火の音。周囲の恐慌は一転、謎の静寂に包まれた。
子供は真っ先にルイベルへと顔を向けた。
「大丈夫か?」
子供はルイベルを心配そうに見つめると、そのまま尻をついていたルイベルのもとへと歩み寄ろうとした。
そのただならぬ雰囲気に、ルイベルも俺の眷属たちも一歩も動けなかった。
しかしリーナだけはその行く手を阻むように立ちはだかる。
「ルイベル殿下に近づくな」
「なぜだ? なにやら、彼はとても怯えている様子だ」
ルイベルの座る地面は濡れていた。
しかしルイベルはそれを恥ずかしがることもなければ、子供を恐れる様子もなかった。ただ、驚いたように子供を見つめている。
ルイベルだけでなく、他の生徒たちもそうだった。見たこともないほどの規模の花火や先ほどまでの船には目もくれず、この子供にくぎ付けとなっていた。
そんな中、遠くから声がかかった。
「もしや──魔王国、アシュテ殿下であらせられますか!?」
その声に、周囲が再びざわつく。
問いかけたのは、ミレスの教授だった。
アシュテは教授に顔を向けると、大きな声で返した。
「いかにも!! 余が──アシュテルだ!!」
校庭中に響くような声量で、アシュテ──いや、アシュテルは宣言した。
「アシュ、テル?」
「王子はアシュテじゃなかったのか?」
「言い、間違え?」
周囲からそんな声が響くと、アシュテはすぐにはっとした顔をする。慌てて言い直す。
「──違った!! アシュテだ!! 我こそが魔王国を統べる魔王国の王子、アシュテその人だ!!」
先ほどよりも大きな声を、アシュテは響かせるのだった。




