275・王
「──アーヌ! エリアーヌ! 大丈夫かい!?」
体をゆさぶられ、瞼を開けると──ナイジェルが心配そうな声で、私に呼びかけていました。
「は、はい……すみません」
ゆっくりと上半身を起こします。
「ここは──」
「お城の地下のようだね」
ナイジェルが辺りを見渡しながら、そう口にします。
ここと似た場所を、私達は見たことがあります。
それはベルカイムの王城。
玉座の下を通って、私達が地下に辿り着いた時、そこには魔王が封印されていました。
もちろん、あの時に見た、石像のようになっている始まりの聖女と魔王はいませんが、瓜二つの場所です。
「やっぱりベルカイムの王城をモチーフに作られた場所だったのかもね」
「そうですね。それよりナイジェル、ご無事ですか? さすがにあの高さから、ここまで落ちればタダでは済まないと思いますが……」
魔王の剣によって、私と女神の絆が断ち切られ、結界魔法を張ることも出来なかったですからね。
しかしナイジェルは首を横に振り。
「うん……大丈夫だ。落下していく時、君の体から光が漏れ出たんだ。その光が僕達を守ってくれた」
「それはよかったです」
「エリアーヌ──あの光はなんだったのかな? なんとなくだけど、いつもの光とは違って──くっ!」
話している途中、ナイジェルが苦悶の声を漏らします。
よく見ると、彼の脇腹が血で滲んでいました。
落下の衝撃には耐えられたものの、魔王との戦いによって傷を付けられたのでしょう。
「まずは手当ですね。幸運にも、魔王の気配は感じませんし……」
私達を探しているのでしょうか?
しかし先ほどの絶望感は、随分と薄まっています。
ナイジェルの脇腹に手を当て、治癒魔法を発動します。温かい光が彼を包みました。
よかった……ちゃんと発動してくれて。
女神の言葉を疑っていたわけではないですが、胸を撫で下ろします。
「ありがとう、エリアーヌ」
「いえいえ──傷も癒えたところで、私が女神と言葉を交わしたことについて話しましょうか」
「め、女神と!? 声が聞けたのかい? だったら、彼女はなにを──」
「ナイジェル、落ち着きましょう。じゃないと、今から話す内容も頭に入ってこないでしょう?」
「そ、そうだね」
ナイジェルと共に、私は壁に背中を預け、隣り合って座ります。
自分でも驚くほど、冷静でした。
「先ほど、私は不思議な空間に誘われ、女神様と話していました。おそらく、神界のような場所だったのでしょう。そこで──」
私は女神から聞いた言葉を、ナイジェルに伝えました。
“真の聖女”とは心と心で繋がり、女神との絆をさらに強くすること。
それにより、女神の声は聞こえなくなりものの、聖女の力がより強力なものに生まれ変わること。
話を聞き終わり、
「なるほど……そうだったんだね」
とナイジェルは私の顔を真っ直ぐ見つめます。
「魔王はエリアーヌの人格が消えてなくなるかもって言ってたけど、それも違ったんだね。君は変わらず、僕の大好きなエリアーヌのままだ。自信を持って言える」
「私も同じです。私もあなたのことが世界で一番好き。私のナイジェルへの気持ち、それが私である証明です」
「君が君でいてくれること──それに感謝するよ」
ふんわりとナイジェルが笑みを浮かべます。
「話が済んだところで……エリアーヌ、女神の加護──って言っても、今は彼女と一体になっているんだっけ? だったら、聖女の力を僕に付与出来るかな?」
「……やってみます」
唯一の不安がそれ。
私は恐る恐るナイジェルの胸に手を当てます。
……だけどダメ。
ナイジェルとの繋がり──絆が感じられないのです。
「……ダメみたいです。私と女神は一体になることによって、魔王にも断ち切れない強い絆を得ました」
「だけど僕との絆はそうじゃないってことか」
「そういうことです。どうしましょう、こんなにもナイジェルが好きという気持ちが溢れているのに──」
聖女の力を付与しなければ、魔王を倒すことは出来ません。
いくら魔力量が増えたとしても、限界がありますしね。
急に不安が膨らみ、私は愕然としました。
「…………」
しかし一方──冷静になったのはナイジェル。
私がダメな時は、ナイジェルがなんとかしてくれる。
そんな安心感を覚えました。
「……一つ、考えがあるんだ。君との絆を取り戻す方法がね」
「それはなに──」
問いかけるよりも早く、ナイジェルは私の肩に手を置きます。
え、え?
彼がなにをするのか分からず、混乱してしまいます。
「こうしている間にも、いつ魔王が僕達を見つけるか分からない。だから……失礼するよ。それに僕達は心と心で通じ合っている。説明なんていらないだろうから」
ナイジェルの顔が迫り──。
私は情熱的なキスをされていました。
◆ ◆
エリアーヌと口づけをすると──僕は今までの記憶が甦ってきた。
始まりは国を追放された彼女と出会ってから。
美しく可憐な少女は、隣国の聖女だった。
いつしか僕は彼女から目が離せなくなり、求婚し──そして無事に結婚まで至った。
彼女が好きなのは僕だけではなかった。
ドグラスもエリアーヌに惹かれていたし、精霊王のフィリップも彼女を慕っていた。
クロード殿下とレティシア嬢も、最初はエリアーヌのことを嫌っていた。だけどエリアーヌの人となりが分かって、今では僕達の味方になってくれている。
ヴィンスもエリアーヌのことを評価し、ドグラスの友、ファーヴも彼女の真っ直ぐさに胸打たれた。
エリアーヌと出会ってから、様々な問題に直面した。
呪術士の呪いに、上級魔族。邪神《白の蛇》に、禁じられた呪い。不死身の竜アルター。
理想の王子様について、僕が思い悩んだこともある。
そして今、最大の壁に直面している。
世界を恐怖に染めあげる存在──魔王だ。
僕達の絆は断ち切られ、魔王に勝つための手段はなくなった。
だが──僕はこうも考えた。
魔王ごときが、僕達の絆を完全に断ち切れるはずがない。
『貴様のその力は、聖女あってのことだ。聖女がいなければ、貴様はただのボンクラ』
リンチギハムの王城で、魔王はそう告げた。
『貴様だけが弱いのだ』
彼の言う通り、僕はエリアーヌがいなければ弱い。
ドグラスのように、自分一人で道を切り開けないのかもしれない。
──だが、それでいいんだ。
現状に甘んじるわけではないが、彼女にふさわしい男は僕だと自信があるから。
彼女の手を取ることを恐れない。
僕は彼女と共に魔王を倒す。
王であっても、一人で全てを解決する必要はないのだ。
「────」
顔を離す。
今まで以上に、彼女との繋がりを感じた。
「──エリアーヌ」
愛おしい人の名前を呼んで、僕は告白する。
「愛している。これからもずっと、僕は君の剣となり盾となる」





