279・絶望の再来
「魔王様ああああああああ! 諦めないでください!」
──しかし、そう簡単に幕は下りなかったのです。
耳障りな声。
火の玉が突如として魔王の前に出現し、必死に呼びかけていました。
声から判断するに……宰相と呼ばれる上級魔族でしょう。
「魔王様! 私めの体を喰らい、回復に努めてください! 聖女の魔力も尽きかけています。今なら……」
「無粋なことはやめろ。最後の晩餐に、貴様の魂はあまりにも不味すぎる」
魔王は最後の力を振り絞り、右腕で宰相を叩き落とします。
火の玉が消滅──したかと思ったら、私達の遥か頭上に現れていました。
「なんということだ! 魔王様がほだされてしまった! しかし私は諦めませぬ! 今からあちらの世界に行き、人間どもを駆逐する! たとえこの身が滅んでもな!」
「ナイジェル!」
「うん! させないよ──」
私が声を上げるとナイジェルは察し、再び剣を強く握ります。宰相のもとへと跳躍しようと膝を曲げ──。
「え?」
だけど握っている剣がポロポロと崩れ落ち、形をなくします。
戸惑っている間に、宰相は姿を消してしまっていました。
「……どうやら、剣の寿命だったようだね。大事な剣だったとはいい、さすがに渾身の一撃には耐えられなかったか」
「そのようですね」
だけど私達に焦りはありません。
「さて……どうするつもりだ?」
試すような口調で魔王が問いかけます。
「もちろん、この世界から脱出し、宰相を仕留めるよ」
「そうか。だが、ヤツはしつこいぞ? ヤツのしつこさには目を見張るものがある。魔族界を統一する際、ヤツに慈悲をかけ、妾が真っ先に配下に加えた。生半可な力では、また再生するだろう」
「ならば、それ以上の力で返すだけだ」
「よくぞ言った。本当に……ヤツは無粋だ。まだ負けを認めていない。しかし……世界には、あのような者も必要だったのだ」
「そうだろうね」
ナイジェルがそう返事をします。
「行こうか、エリアーヌ」
「はい」
私はナイジェルと手を繋ぎます。
「ナイジェル」
ここで初めて。
魔王がナイジェルの名を呼びました。
「貴様は貴様の大切な人を守れ。かつて、妾が出来なかったことだ」
「君にも出来なかったこと……か。それは一筋縄ではいかなそうだね」
「出来ぬか?」
「出来るよ。君が見失った道を、僕が示してみせる」
「そうか──ならば、妾はこの道の先を貴様に託す」
それを最後に──魔王の体は光の粒子となって、完全に消滅してしまいました。
魔王は滅んだとはいえ、宰相との戦いがまだ残っています。
だけどナイジェルと一緒なら怖くありません。
私達は光に包まれ、あちらの世界に帰還しました。
◆ ◆
──リンチギハム王都。
「雨が……やんだ?」
騎士達が空を見上げている。
雷鳴も途切れ、雨空には切れ間が入り朝陽すら差し込んでいた。
気付けば夜が更け、朝を迎えたらしい。
「やったぞ! ナイジェル王子が勝ったんだ!」
「聖女様、ありがとうございます……!」
皆は口々にそう言って、二人の勝利を祝福している。
「……ん。終わったの?」
『勝ったのか?』
周りの喧騒につられて、セシリーとラルフも目を覚ました。
「ああ……二人がやってくれたんだ」
とドグラスが笑顔でそう言葉を返す。
無論、エリアーヌ達が勝ったという保証はない。
しかし──それなら雨と雷がやみ、不穏な空気が消えたのはどう説明がつこうか。
僅かに残っていた魔族も、まるで差し込む太陽の光に浄化されるかのごとく、溶けていく。
皆も二人の勝利を確信し、喝采を上げていた。
「よし! 二人が戻ってきたら、盛大なパーティーだ! 皆の労をねぎらって……」
ドグラスがそう言いかけた時であった。
『はーっはっはっは! まさか貴様らが勝ったと思ったか? ざーんねーんでしたーーーー!』
天上から声が降り注いだ。
ドグラスが声のする方に顔を向けると、そこには小さな火の玉らしきものが出現している。
「あれは……?」
その火の玉は、小さくなったナイトメアの死体に近付いていった。
「いかん! そやつを魔獣に近付けるな!」
嫌な予感がし、ドグラスは咄嗟に声を上げるが──遅かった。
火の玉はナイトメアの中に取り込まれていく。体に再び炎を纏い、巨大となったナイトメアがゆっくりと立ち上がった。
獣の咆哮。
「ま、魔獣が蘇ってしまった……」
絶望をもたらすナイトメアに、周りの騎士も恐れをなす。
(皆──激しい戦いのせいで満身創痍だ。その上で魔獣が復活するとは……)
顔を歪めるドグラス。
ドグラスが『竜の騎士』となり、ラルフが獣の本能を思い出して──ようやくナイトメアを打倒出来た。
ラルフに視線を送るが、厳しい表情をしている。
おそらく、もう一度あの状態にはなれない。なれたとしても、セシリーが再度、聖女の力を扱えるのかも未知数だった。
ナイトメアに敵う手段は──閉ざされたのだ。
「あ、諦めちゃいけないの!」
だが、皆が絶望で地面に膝を突いてもなお。
一人だけ気力を失わない者がいた──セシリーである。
「みんなで力を合わせれば、きっと大丈夫なの! あれをみんなでやっつけるの!」
セシリーが声を張り上げるが、皆の足取りは重い。
(さすがに厳しすぎる戦いだと気付いておるのか……)
だが、諦めるわけにもいかない。
(先陣を切るのは我しかいないだろう)
背中で皆を引っ張るしかないのだ。
ドグラスは全身に力を込め、ナイトメアに立ち向かおうとすると──。
「もう──大丈夫です」
神聖な声が響き渡った。





