124・変わるもの。変わらないもの(クロード視点)
早いもので──魔王との戦いが終わってから、一年が経った。
「殿下! ここも不正解です! そろそろこのレベルの問題くらいは解けるようになってないと、話になりませんよ!」
ベルカイム王国。
王城内に叱責の声が響き渡っていた。
廊下を歩く兵士達が「またか」と言わんばかりの顔をする。
しかしそれは叱られている者をバカにするような類のものではなく、成長する子どもを見守っているような表情であった。
その声の発源地はとある一室。
「このままでは隣国の王子殿下に勝つことなんて、一生不可能です!」
「そ、そんなあ……」
眼鏡をかけた厳しそうな女性が、とある一人の男を叱り飛ばしていた。
その男とは、今まさにテーブルに向かい合って難しそうな顔をしている。
ベルカイム王国の第一王子──クロード・ベルカイムであった。
「うー……仕方ないじゃないか。今までまともに勉強なんかしてこなかったし……」
不満げにクロードが唇を尖らせる。
一年前より髪が少し短くなっていた。
「だからテストでまともな点数を取るのも難し──」
「言い訳をしないでくださいっ! せっかく私が戻ってきたからには、ビシバシ殿下を鍛え上げるんですからね! 覚悟しておいてください。目標は……三年以内に、ナイジェル殿下を超えることです!」
「それはさすがに無理なんじゃ……」
クロードが反論しようとすると、女性はキッと厳しい視線を向けた。
(うっ……怖い。こんな目で見られたら、もう反論なんか出来ないじゃないか……)
彼は恐怖に震え、再びノートに視線を落とすのであった。
あれから——。
魔王を完全に倒し、魔族も消滅してしまったとはいえ、王都の被害は甚大なものであった。
人々の心に刻まれた恐怖も、そう簡単には癒えないだろう。
しかし——これは奇跡的なことであるが——前の戦いで死者は一人も出なかった。
誰一人も……である!
無論、大怪我を負った者は多数いるが……全て命に別状はなかった。
魔族との全面戦争がありながら、この結果は奇跡的なことであった。
「本当に……私を呼び寄せるから、ちょっとは殿下の根性もマシになっているかと思えば……そうでもなかったですね。まあ──サボり癖は治っているみたいですが……」
女性が教鞭を自分の手にペシペシと当てながら、クロードに言う。
彼女は以前、クロードの教育係を命じられていた女性だ。
しかしその厳しさから、クロードは彼女を辞任させてしまっていた。
(なんとしてでも、ナイジェルに追いつかないといけないからな。少々厳しいのはもってこいだが……なんか以前よりも厳しくなってないか!?)
ノートに筆を走らせながらクロードは思う。
ナイジェルに追いつく──それが彼の目標であった。
だが、そのためには生半可な努力では不可能。こうしている間にも、ナイジェルも頑張っているからだ。
ゆえに優秀な教育係を就ける必要があった。
そこで槍玉に上がったのが、昔クロードの教育係をしてくれていた彼女である。
しかし……その時の彼女は辺境の地でゆっくり畑を耕し、悠々自適な余生を送っていた。
だから呼び寄せても、戻ってきてくれないものだと思った。
王子の勅命として、無理矢理連行することも可能だったが……そういう真似はしたくなかったのだ。
だが、クロードが直々に足を運び、彼女に頭を下げると……。
『仕方ないですね。私がクロード様を立派な未来の国王陛下に育てあげましょう!』
と妙にやる気を出して、即答してくれた。
その結果が現在なのである。
「なあ……」
「なんですかっ?」
クロードが話そうとすると、彼女は語気を強くして返事をする。
彼は恐る恐る、震えた声で……。
「すまなかったな。感謝している。こうしてくれているのも、ボクのことを思ってのことだよな? 不甲斐ない生徒で申し訳ない」
謝罪した。
それを聞いて、女性は一瞬驚いた表情。
しかしすぐに顔を真っ赤にして、
「と、当然じゃないですか! それにクロード様らしくありません! その……なんですか。以前と比べ、クロード様もご立派になられています。わ、私の方こそちょっと厳しすぎましたか? 仕方ありません。この単元が終わったら、おやつタイムに……」
とどこか照れたように口にした。
(彼女のこんな表情を見るのも、初めてだな)
よくよく人間を観察すれば、見えてくるものもある。
今までクロードの視野は狭かった。
だからこそ、すぐに癇癪を起こし、このような不器用な優しさにも気付くことが出来なかった。
クロードは彼女の表情を見てそう思いつつ、勉強を再開した。
勉強が終わった後。
体は休息を求めていたが、その足で今度は大臣達との話し合いにクロードは参加した。
「であるからにして〜」
「いや、経済を回すことも〜」
「それよりも生活の援助を〜」
会議室には専門用語が飛び交い、早くもクロードは目を回しそうになった。
しかし辞書を広げつつ、なんとかクロードはその話し合いに食いついていく。
(まずは大臣達の話し合いを理解出来るくらいにならなくちゃ……だな。じゃないと、国の方針に意見することもままならないだろうから)
そう考え、クロードは無理を言って会議に参加しているのである。
これも以前のクロードなら、考えられないことであった。
大臣達の話を聞いていると、眠くなってくる。ゆえにろくに耳を傾けようともしなかった。
そのくせ、特に根拠もないことを言ってみて、大臣達を困らせた。
あの頃の自分を思い出すと、恥ずかしくなる。
「聖女様と隣国の王子殿下が魔王を倒してくれたとはいえ、これからが大事だ。つまり——」
会議の途中。
聖女の話題が飛び出した。
無論、聖女——とはエリアーヌのことである。
(そうか……今日はあの日か。エリアーヌがボク達の前からいなくなってから、丁度一年……)
彼女の顔を思い浮かべると、寂しい気持ちになる。
あのことがあってから、エリアーヌを忘れた日は一日たりともない。
だが──エリアーヌのこと以上に、今のクロードの頭の中には一人の女性のことでいっぱいだった。
それは……。
(レティシアもあれからいなくなってしまった。今頃彼女はどこでなにをしているのやら……)
そうなのだ。
レティシアは前回の戦いが終わった翌日、置き手紙を残して彼の前から去ってしまったのだ。
『わたしはあなたにふさわしくないから』
手紙に書かれたものは、そんな短い一文であった。
それを目にした時、クロードは随分荒れたものだ。
——ふさわしくないって、どういうことだ!?
ボクは君のことが大好きなんだ!
君と共にこの先の人生を歩んでいきたいと思ったのに……。
それなのに、一体どこに……と。
しかしクロードに落ち込んでいる暇などなかった。
(……きっとレティシアも、どこかでボクの頑張りを見てくれているに違いない)
まだ──レティシアを自信を持って迎えに行けるくらい、自分は結果を出せていない。
しかしいつか、ボクが彼女に対しても──そしてエリアーヌにも、胸を張れるような男になれば、レティシアを迎えに行こう。
その時はたとえ火の中水の中、たとえそこが地獄であっても——迷わずレティシアの手を取ろう。
そうクロードは強く決意をする。
だからクロードはこの一年間、どれだけ厳しい課題が課せられても、しがみつくような気持ちでやってきたのだ。
「あのー……クロード様?」
全く喋らないクロードを気遣ってのことなのか。
大臣の一人がそう口を開く。
「クロード様はどう思われます? 市内の復興についてなんですが……」
急な質問にクロードは慌てる。
この一年で王都を目覚ましい速度で、復興を遂げている。
だが、やはり以前のような生活に戻ることはまだ先のことであろう。
(……まずは市民の生活が第一だ。彼等彼女等に安心してもらえるような、国にしていなければ)
クロードは表情を引き締め直して、こう続けた。
「あ、ああ。ボクとしては——」
「もーう! 目分量で塩を入れろって言ったのは、あっちじゃない!? なんであんなにしょっぱくなるの? どうして料理ってこんなに難しいのよ!」
——王都のとある一角。
女学院に甲高い女性の声が響く。
かなりの声量であったが、女学院の人達は慣れたもので、あまり気にした様子はなかった。
「うぅ……でも頑張らなくっちゃね。これじゃあ、まだまだクロードに顔を合わせるのは早いわ」
エプロン姿の女性。
彼女は家庭科室にたった一人残り、調味料を前に試行錯誤を繰り返していた。
その女性とは──レティシアであった。
そう──別にレティシアはクロードと縁を切ったわけではない。
ただクロードと一緒になるためには、それにふさわしい自分にならなければ……と考えを改め、ちゃんとした花嫁学校に通っていただけなのだ。
(わたし……よくよく考えたら、今まで世間知らずすぎたからね。まあ呪いでなんでも出来ていたから、当然だけど……もっと自分を磨かなくちゃ!)
挫けそうになるが、気合いを入れ直すレティシア。
女学院は特段、王城から離れているわけではない。
ゆえにクロードが本気を出せば、レティシアなんて簡単に見つけ出せただろう。
しかし周りの人々も、そのことをクロードに伝えていなかった。
クロードのやる気を維持させるため──という大義名分はあったものの、面白半分であったことも否めない。
無論、こういった事情をクロードとレティシアも知らなかった。
(今までズルばっかしてきたけど、今度は正攻法で欲しいものを手に入れてやる。そのために、わたしはこんなところで立ち止まっているわけにはいかないのよおおおおおおお!)
闘志の炎を燃やすレティシア。
レティシアという少女は心にいつも怨念という刃を抱えていた。
可愛らしい顔をしているものの、どこか張り詰めた雰囲気が漂っていた。
しかし今の彼女はまるで憑き物が取れたように、清々しい表情をしていた。
その姿は仮面を被り、媚びた笑顔を浮かべるかつての彼女ではなかった。
ただ今の彼女は、愛する人のために料理を作ってあげたい──という一心で、前だけを見続けていた。





