奥の手
第八十一話。奥の手も取っておくもの
セイントとザルクは互いに斬撃を繰り出しあいながらも、傷を負ってはいなかった。それでも疲労は溜まっているのか、攻防の速度は落ちている。
「疲れを回復する魔法があれば良かったんですがね?」
ミソロギはその様子を見守ることしか出来なかった。
否。
ミソロギは黙って見守っていた訳では無い。
「えっ……たっ……」
玉座に縛り付けたサマルカンドに化けた何者から情報を引き出すために、出来る限りのことをやっていた。
「喋る気になりましたか?」
ミソロギの問いかけに対して、サマルカンド擬きは激しく首を振る。首を振るのは口を塞がれているからだ。
「そうですか?」
ミソロギはため息をついて、小振りのナイフを取り出した。創造物ではない、本物のナイフだ。
「強情な方ですね? そろそろ指の一つでも落としましょうか?」
狼刀からは情報を聞き出して欲しいとしか頼まれていない。敵だとしても傷付けることを好まない人であるとは聞いているが、頼み事を達成するほうが優先だろう。
ミソロギはそう判断して、サマルカンド擬きの小指にナイフを当てた。
「ぐっ……がっ……」
サマルカンド擬きは必死に身体を揺らして、逃げようとする。
「無駄ですよ?」
拘束は完璧だ。逃げられはしない。
ミソロギは、じわりじわりとナイフを指に食い込ませる。
「拷問には少々心得がありましてね?」
一気に切り落とすのではなく、ゆっくりと苦痛を味あわせるように、あくまで目的は自白を引き出すことなのだから。
「話せば楽になりますよ?」
肉を、骨を、ナイフは止まることなく削っていく。
「楽になりませんか?」
「ぎっ……くっ……」
「何をしてるのかしら?」
澄み渡った声が聞こえて、ミソロギは動きを止めた。
「王妃マリッジ?」
青いドレスを身に纏い、群青のヴェールで顔を隠す清らかな女性。サマルカンドに次いで権力を持ち、同じように偽者である可能性がある人物でもある。
「ミソロギさんでしたかしら? 夫を離してもらえませんか?」
疑惑の女性マリッジは静かに近づいて来て、ミソロギの頬にそっと手を触れた。
躱すことは難しくないはずなのに、何故か動くことが出来ない。ミソロギは完全に動けなくなっていた。
「よろしいですか?」
ミソロギは静かに頷いて、サマルカンドの拘束を解く。
「ありがとうございます」
マリッジはサマルカンドの手を取って、立ち上がった。フラフラとしているサマルカンドが倒れないように、手を引いて歩いていく。
所作といい、関係性といい、何故あの二人が偽者かも知れないと思ったのだろうか。
誰かに言われたから? そんな眉唾な話を信じていたのか? いや、何の根拠もない話を信じるわけはない。
「何かがおかしい?」
記憶が混沌として落ち着かない。
それなのに、はっきり分かることが一つだけ。ミソロギは半ば無意識に自分の頭に手を触れた。
ミソロギの頭に未知の記憶が流れ込んでくる。
「王妃マリッジ? そうか、彼女は――」
記憶の濁流に飲み込まれ、ミソロギは倒れた。
◇
「ミソロギ殿!」
セイントが異変に気がついて声を上げるが、ミソロギは動かない。
サマルカンドには逃げられた。マリッジまでもが敵だと確定したこの状況は、ほぼ最悪といって差し支えないものであった。
だがあくまで、ほぼ、である。
「集中出来ねぇか?」
まだ、捕らえるべき敵が残っていた。
「答えろよォ」
「くっ……」
セイントは劣勢だ。
一番の原因は殺さないように手加減をしなければならないからだろう。狼刀から頼まれたのは、神官を生け捕りにすることである。
セイントはザルクを傷つけないように戦っていた。
ザルクのパタがセイントの腕を掠める。
しかし、僅かな切り傷でセイントの動きは鈍らない。
セイントは真正面から剣を振り下ろす。
ザルクは右手のパタでそれを弾き、左手で突きを放った。
セイントは剣を素早く戻して、柄頭で突きを受け止め、左手を膝で蹴り上げる。
そこで剣を振り下ろせばダメージを与えることは出来るだろう。だが、セイントはザルクを剣で押し飛ばすだけにとどめる。
「やりづらい戦いだ」
真剣を用いて相手が殺さないように戦うのは、戦闘経験が豊富なセイントをもってしても至難の業だ。いや、敵を殺すという戦闘経験が豊富だからこそ、難しかった。
それでも、エース城を救ってくれた恩人の頼みとあれば成し遂げてみせる。
「ゆくぞ!」
自らを鼓舞するように、セイントは吼えた。
「気に入らねェ」
ザルクが顔をしかめる。
言葉の意味は考えるまでもない。
セイントの態度も、終わらない戦闘も気に入らないのだろう。それを察することが出来ても、セイントに出来ることはなかった。
ザルクが耳元を気にして、舌打ちをする。
「……チッ、気に入らねェ」
ザルクは自分の右手で、左手を切り落とした。
血が吹き出すが、構うことなく切断面を床に押しあてる。
「何を!」
セイントは驚くだけで、動けなかった。
ザルクはだくだくと流れ続ける血を床全体に網目状に広げていく。それは巨大な魔法陣のようにも見えた。
「くっ」
「一緒に吹っ飛ぼうぜェ!」
ザルクが叫ぶ。
「神聖・光線魔法」
セイントは剣を構え、最大威力の魔法を放った。生半可な攻撃では止めることなど出来ない。長年の戦闘経験から理解しての行動だ。
魔力を帯びていた血が、輝きを失う。
それは、術者が絶命したことを告げていた。
「申し訳ありません」
セイントが静かに剣を下ろす。
そこには、なにも残っていなかった。




