315・情けない姿を見せるな
赤影に乗っ取られた人々から離れるように走り、私たちは路地裏に逃げ込みました。
「ちっ……我ともあろう者が、こんな情けないことを……」
ドグラスが悔しさで歯軋りします。
「なんとかならないのかな?」
「今は逃げることしか出来ません」
ナイジェルに、私はそう答えます。
当初、追いかけてくるのは五、六人でしたが、今では十数人まで膨れ上がっています。
こうしている間にも、「聖女はドコだ」「サガせ」「コロせ」という声がいたるところから聞こえてきます。
「やはり、《赤き災厄》を探すところから始めなければなりません。大元を絶てば、赤影の影響は消えるはずですから……」
『イタ──』
そう話し始めると、私たちの居場所が見つかり、人々が集まってきます。
……これでは落ち着いて話をすることも出来ませんね。
路地裏を出て、私たちは再び走り始めます。
夜空に浮かんだ赤い月はさらに輝きを増し、街は不気味さで覆われていました。
なにか……救いの手があれば!
神にも縋る思いで走っていると、私たちは足を止めます。
目の前には──巨大な赤影が。
「逃げるだけでも精一杯だというのに、ここにきて赤影が立ち塞がるか。こやつは我でも、少々手こずりそうだ」
ドグラスの額からつーっと細い汗が滴ります。
その赤影は、まるで陸に上がった鯨。見上げんばかりの巨体が、歓喜するように咆哮を上げます。
「……しかも、後ろはアマツの人々か」
ナイジェルが後ろを振り返ると、赤影に乗っ取られた人々が私たちに追いついてきました。
前には鯨のような赤影。
後方にはアマツの人々。
逃げ場がありません。
「エリアーヌ、下がっていよ。まずは目の前のこやつを始末する。ナイジェル、汝はエリアーヌを守っていろ」
「ドグラス一人でやれるのかい?」
「やるしかなかろう。もう出し惜しみは出来ぬ。『竜の騎士』に──」
ドグラスが切り札を切ろうとした瞬間。
「情けない姿を見せるな、聖女──そして真の王よ」
ズシャアアアアアアアン!
突如、大きな斬撃音が立ったかと思うと、鯨のような赤影が真っ二つに割れます。
赤影は煙となって霧散し、その先から現れたのは──。
「シ、シキさん!? それにミツハちゃんまで……」
城で待機しているはずの、二人の姿でした。
シキさんはいつも使っていたはずの刀ではなく、何故だか、月隠宮から持ち帰った魔王の剣の模造品を右手で握っています。
その剣で、巨大な赤影を一刀両断に斬り伏せたのでしょう。
混乱している間に、シキさんはミツハちゃんとゆっくりこちらに歩み寄ってきました。
「ど、どうして城で待機しておかなかったんですか!? ここは危険で……」
「エリアーヌばかりに任せておれぬじゃろう!」
そう口にするミツハちゃんは、心なしか城を出る前より頼もしく見えました。
「余も戦う! そのためにシキと共に参上したのじゃ! もう余は怖がらぬ。余にはまだするべき使命があるのだから!」
はっきりと告げるミツハちゃん。
今の彼女は、十歳の子どもではなく、まるで立派な大人になったかのようでした。
「悠長に話し合っている場合ではないぞ。まずは目の前のことを片付けるべきだ」
シキさんの視線を追うと、アマツの人々は襲いかかろうともせず立ち止まり、困惑しているようでした。
正気は失っていますが、一瞬で鯨のような赤影がやられ、危機を感じているのでしょう。
ですが、それも時間の問題。
徐々に戦意が湧いてきたようで、目の力をさらに強いものとします。
「その通りだね」
「うむ。聞きたいことは山ほどあるが、後にしてやろう」
ナイジェルとドグラスも、戦う姿勢を取ります。
「行くぞ。まずはあやつらを蹴散らす」
「シ、シキさん? 随分と雰囲気が変わったような……それに口調まで……」
シキさんからは、今まで感じていた丁寧でおとなしい雰囲気は一切感じません。
私が問いかけると、シキさんは一瞬きょとん顔。
そして楽しそうに。
「くくく……まだ気付かぬか? 妾たちは、一年前にあれほど戦ったではないか」
「一年前……?」
彼女の口調に違和感を覚えていると、シキさんはゆっくりとメガネを取ります。
そしてメガネを乱暴に捨て去り、体内から魔力を放出します。
一括りにした髪も解き、その立ち姿はまさしく威風堂々としたものでした。
「「「……っ!?」」」
ここまできて、私たちはようやく気付きます。
「この魔力……っ!」
間違いありません──。
目の前に立たれるだけで、両足が震えるような邪悪さ。
絶対的な君主の風格を併せ持ち、彼女の目は妖艶な輝きを放っていました。
私は震える声で、彼女の本当の名前を呼びます。
「魔王──!」





