奇跡を信じて
第九十二話。アイテムは忘れたころに役に立つ
アンジュがスペーディアの攻撃を一手に引き受けている。狼刀は否が応でもそのことを理解させられた。
狼刀のほうには、スペーディアはおろか流れ弾の一つも飛んでこないのだ。
「何が目的だ……」
浮かぶのは疑念。
狼刀はアンジュがスペーディアを暴走させたと考えている。その上で自分に何かをさせたいのだと。
スペーディアに狼刀を殺させたいのかと考えたが、違う。アンジュが身を呈してまで狼刀を守っているような態度から考えて間違いない。
狼刀にスペーディアを殺させたいのかと考えたが、違う。それならば、魔物がスペーディアなどと説明する意味が無い。
だが、シンプルにスペーディアを助けさせたい訳では無いだろう。それはアンジュにとってなんのメリットもない。
そこまでは考えつくが、その先が狼刀には思いつかなかった。
「あー、くそっ!」
考えても考えてもわからない。
アンジュの思惑も、スペーディアを助ける方法も。
「どうしたら、いいんだ……」
狼刀は左手で髪の毛を掻きむしる。
そしてふと、自分の手を見つめた。
左手の傷が塞がっている。その事実に狼刀は今、気がついた。ついで、脇腹に触れる。その傷も塞がっていた。
「どう、して? 何がどうなって……」
狼刀は混乱する頭で考え、手に持っている細剣に目を向ける。
「……トレイスの秘剣」
原因はそれしか考えられなかった。
この剣は、何らかの治癒能力を宿している。そして、スペーディアを救うにはその力を使うしかない。
狼刀はそう思った。
◇
右手に持ったトレイスの秘剣を見つめる狼刀。
「気がついたみたいだね」
その姿を見て、アンジュは嬉しそうに呟いた。
「あとはその剣で刺すだけだよ」
それで死神の格の暴走は収まる。秘剣は元々そのために造られたものだから。
もう一つの力は、アンジュが隙を見て封じる。
使いこなせるようにならなかったのは残念だっだが、それはまたの機会だ。
「突風魔法」
殺傷性のない風魔法を使って、アンジュはスペーディアを送り出した。
◇
狼刀はトレイスの秘剣を持って、立ち尽くしていた。
トレイスの秘剣の治癒能力が発動する条件。それがわからないのだ。
一番最初に思いついたのは、スペーディアに剣を握らせること。ただ、暴れるスペーディアに剣を持たせるのは大変であり、仮に持たせられたとしても即効性がなければ反撃されて終わりだ。
狼刀はじっくりと思考を巡らせた結果。映画で見た方法を真似してみることにした。アンジュに飛ばされるように距離をとるスペーディアに向かって、走る。
スペーディアは狼刀に背を向けていた。
「そこだ!」
狼刀は奇跡を信じて、秘剣を当てる。
「何を……?」
アンジュは戸惑ったような声をあげるが、構ってる暇はない。狼刀は光を帯びる秘剣を強く押し当てた。
「ア、ガァッ……」
秘剣から発せられた光は、徐々にスペーディアの体を包んでいく。スペーディアはまともに身動きが取れないまま光に包まれた。
光球が狼刀を弾く。
「くっ……」
その近くへとアンジュがやって来た。
「何をしたんですか?」
「…………」
その問いかけに、狼刀は答えない。
「……答える余裕はありませんか」
アンジュは狼刀への追求を諦め、笑みを浮かべた。
「さてさて、何が起こるのか」
光球にヒビが入る。
ヒビは少しずつ広がっていき、光球が割れた。
中から現れた人影がゆっくりと地面に降り立つ。
腰まで届く美しい銀髪、黄緑色の瞳。身に纏うものこそ異なるが、その姿は間違いなくスペーディア・ジャンヌ・トレイスその人だった。
「ありがと。ロウト」
スペーディアが顔を逸らす。その声は獣の唸り声とは違い、澄んだ鈴の音のような声だ。
「あと、剣貸して」
「え、あ……はい」
顔をそむけたまま、スペーディアが手を差し出した。狼刀は戸惑いつつも刀を手渡す。
スペーディアは受け取った刀を構え、狼刀を守るようにアンジュと向き合った。
「正気を取り戻したようで何よりです」
「それより、あなたには色々と聞きたいことがあるのだけれど?」
アンジュが笑いかけ、スペーディアは口だけの笑顔で応じる。
「こちらからの質問に答えていただければ、考えますよ」
「……信じられませんわね」
スペーディアは少し迷いつつもそう答えた。
「信じる信じないはご自由に」
アンジュは両手を上げておどけてみせる。
「死神の格はコントロールできるようになったのですか?」
「…………」
スペーディアの反応を待たずに、アンジュが問いかけた。無視しようとするスペーディアだが、答えなければアンジュは何も答えないだろう。
スペーディアはため息をついて、口を開いた。
「……前と変わりませんわ」
アンジュの笑顔が僅かに歪む。
「わかりにくい回答ですね」
「丁寧に答えるとは言ってませんもの」
「確かに」
正論に屁理屈で返すと、アンジュは諦めたかのように頭を振った。
「では、質問を変えましょう」
不敵な笑みを浮かべ、アンジュはスペーディアを指差す。いや厳密に言うなら、スペーディアが身に纏う鎧を指差した。
「その鎧は秘剣の代わりですか?」
アンジュの質問は、ほとんどの人にとって意味のわからないものに聞こえただろう。実際、二人の会話を一番近くで聞いていた狼刀には質問の意図がわからなかった。
ただし、質問とは質問された人が理解していれば成り立つのだ。
「……そうよ」
「なるほど」
スペーディアの答えを聞いて、アンジュは満足そうに頷いた。
「こちらも質問させていただきますわ」
アンジュの質問が一段落したところで、スペーディアが質問する側へと転じる。
「お好きにどうぞ」
「っ……あなた何者?」
自分のことでありながら、どこ吹く風といった様子のアンジュ。スペーディアは苛立ちを抑えつつ、努めて冷静に問いかける。
「邪神教に属する神官。天の神官アンジュですよ」
アンジュは相手を逆撫でするように答えた。
「そうじゃなくてっ!」
「丁寧に、答えましたよ? 私は」
冷静であろうとするスペーディアを挑発するような態度と言動。アンジュの目的はスペーディアから冷静さを奪うことのようだった。
「このっ……」
「待って」
今にもアンジュに向かって飛びかかりそうなスペーディア。狼刀はその手を掴んで止める。
「放して」
スペーディアは振り向かなかった。
「放さない」
狼刀は握る手に力を込める。
「いまは冷静にならないと」
二人のやり取りを客観的に見ていたからこそ、狼刀はそう判断することが出来た。もし当事者だったら絶対に無理、とは思いつつも口には出さない。
「……わかりましたわ」
スペーディアはゆっくりと刀を下ろした。
「話し合いをする気になりましたか?」
両手を広げ、何も持っていないことを強調しながらアンジュが笑う。
「えぇ」
スペーディアも笑い返して、一歩踏み出した。狼刀は引っ張られるように立ち上がり、その隣へ立つ。
「なるほど」
アンジュは含みのある笑みを浮かべながら、手近にあった瓦礫に腰掛けた。
「なら、まず。その鎧は何と呼べばいいかな?」




