318・反吐が出る
「魔王」
話の輪から外れて。
一人ぽつんと街中を眺めている魔王に、私はそう声をかけました。
「どうした、聖女よ。まだ妾に言い足りないことがあるのか?」
顔を向け、訝しむように言う魔王。
「それもありますが──あなたもお腹が減っていると思いまして。はい、おむすびです。正気に戻った住民の方々が、分けてくださいました」
と、私は彼女におむすびを差し出します。
「いらぬ。人間の施しを受けるつもりはない」
「そんなつもりはありません。あなたにはこれから、もっと働いてもらわなければならないですから。いざという時に空腹で動けなくなったら、私も困るでしょう?」
「……ふん」
鼻で息をして、魔王は強引に奪い去るように私からおむすびを受け取ります。
「人の体は不便なものよ。空腹を感じれば食物を摂取したくなるし、しなければいつか死ぬ」
「感動が多いと言ってください。美味しいご飯を食べれば、幸せな気持ちになりますから」
「なるほど。物は言いようだな」
愉快そうに言い、魔王はおむすびを一齧りします。
「旨い──」
続けて、噛み締めるように魔王が呟きます。
「具は……梅干しか。当初は苦手だったが、食べ続けてみると、なかなかどうして……いつの間にか、旨いと感じるようになっていた」
「魔王も食べたことがあったんですか?」
「当然だ。一年ほど、アマツで暮らしてきたからな。食事というのはただの栄養補給だというのに、人間はわざわざ美味しさを求めようとする。不可思議だ」
ぺろりと平らげ、自分の指を舐める魔王。
「……思っていたが、『魔王』と呼ぶのはやめないか? 一度ナイジェルに負けておいて、魔王と呼ばれるのは惨めな気分になる。妾に王を冠する資格はない」
「でしたら、なんと呼べと?」
「シキと呼べばいいではないか。今の妾はシキだ。もっとも、ここで喋り方をシキ仕様に戻す気はないがな」
からからと笑う魔王。
そんな魔王の隣に、私は腰を下ろします。
「分かりました。では、シキ……先ほど、一つ聞きそびれたことを質問してもいいですか?」
「なんだ?」
魔王──いえ、シキの表情に警戒色が浮かびます。
「どうして、シキは私たちに協力してくれるつもりになったのか──と」
「ほお?」
「記憶が戻って、あなたがこれからなにをするつもりか分かりません。ですが、あなた一人でしたらアマツを見捨て、国外に逃亡することも可能だったはずです。なのに、どうして《赤き災厄》に立ち向かう気になったんですか?」
アマツが滅べば、いずれ《赤き災厄》は世界中に猛威を振るうと予想されます。
そうなれば、世界中どこに行っても逃げ場はありません。
ですが──今のシキはそれほど自分の生に執着があるとは思えません。
なのに、ミツハちゃんの覚醒を促しただけではなく、私たちと共に戦う気になったのか……と疑問を覚えました。
私の質問に、シキは少し考え込むそぶりを見せ。
「……フタバとの約束だからな」
「え?」
「なんでもない」
聞き返すと、シキはまるで都合の悪いことを聞かれたかのように、露骨に視線を逸らします。
「妾は気に入らぬだけだ。一度ナイジェルに世界平和の夢を託したというのに、それを邪魔する輩がな。とはいえ、今の妾一人では《赤き災厄》は御せぬ。だから、貴様らの力を借りようと思っただけだ」
うーん……それだけが理由とは思えませんが、これ以上問い詰めてもシキは答えてくれそうにありません。
「……シキとして一年過ごしてきたなら、あなたの目から見て、この世界──そして人間はどうですか?」
一旦納得し、話題を変えます。
「反吐が出る」
即答するシキ。
「このおむすびを作ってきたヤツもそうだ。さっさと船に乗って逃げればいいのに、街に留まっている。魔族なら自分の身しか考えぬゆえ、無力な者はさっさといなくなっている」
「きっと、なにか守りたいものがあるんですよ」
吐き捨てるシキに、私はこう答えます。
「大切な人……大切な街。戦う力を持たなくても、逃げては大切なものを守れないかもしれない。だから、この街に留まって、私たちに協力してくれるんだと思います」
「…………」
「人々の絆……と言い換えてもいいでしょうか。あなたには絆の強さがよく分かるでしょう? だからです」
人には負けると分かっていても、立ち向かわなければならない時があります。
リンチギハムでの魔王との戦いも、ほとんどの住民は街に留まりました。
もっとも、海上も決して安全ではないと考え、街に留まり続ける選択をしている者もいるでしょうが。
「やはり、食事に美味しさを求めることといい、人間は不可解な生き物だ。だが……」
シキはぽつりと呟き。
「……分からないからこそ、妾は人間に負けたのだろうな。大切なもののためなら、無力でも立ち向かう人間の勇気に」
「かもしれませんね」
一度……いえ始まりの聖女がいた頃から数えると、二度も三度も世界を恐怖に陥れた魔王。
ですが、今の彼女は一人の悩み苦しむ、普通の女性のように見えました。
「ん……」
胸ポケットから甲高い音が聞こえ、私はそれを取り出して、耳に当てます。
『あっ! エリアーヌ? 繋がった!』
すると、念話機の向こうからはレティシアの声が。
『全く……大事なところで繋がらなくなるなんて、タイミングが悪すぎよ。あんたに伝えたいことがあるのに』
「リンチギハムに帰れば、改良しなければなりませんね。それよりもレティシア、伝えたいことというのは?」
『そうそう。魔王信教は──』
レティシアが説明を始めます。
とはいえ、今となってはほとんど知っている情報。
赤影の首謀者はサネモリさん。彼は魔王信教の信者として《赤き災厄》をアマツの地に召喚しようとしている……と。
レティシアからの話を聞き、私もアマツの現状を手短に伝えます。
『そうだったのね……《赤き災厄》が顕現……わたしがもっと早くに知らせていれば、結果は変わっていたかもしれないのに』
「そう言わないでください。レティシアが月隠宮のことを教えてくれたからこそ、《赤き災厄》が完全になる前に気付けたのですから」
悔しがるレティシアに、私はそう声をかけます。
「ですが、レティシアもよくそこまで情報を掴めましたね。なかなか大変だったんじゃ?」
『ええ。おかげさまで魔王信教の教皇とも出会しちゃって、さっき戦ってきたところよ』
「た、戦ってきた!? お怪我はされていませんか?」
『大丈夫よ。あっちも何故か、全然本気じゃなかったみたいね。わたしの実力を確かめたかっただけでしょ』
私に気を遣わせないようにしているのか、軽い口調で言うレティシア。
『まあ、それはあんたがリンチギハムに戻ってから、詳しく話すわ。そんなことより、今は魔王信教と《赤き災厄》のこと。もうちょっと情報を得たかったけど、支部に結界が張られて、中に入れないのよ。だから今はベルカイムに戻ってるところ』
そういえば……耳をよく澄ましてみれば、馬車が動く音が微かに聞こえます。
支部を出て、ベルカイムに急いで帰っているところなのでしょう。
ですが。
『このまま帰るつもりだったけど……わたしもアマツに行こうか? ちょっとは力になれると思うから』
疲れた体に鞭打って、レティシアはそう言ってくれます。
「ありがとうございます。ですが、大丈夫です。船でここまで来るのに時間がかかるでしょうし……今のアマツに船を出してくれる人がいるとは思えません。あとはゆっくりしてください」
『そう……だったら、お言葉に甘えさせてもらうわ。あんたに任せていれば、大丈夫だろうしね』
そう言うレティシアの言葉には、私への信頼が含まれているように思えました。
『あーあ……こんなことがなかったら、あんたとゆっくりお月見でもしたかった。せっかくキレイな満月も出てるんだから』
「そうですね──ん?」
先ほどレティシアが口にした言葉に違和感を覚え、私は聞き返します。
「レティシア、もう一度言ってください」
『え? お月見でもしたかった、って言ったのによ』
「その後です」
『あんたも変ね。キレイな満月って言ったのよ』
再度聞き、私は推測が確信に変わっていくのを感じます。
「シキ……もしかしたら、《赤き災厄》の居場所が分かったかもしれません」
見上げると、夜空には変わらず赤い月が妖しく昇っていました──。





