326・女神祭
──おい──アーヌ──っ。
私を呼ぶ声。
「ふわぁ……はい?」
目を開け、上半身を起こします。
ベッドから起き上がり、扉の鍵を開けます。
すると、間髪入れずに赤髪の男性が中に入ってきました。
「汝は、いつまで寝ているつもりだ! 我が起こしにきてやったぞ」
誇らしげに腰に手を当て、そう告げるのはドグラス。
燃えるような真っ赤な髪に、褐色の肌。
背も高く、鍛え上げられた肉体美を、私は自然と見上げる形となりますが、不思議と威圧される感じはありませんでした。
「ドグラス……あなたにしては、珍しく早起きですね。まだ早朝ですよ」
欠伸をしながら、そう答えます。
寝坊したかと思い城内の声に耳を澄ませますが、まだ騒がしくありません。
この王城に住んで、もう二年以上は経ちますからね。
城内の雰囲気を感じるだけで、大体の今の時刻が分かるんです。
しかし、ドグラスはどこか不満げに。
「なにを悠長なことを言っているのだ。祭りがとうとう明日に迫っているんだぞ?」
「それはそうですが……」
「準備もあるし、早起きして損なことはあるまい。何故なら、明日は待ちに待った女神祭当日なのだからな!」
ドグラスが無邪気な子どものように、ばっと両腕を広げます。
女神祭──。
ドグラスの言葉を聞いて、私は今までのことを思い出しました。
私はベルカイム王国の聖女でした。
聖女として結界を張り、ベルカイムを守っていましたが、当時の婚約者であるクロードに婚約破棄と国外追放を告げられ、国を去ることになります。
隣国リンチギハムに向かう道中で出会ったのがナイジェル。
彼はリンチギハムの第一王子でした。私はナイジェルの厚意に甘え、リンチギハムに移り住むことになります。
その後は、リンチギハムの地で完全復活を遂げた魔王に打ち勝ち、ナイジェルは国王の座につきます。
国王と王妃、そんな立場となった私達は世界平和を実現するため、先日とある場所に向かいました。
それが、東方の国『アマツ』。
アマツの王──姫であるミツハちゃんに頼まれ、私たちはアマツを襲う脅威《赤き災厄》に立ち向かうことになります。
その際、ある事実が発覚します。ミツハちゃんの専属侍女──シキが、滅んだはずの魔王が復活したお姿だということです。
私達は彼女の力も借り、《赤き災厄》を打倒しました。アマツに平和が訪れたのです。
ですが、レティシアが魔王信教の支部で出会ったリュシアンの行動も読めませんし、まだまだ謎は残ったまま。
アマツからリンチギハムに帰ってきて、結構な日にちが経ちましたが、私たちは女神祭の準備に付きっきりになってしまっていました。
「それとも、そんな大事なことも忘れてしまったのか?」
「もちろん忘れていませんよ。リンチギハム復興を印象付けるためにも、必ず明日の女神祭は成功させなければなりません。そのために今日まで頑張ってきたんですから」
手櫛で髪を整えながら、ドグラスに答えます。
女神祭とは五年に一度、リンチギハムで開かれるお祭りのことです。
聖女と深く関係している女神ですが、同時に五穀豊穣や国家繁栄の象徴とされ、古くからリンチギハムでも信仰されてきました。
何故五年に一度なのかというと、様々な説があり、一つは女神の祝福が大地を巡るのに五年かかると信じられているからという説。
または大昔、女神を信じる人たちの間で行われていた巡礼が、およそ五年周期だったからという説もありますが、今となってははっきりしません。
ただ五年に一度開かれる女神祭は盛大に行われ、当日は笑い合う人々が大勢街を往来するという話を聞きました。
「もっとも、私は女神祭に参加するのが初めてなんですけれどね。ベルカイムにいた頃は、ろくに城の外にも出してもらえなかったですし……」
ベルカイムにいた頃のブラック労働を思い出しながら、苦い気持ちになります。
「うむ。当然だが、我も初めてだ。だが、当日は旨いものがたくさん出るのだろう?」
と、ドグラスはそわそわした様子で、口元に指を当てます。
「そうですね。ですが、あまりはしゃぎすぎてはいけませんよ。当日には、たくさんの人々が祭りを楽しむのですか──」
「エリアーヌ」
ドグラスと話をしていると、次にナイジェルが部屋に入ってきました。
「おはよう、もう起きてたんだね。ドグラスもいるみたいだけど……なにか大事な話でもしてた?」
「いいえ」
私は首を横に振ります。
ナイジェル・リンチギハム。
黄金の髪は柔らかく揺れ、凛々しい顔立ちは一国を背負う国王としての頼もしさを感じました。
リンチギハム現国王陛下であり、私の夫でもあります。
今日もナイジェルは早朝だというのに髪がきっちりとセットされ、爽やかな笑顔を浮かべています。
「女神祭について話していました。ナイジェルは今まで、何度か祭りに参加したことはあるんですよね?」
「もちろん。とはいえ、それはリンチギハムの第一王子として、だ。国王になってからは初めてだよ」
澱みない口調で、ナイジェルがそう答えます。
「やっぱり、国王ともなると忙しいね。明日に向けて、大忙しだよ。顔色一つ変えずにこなしていた父上を尊敬するばかりだ」
「十分やれていますよ。自信を持ってください」
ナイジェルの父上──私の義父でもある先代国王陛下は、重責からも解放されて、祭りを一国民として目一杯楽しむんだと意気込んでおられました。
変装して祭りに繰り出すらしいですが、果たして他の方々は認めてくれるでしょうかね……?
「おい、ナイジェル。今日も祭りの準備をするつもりだろう?」
「うん。まあ、もうほとんどやることは終わっているけどね。今日は最終確認のために、街中を歩き回るつもりだったのさ」
「だったら、我も行く。明日が祭りとはいえ、もう今日の内から旨いものを出す出店が並んでいるはずだ。当日にトラブルがあってはいかん。我が一足早く味見してやろうではないか」
「いいね。でも、ドグラスには──」
ナイジェルがそう言葉を続けようとした時でした。
「ドグラスー!」
『やはり、ここにいたか』
ラルフちゃんと共に、セシリーちゃんが現れました。
「あっ、エリアーヌのお姉ちゃんとにぃにもいるの! おはようなの!」
「はい、おはようございます」
彼女にそう微笑みかけます。
セシリーちゃん。
ナイジェルの妹であり、リンチギハムの第一王女。まだまだ幼くて子どもらしい無邪気さが残っていますが、私に続いて聖女の力に覚醒した女の子。
そして、彼女と一緒に現れた大きい犬……もとい、フェンリルのラルフちゃん。
もふもふした毛並みが特徴的で、ここでラルフちゃんの声を聞けるのは聖女である私とセシリーちゃん、そしてドラゴンのドグラスの三人だけです。
「セシリー、どうしたんだい? ドグラスになにか用かい?」
「うん! ラルフがお祭りのために、城内を飾り付けしようって! 重いものも持たなくちゃいけないから、探してたの!」
セシリーちゃんがそう言うと、ドグラスは嫌そうに眉に皺を寄せます。
「いや、我は街の視察を……」
「早く行くの! ラルフもドグラスを頼りにしてるの!」
『くくく……自分だけ旨いものを食うつもりだったか? そういうわけにはいかん。ドラゴンも我らに付き合うのだ』
セシリーちゃんがドグラスの服の裾を握って、部屋の外へ連れ出そうとします。
無理やり振り解くことも出来たでしょう。ですが、楽しそうなセシリーちゃんを前に抵抗があったのか、ドグラスも仕方なく部屋から出ていきます。
セシリーちゃんはくるっと振り返って、
「エリアーヌのお姉ちゃん、頑張ってね!」
と言い残し、部屋から出ていきました。
「どうやら、セシリーに気を遣われたみたいだね」
「そうですね」
ナイジェルと共に苦笑します。
重いものを持つだけならドグラスでなくても十分だと思いましたが、きっとセシリーちゃんは空気を読んで、私とナイジェルを二人きりにしてくれたのでしょう。
まだまだ幼い女の子だというのに……セシリーちゃんが今より成長したら、どれだけ魅力的な女性になっているんでしょう?
「セシリーも気を遣ってくれたし、僕たち二人だけで行こうか。エリアーヌはまだ、朝の準備がいるだろう? 待ってるから、終わったら僕の部屋に来てほしい」
「分かりました」
その後、メイドのアビーさんが部屋に来て身支度を手伝ってくれて、ナイジェルと街に繰り出すことになりました。





