王女様登場
第六十五話。プリンセス
「では、改めて」
少女はレイピアを鞘に納め、背筋の伸びた綺麗な歩き方で狼刀の前までやってくる。
「わたくしはスペーディア。行く当てもありませんので、よろしくお願いしますわ」
スぺーディアは白く華奢な手を差し出した。
「狼刀だ。よろしくな」
握手を求めているのだろうか、そう考えた狼刀が手を握ると、スペーディアは花が咲いたように笑った。
所作からにじみ出る育ちの良さと純粋さが覗く屈託のない笑顔。そのどちらもがスペーディア――スペーディア・ジャンヌ・トレイスなのだ。
「ロウト、大丈夫かい?」
ハーティルが追いついた。
「ミソロギさんの回復を頼む」
まずはそれが最優先。
「っ、わかった」
狼刀に言われてからミソロギの状態に気がついたのか、ハーティルは急いで駆け寄り、手をかざす。
狼刀はスペーディアの手を引いて、二人の元へと向かった。
「回復魔法」
「譲渡魔法」
ハーティルがミソロギの傷を塞ぎ、ミソロギがハーティルに魔力を提供する。
ハーティルは惜しむことなく魔力を消費して、ミソロギの傷を癒した。そうして容態が落ち着いたら、想創聖書でロープを作り出して、三人の神官を拘束する。
「ザルクとかいう神官はどうなったんですか?」
状況が落ち着いたところで、狼刀はそう切り出した。
ハーティルとスペーディアも黙って言葉の続きを待つ。ミソロギは静かに口を開いた。
「……自爆されました?」
予想の範囲内とはいえ、楽観視出来る状況ではない。
「他の神官の様子はわかりますか?」
ミソロギが言う他の神官とは、ステイマーや他にもいるであろう侵入者を指しているのだろう。
「わかりません」
「わからないですね」
ハーティルが首を横に振り。狼刀もそれに倣った。厳密に言えば、ステイマーとは会っているのだが、説明のしようがない。
狼刀自身でさえ、何が起こったのかを理解はしていなかった。
「…………」
スペーディアは何かを考えこんでいて返事はない。
「スぺーディア様?」
「あー!」
ミソロギが顔を覗き込むと、スぺーディアは勢いよく顔を上げた。勢いのままに立ち上がり、呟く。
「セイントさんのこと忘れてた……」
「え?」
ミソロギが珍しく呆けた声を出した。
「早く助けに行かなきゃっ!」
「状況がわかるんですか? 説明を?」
焦って走り出そうとするスぺーディアをミソロギが止める。セイントの今の状況について知っているのは、スぺーディアだけなのだ。狼刀としても、状況は聞いておきたかった。
「地下牢獄……」
そこは入口が塞がれて今は入れなくなっている場所だ。彼女はクレバーの魔法で召喚されたことによって出ることが出来たが――
「神官!」
スぺーディアは同じような結論を出したのか、拘束されているクレバーへと走る。
「あんたどっから外に出てきたのよ! 答えなさい!」
目覚める気配のないクレバーを掴み起こし、頭を激しくゆすった。が、クレバーは全く反応を示さない。
それはスぺーディアが気絶させるために放った一撃が強すぎたことにも原因があるのだが、反省している暇も、意味もない。
「あぁ、もうっ!」
スぺーディアは全く動く気配がないクレバーから手を離して、横に倒れているフェシーを持ち上げた。
「あんたはどうなのよ!」
「……な」
恐怖で気絶しただけのフェシーはすぐに目を覚ます。
「なにを……?」
当然の問いかけであった。
「あんたどっから外に出てきたのよ!」
スペーディアが叫ぶと、フェシーは不敵な笑みを浮かべる。
「そんなこと教えるわけないでしょう。エース城のセイントといえば要警戒人物の一人ですよ。その人が細かいことはわかりませんけど危ない状態というのなら、死ぬまで待ちますよ。クレバー様のためにね」
襟首を掴み上げられている状況でも、フェシーは雄弁だった。
「君が欲している情報を我々は持っている。しかし、それを君に言うほど私は愚かではない。せいぜい考えているがいいでしょう。まあ、君のような凡愚は考えてもわかりませんか」
「なっ!」
「二人は王の私室があるほうから現れましたね?」
ミソロギが静かに呟く。
それが聞こえたのか、フェシーの表情が変わった。
「王の寝室は関係ない。我々が通ってきた通路と王の寝室は全く関係がない。安直、愚直、低能、その程度のことしか思いつかないのは愚か者という他ありませんね」
敵に有益な情報は与えないという判断は間違っていない。しかし、本当に何も伝える気がないのならフェシーは黙っているのが正解だった。
「なるほど? 王の寝室ですか?」
必要以上に避けようとする話題も、焦ったような表情も、全てがミソロギの予測を肯定している。
「王の寝室は関係ないと――」
「スペーディア様? 王の寝室に向かってください?」
「はい!」
フェシーの否定など、誰も信じていなかった。
スペーディアはフェシーから手を放して、走り出す。
「なっ、きさ――」
支えを失って倒れるフェシーを、ミソロギが掴まえた。
「さあ、もっと色々調べさせてもらいましょうか?」
笑顔を添えて。
その状況で取るべき行動は何か。
狼刀は誰に言われるまでもなく、王の寝室に向かって走るスペーディアを追いかけた。
ハーティルは動かない。ザルクの時のように自爆される可能性を考慮してだと、狼刀は考えた。
王座の後ろにあった扉を開け、分かれ道をいくつか通ってきたが、スペーディアは一切スピードを緩めない。何度も分かれ道を越え、同じような構造の道をひたすらに進む。
まさに迷路だ。
それを、スペーディアは止まることなく駆け抜ける。ドレスは少し走りづらそうだが、悩む素振りは全くない。
「寝室の場所はわかるんですか?」
スペーディアに追いついた狼刀が問いかける。
「わかりませんわ」
「えっ!」
「でも、進んでいればそのうち辿りつけるわよ」
スペーディアの答えは狼刀の予想の斜め上を行っていた。
「そんな無計画な……」
「大丈夫。わたくしに任せなさいな」
スぺーディアは声は、自信に満ち溢れている。その自信がどこからくるのかはわからなかったが、信じてみてもいいのではないか。
「わかった」
狼刀は小さく頷いた。
スぺーディアは振り向き、満面の笑みを浮かべる。
「次の角は右よ!」
「了解!」
厳密には角ではなくて三叉路見えるが、そんなことは関係ない。スペーディアに続き、狼刀は三叉路を右に曲がった。
その先に待っていたのは、広い部屋だ。
スぺーディアが立ち止まり、追いついた狼刀も、部屋を見て思わず立ちつくした。
「何をしているんだい?」
ミソロギが二人に声をかける。その後ろには錫杖を持ったハーティルがいて、鉄製の十字架に拘束された三人の神官がいた。
何のことはない。
二人は散々走り回った結果、王の間に戻って来た。ただそれだけの話だ。
「無計画だからこうなるんだよ!」
狼刀は思わず叫んでいた。