大神官の力
第九十六話。最高権力者
天の神官が敗走し、戦者や知恵者も戻らない。大神殿の入口を守護していた魔神は討ち倒された。
予言者やその配下は反対側の守備についているから、呼び戻すことは出来ない。大神殿の中は迷路のように入り組んでいるが、神官達はほぼ全てが出払っている状況だ。
すぐではないとしても、敵が祈りの間に到着するは時間の問題だった。
「急がねばな」
大神官マルティールは祈りを捧げ、魔法陣から溢れる魔力を、部屋の中心に浮かぶ魔力球へと注ぐ。一刻も早く、破壊神を復活させるために。
だが、
「大神官!」
敵の到着は、マルティールの予想よりもはるかに早かった。
「……こんなにも早く辿り着くとはな」
レラジェを倒した後、道中でほとんど迷わなかったとすれば、これくらいで到着するかもしれない。そんなことを考えながら、マルティールは敵を見据えた。
トレイス城の王女、スペーディア・ジャンヌ・トレイス。それから剣を持った男が二人。
「やむを得ん。我が相手をしてやろう」
マルティールは鈍く光る錫杖を、高く掲げた。
「魔力よ、我に集え」
マルティールの背後にある魔法陣から多量の魔力が放出され、錫杖に向かって急速に収束。魔力は錫杖を媒介としてマルティールの身体に流れ込み、その身に力を漲らせていく。
本来なら破壊神召喚のための魔力だが、背に腹は変えられない。
「極大・火焔魔法」
左手を突き出し、溢れんばかりの魔力を込めて魔法を放つ。その威力は普段のそれとは桁違いだ。
巨大な紅蓮の焔が、敵を飲み込む。
だが、
「……仕留められなかったか」
敵を倒すことは出来なかった。
スペーディアと二刀流の男は変わらず立っているが、エース城の兵士と思われる男だけは膝をついている。
おそらく、膝をついている男が防御系の魔法で防いだのだろう。
「だが、無駄な努力だ」
男は一度防ぐだけで膝をつくほど消耗した。対するマルティールは魔法陣から無制限に魔力が供給させるのだ。
同じ技をもう一度放てば、防ぐことは不可能。
マルティールは左手を前に出した。
「させませんわ!」
女の声だ。それも、すぐ近くから聞こえた。
マルティールは魔法として放出しようとしていた魔力を全身に纏って、防御態勢をとる。
「くっ……」
スペーディアの刀が、左脇腹を直撃した。魔力に守られ斬られることはなかったが、勢いで体勢が崩れてしまう。
「せぃっ、やぁっ、とぉっ」
敵はその隙を見逃さなかった。スペーディアが連続で放つ突きは、一撃一撃が必殺の威力を持っている。マルティールは魔力で包んだ錫杖で受け止めるが、守るだけで精一杯だ。
一方でスペーディアの突きは、徐々に鋭さを増している。
「離れろっ!」
マルティールは魔力を勢いよく放出することで、スペーディアを怯ませ、距離をとった。魔力の放出と魔力による加速で大きく消費した魔力は、魔法陣から補給する。
「……幻影系の魔法。その使い手がいるのか」
兵士は膝をついたままだが、もう一人の姿が見えなくなっていた。居なくなったということではないだろう。
スペーディアが急に近くに現れたことと合わせて、マルティールは消えた男が幻影系の魔法を使ったと判断した。
「覚悟しなさい!」
立ち止まっていたスペーディアが、眼前に現れる。
「火焔魔法」
マルティールは魔法で迎え撃った。
移動する姿を視認させなかったのだろうが、同じ手を二度食らうほど愚かではない。
「くっ!」
スペーディアは横に飛んで炎を躱した。マルティールは魔力による加速で距離を詰め、魔力の鎧を纏った左手でスペーディアの刀を掴んだ。
「なっ……」
掴んだ感触が残っている。目の前のスペーディアは間違いなく、本物だ。
「極大・爆破魔法」
マルティールは二人の間で魔法を爆裂させる。マルティール自身も巻き込まれてしまうが、魔力に包まれているおかげで、傷を負うことはない。
攻撃と防御で大きく魔力を消耗したが、おそらく敵の攻撃の要はスペーディアだ。補助の二人くらいは、どうにでもなるという自負があった。
「決着をつけよう」
マルティールは錫杖を手放し、右の拳に魔力を集中させる。煙が晴れて姿を現したスペーディアは、鎧以外がボロボロで満身創痍だ。
「ま、だ……」
それでも、瞳には諦めの色が浮かんでいない。
「いや。もう終わりだ」
マルティールは必殺の魔力を込めた拳を振り上げた。
「させない!」
「無駄だ」
二刀流の男が横槍――武器は刀だが――を入れてくるが気にしない。体に纏う魔力の鎧を突破することなど不可能だ。
相手をするのは、スペーディアの後でいい。
マルティールは拳を振り下ろした。
「なにっ!」
スペーディアの姿が掻き消える。同時に、迫っていたはずの男の姿も霧散した。残ったのは、マルティールの手に握られたひと振りの刀だけ。
「はぁ!」
「やぁ!」
左右から聞こえる掛け声。右からは二刀流の男が、左からは無事だったスペーディアが、迫る。
「無駄だ!」
マルティールは左手に持つ刀を捨てて、両手を横に向けた。二人の攻撃を同時に受け止めるつもりなのだ。
二人はマルティールの動きに構うことなく刀を振り下ろす。マルティールは視界の両端に二人を捉え、刀を受け止めた。
男が振り下ろした刀だけを。
「幻影か!」
左側から迫るスペーディアは幻。本物のスペーディアはマルティールの正面に立っていた。手にはマルティールが捨てた刀を持っている。
武器は本物だったのだ。
破壊しなかったことが悔やまれるが、気にしている暇もない。
「はぁっ!」
スペーディアは――おそらくわざと――急所を外した突きを放つ。
「残念だったな」
刀はマルティールには届かない。
魔力の鎧が刀を防いだのだ。
攻撃を受ける点に魔力を集中させることで、スペーディアの攻撃を受けて無様に体勢を崩すこともなかった。
「ほらっ!」
スペーディアを蹴り飛ばし、男をぶん投げる。
二人の奥には、片膝をついて蹲る兵士がいた。
「極大・火焔魔法」
マルティールは両手を突き出し、一直線に揃った敵に向かって、限界まで魔力を込めて魔法を放つ。
巨大な紅蓮の焔が、敵を飲み込んだ。
「手こずらせおって」
攻撃と防御で膨大な魔力を消費した。
だが、あのスペーディアを倒すためだったのだから、仕方ないのない消費だと言えるだろう。
しっかりと燃やしきるまで放った焔が消える。
そこに、敵は残って――いた。
「……なに?」
おそらくは、最初と同じように防御系の魔法で防いだのだろう。だが、最初にその魔法を使った兵士は疲労していたし、スペーディアは魔法を使えない。残った男は魔法を使えるような体勢ではなかったはずだ。
マルティールは考える。
だが、すぐに思考を中断せざるを得なくなった。
「「覚悟なさい、大神官!」」
たくさんのスペーディアが現れる。もちろん、一体を除いては幻影だろう。だが、本物がどれか見分けられない以上、全てのスペーディアに対処する必要があった。
魔力の供給があり、魔力を纏うことでスペーディアの格を無効化出来るとしても、攻撃を無防備に受け続けていては魔力の損耗が激し過ぎる。
「爆破魔法」
幻影が三体消し飛んだ。
「せいっ」
攻撃を防ぐと、一体が消える。
「はぁっ」
その近くで刀を構えていたのも、幻影だった。
「火焔魔法」
錫杖から焔を放ち、その先にいた幻影達を焼き消す。
「くっ」
ギリギリで防いだ攻撃は、本物だった。
「火焔魔法」
すぐに錫杖を向け、魔法を放つ。迫ってきていた幻影は掻き消えるが、本物には逃げられた。
姿を変えているのか、消したのか。背中を向けるスペーディアはいない。
「くそっ、きりが――」
悪態をつこうとした瞬間に、全身から力が抜けた。




