母思う
第七十話。たまには昔を振り返ってみよう
そして夜が明けた。
とはいえ、それは狼刀を基準とした場合である。ミソロギやセイントが起きてからは、すでに半日が過ぎ去っていた。
話し合いが行われ、今後の方針にも目処が立っている。
最優先はデュース城にいる人々が、エース城に移住することだ。それは、捕らえていた神官達も例外ではない。
その決定をしたのは、エース城の代表となったセイントだ。そして、デュース城の代表に選ばれたのは、ハーティルだった。
「邪神教討伐は頼んだよ。ロウト」
ハーティルとはここで別れることになる。
ハーティルの役目はデュース城に残った神官達の管理だ。クレバーやクバウト、オルダー、フェシーなどの強い神官は残っていないとはいえ、数はとても多い。
「そっちこそ、神官を逃がすなよ」
地下牢獄が本来の機能を失い、ハーティルの魔法で捕らえている現状では、彼に全てがかかっていると言っても過言ではなかった。
「我々もしっかりと護送してみせます」
護送組のリーダーであるセイントも、狼刀の言葉に反応する。偶然にも城を訪れていた傭兵団の協力を得られたとはいえ、狙われる確率でいえば彼らの方が高いだろう。
「はい。お願いします」
エース城に向かう一行を見送ってから、狼刀は邪神教の本拠地に向かって歩き出した。
更新はしない。
クエラが行方不明であることやカイに逃げられたということも、一つの理由だ。
だが、それ以上に、襲撃を知った今ならより上手く立ち回れるという確信があった。自殺はする気も、する勇気もないのだが。
「さ、行くか」
人知れず、狼刀は怪しげな笑みを浮かべた。
歩き出した狼刀の足取りは重かった。
疲れが残っているからではない。もっと物理的な原因によって、足取りが重かった。
「自力で歩きませんか? スペーディア様」
「体力温存」
スペーディアが足にしがみついているのだ。
しかも、引きずられても汚れないようにカーペットの切れ端を敷いているので、余計に進みづらい。
「俺が、必要以上に体力使うんですが」
握力が強く振りほどくことが出来ないので、狼刀は引きずりながらも歩いていた。
「そもそも、あなたはエース城に行くはずだったのでは?」
出発の時点では、セイント達の最後尾にいたはずだ。理由はセイントが「王子二人が戻られない今、あなた様まで失うわけにはまいりません」と言ったかららしい。
スペーディアも納得したと思っていたが、蓋を開けてみればこれである。
「許可は出しましたわ」
「誰が」
嫌な予感がしながらも、狼刀は聞き返した。
「わたくしが」
予想通りの答えに狼刀は立ち止まる。
「あのですね」
「わたくしはトレイス城の王女スペーディア。あの中の誰よりも権限を持っていますわ」
スペーディアは狼刀の言葉を遮った。
「みんな心配してますよ」
なので狼刀は攻め方を変える。どんな屁理屈に対抗するために、情に訴える方法にしたのだ。
「心配ご無用ですわね」
効果はなかった。
「でも、」
「あなたが一緒なんですから、わたくしが死ぬことはないでしょう?」
狼刀が食い下がるより、スペーディアが逃げ道を塞ぐほうが早い。その言葉に対する反論を、狼刀は持たなかった。
「わかりましたよ」
狼刀は両手を上げる。
色んな意味でスペーディアには勝てない気がする狼刀だった。
「でも、せめて自力で歩いてください」
「わかってるわよ」
スペーディアは悠々と歩き出し、
「あぅっ!」
カーペットの裾に足をとられて、転んだ。
「…………」
色んな意味でスペーディアには勝てない気がする狼刀だった。
てってけてー
トレイス城の最後の生き残りにして王女、スペーディアが仲間になった。
所持アイテムはナイトドレス、トレイスの秘剣。
王女とはいえ、魔物に変えられていたから所持品はないも同然なのだ。武器と防具が無くなっていなかったことがせめてもの救いか。
そんなスペーディアが第一に求めることは、決まっている。
「まずは荷物を用意するために、トレイス城に寄りますわよ」
「はいはい」
二つ返事で狼刀は頷いた。
トレイス城は相変わらず人の気配を感じさせなかった。しかし、物が散乱している。それは、明らかに違うことだった。
傭兵団が家探しでもしたのだろう。
狼刀はそう判断し、スペーディアは全く気にしていなかった。
自分の部屋以外は。
「ちょっ! なんでこんなになってんのよ!」
大量の衣服が撒き散らされた部屋を見て、スペーディアが悲鳴をあげた。
「出てて!」
次いで狼刀を追い出すと、扉を閉める。
おそらくは中で片付けをしているのだろう。
時間がかかるだろうと判断し、狼刀は城の中を見て回ることにした。
どれくらいの人が住んでいたんだろう。
壁にかけられている肖像画は誰だろう。
彼女はどんな生活を送っていたんだろう。
そんなことを気にしながら。
久しぶりに来る城を一回りして戻ってくるも、扉は硬く閉ざされたままだった。
「まだかかりそうですか?」
扉の外から声をかけるも、返事はない。
「まだ、ですか?」
言いながら狼刀はゆっくりと扉を開ける。
「……トさん、お母さん……。あたし、あたしは元気にやってる、よ……」
枕を抱えて小さく泣いているスペーディアを見て、狼刀はゆっくり扉を閉めた。
もう少しそっとしておこう。
「母さん、か……」
狼刀は壁に背中をあずけて、目を閉じた。
◇
記憶の中の母はいつも笑っていた。
外に出掛ける時はつばの大きな帽子をかぶっていたけれど、僅かに見える口はいつも笑っていた。
狼刀が怪我をすると、すぐに駆けつけて頭に手を当てながらこういうんだ。
「痛いの痛いの飛んで行けー」
そうすると、今までの痛みが嘘みたいに無くなった。
その様子を見て父も笑う。
二人の笑顔を見ていると、狼刀は怪我なんて全く気にならなくなっていた。
両親はいつも笑顔だった。
本当にそうだったわけではないのだけれど、そう思ってしまうくらい二人はよく笑っていた。
麦わら帽子をかぶって笑う母。子供と一緒になってはしゃぐ父。楽しそうに遊ぶ少年。母の抱かれて眠る幼子。
狼刀の中の家族との思い出は、笑顔に満ち溢れていた。
◇
スペーディアが目を覚ますと、部屋は夜の闇に包まれていた。
スペーディアは手探りで照明魔法機の下まで行き、起動させる。が、魔法機は全く反応しない。
おそらくはだれも手入れをしていなかったので壊れてしまったのだろう。
スペーディアは光源を諦めて、目が慣れてから動くことにした。
部屋の中は一通り片付いている。
どうやら、片付けが終わって横になったところで寝てしまったらしい。
疲れてたのよ、きっと。
そう自分に言い訳をして、スペーディアは扉を開けた。
自分を待っている男はどうしているのかと。
「…………」
壁に背中を預け、男――狼刀は眠っていた。
幸せそうに綻ばせた顔を見ていると、どんな夢を見ているのかと羨ましくなる。
羨ましい?
どうしてそう思ったのか、スペーディアは自分のことがよく分からなかった。
「ロウト……」
無意識に名前を呟きながら、スペーディアは狼刀へと手を伸ばす。
「ん……」
「……っ!」
狼刀が僅かに漏らした声で我に返ったスペーディアは、隠れるように部屋へと戻った。
体が熱くなっていき、鼓動が早鐘を鳴らす。
自分自身の行動が理解出来ず、思考もまとまらない。
倒れ込むようにベットに入り、頭から布団をかぶった。
「よ、夜も遅いし、出発は明日ね」
うまく回らない頭をフル回転させて、そう結論づける。
「…………」
狼刀の幸せそうな寝顔を見て、スペーディアは羨ましいと思った。そのことはしっかりと自覚していても、何故なのかが全く理解できない。
羨望とでも呼ぶべきその感情をスペーディアは知らなかった。恵まれた環境にいた彼女には誰かに憧れるということがなかったから。
欲しいものに恵まれていた少女は、持っていたものを失ったゆえに生まれた感情をまだ理解することが出来なかった。
「ロウト……」
もう一つの感情も。




