過去と記憶
第百一話。過去編でもないよ
スペーディアの斬撃は、アロイスの持つ錫杖によって防がれる。マルティールが魔力の鎧で防いだように、アロイスは錫杖に魔力を纏わせて受け止めたのだ。
スペーディアは直感的にそう理解した。
「あちら側にこれ程の使い手がいたとは」
「あなたこそ、なかなかの強さですわねっ」
アロイスが不敵な笑みを浮かべる。スペーディアは錫杖を押し返し、鋭い突きを放った。点での攻撃は防ぐことが難しいという判断だ。
「お褒めに預かり恐悦至極」
アロイスは余裕の表情を崩さず、防いでみせる。
「ちなみに、名前を伺っても?」
会話をしながらも、アロイスはスペーディアの突きを全て防いでいた。
「スペーディアよっ!」
「なるほど」
半ば投げやりに答えるスペーディア。
アロイスは満足げな表情を浮かべ、防御を捨てた。刀がアロイスの下腹部を貫く。
「えっ……」
困惑したのは攻撃したスペーディアのほうだ。
アロイスは貫かれながらも、不敵な笑みを崩さない。
「……、……」
何かを口ずさみ、アロイスはスペーディアの額に触れる。
「死神の一族の記憶。この僕に知る機会をください」
スペーディアの世界が暗転した。
――お城の中庭で、七歳くらいの少女が剣を振っている。相対するのは、少女と同じ艶めく銀髪をした三十路くらいの女性。女性は左手にトレイスの秘剣を、右手には小さな鉄の盾を持っていた。身を守るのは申し訳程度に胸当てがついているだけの、純白のドレス。だが、女性にとって防具は関係ない。幼い少女の猛攻を防ぐには、秘剣があれば十分だ。
「甘いですわよ!」
少女が振る剣を、女性がはね飛ばした。
剣はくるくると宙をまい、少しずつ崩れていく。剣は灰となり、風に吹かれて消えた。女性の力ではない。少女の力に耐えきれなかったのだ。
「修行が足りませんわね」
「あぅっ」
女性は秘剣の平で少女の頭を叩いた。少女は不貞腐れたような顔で女性を見上げる。
「おかあさんがつよすぎるのです」
「それは事実ですわね」
女性が得意げに胸を張った。それから、堪えきれずに笑い出す。その笑顔を見て、少女も笑った。
そんな光景を、スペーディアは上から見ていた。
「これは一体なんですの?」
演劇を俯瞰しているような不思議な感覚。スペーディアは状況を把握するために、もう一人の観客へと視線を向けた。
「君の記憶だよ」
観客――アロイスは嬉しそうな笑みで答える。
「僕の一族に伝わる秘法でね。強く心に刻まれている記憶をランダムに再現するんだ。ほら、場面が変わるよ」
下を向くアロイスにつられて、スペーディアは下を向いた。
十歳くらいに成長した少女――幼き日のスペーディアが剣を振っている。身長や髪が伸びている他、衣装が白と青を基調としたドレスに変わっていた。
少女と向かい合うのは、先程までと変わらない女性。少女の剣戟はキレを増していたが、女性は秘剣だけで防ぎきる。
「せいっ!」
距離が開き、少女は剣を振るのではなく、突き出した。
「甘いですわよ!」
女性は横移動で突きを回避。剣と剣を絡ませるようにして、少女の手から奪い取る。地面に落ちた剣は、砂の城が崩れるように土に還った。
「今のは中々でしたわね」
「あぅっ」
女性は二本の指で少女の額を小突く。少女はバランスを崩して、後ろに倒れた。
「確かに、今の突きは中々のものでございました」
そこに手を叩きながら男性が現れる。
灰色の鎧に身を包み、背中には巨大な盾。傷の残る厳つい相貌と、鎧を着ていてもわかる屈強な肉体。他の誰とも見間違えようがない。
「ガルシア……」
「へぇ……」
スペーディアは思わずその名前を声に出していた。
「副団長ガルシア。立場を弁えて発言しなさいな」
不敵な笑顔を浮かべる男性に、女性は目を細める。男性――ガルシアはハッとした表情を浮かべ、深々と頭を下げた。
「出過ぎた発言でした。お許しください」
「許しましょう。それから、発言する権利を与えますわ」
「有り難き幸せ」
ガルシアが顔を上げる。笑みは消えていた。
「スペーディア様には斬ることよりも、突くことのほうが向いている。そう愚考致しました」
女性は発言を吟味するように腕を組む。ガルシアは軽く礼をするように腰を折った。上からではその表情を伺うことは出来ない。
「気になるかい?」
眼下の世界が動きを止めた。
動いているのはスペーディアと、楽しそうな笑みを浮かべるアロイスだけだ。
「ここは記憶の世界。でも、人間の記憶なんてのは曖昧なものでね。この世界では見えていない、つまり記憶していないはずのことまで確認することが出来るんだ」
アロイスは楽しそうに語る。スペーディアの返事がないことなど全く気にしてる様子はない。
「君の知るガルシアという人物。そこから君が思い描く彼の素顔。君が心から思う彼の本質。いまならそれを彼の表情として確認することが可能なんだよ?」
まるで悪魔のように、アロイスはスペーディアの耳元で囁いた。
「知りたいだろ?」
スペーディアは静かに頷く。
「そうこなくっちゃね! さぁ、彼の表情を見に行こう」
アロイスは弾けるような笑顔を浮かべ、空を蹴った。水中のように空を泳ぎ、地面に降り立つ。ゆっくりとガルシアに近づくと、見上げるようにしてその顔を覗き込んだ。
「あっは、最高だね! さいっこーにいい表情だよ。ほら、見に来なよ。君が思うこの男の本質をさ」
アロイスが無邪気な笑顔で呼ぶ。
スペーディアはゆっくりと空を蹴った。何も言わず、ただゆっくりと落ちていく。アロイスは黙ってその様子を見守った。
「さぁ、どうぞ」
ゆっくりと着地したスペーディアに、アロイスが場所を譲る。スペーディアは言われるがままに進み、立ち止まった。
体が動かない。
それ以上近づくことを、体が拒絶していた。
「見なよ。いや、見ろよ」
アロイスが冷めた声を出す。それでも、スペーディアの体は動かなった。
「恐れているのか? ここまで来て? 知りたくないって?」
冷たかったアロイスの声が徐々に熱を帯びる。怒りという名の熱を。
「人は知恵を得ることで賢くなる。賢くなることで正しくなれる。そして、知恵を得るには知識が必要なんだよ。つまり、知識を、知ることを放棄することは賢くなることを捨てること。正しさを捨てること。無知でいること」
アロイスは無造作に髪をかきあげた。
「無知は罪だよ。自分の中にある結論からですら目を背ける。大罪人だ」
アロイスがガルシアの首筋を掴み、何かを呟く。
「大罪人のせいで僕はこれ以上を知ることが出来ない。出来なくなったんだ! もう終わりにしよう。こんな世界は」
アロイスが手を放すと、ガルシアが頭を上げた。師の仇を見るような目が、スペーディアを捉える。偶然という訳ではないだろう。彼は明らかにスペーディアのことを認識していた。
「せめて、抵抗すること無く眠ってよ」




