09 旅立ち
結果は①であった。喜ぶべきだけれど、あまりに急な別れに心がついていけない。泣く泣くエド様を見送った後、ミナは普通に出勤し、夕方、また土牢に行った。作った着物は衣装箪笥に仕舞って、持ち出した家具や調度品をII番倉庫に片付けた。
次の日は、庭の石窯や物干し竿を撤去した。畑はそのままにしたが、すぐに草に覆われて、元の荒れ庭に戻るだろう。
(さよならリンゴの木。ありがとう山鳥…)
ガランとした土牢に残るのは、岩壁から垂れる鎖と、外した足枷。それを見たら、涙が溢れて止まらない。エド様は雲上人に戻った。もうミナだけの主人じゃない。でも、
『必ず迎えに行く。それまで待っていろ』
あれはエド様の侍女にしてやる、という意味だ。イタチだって専属の密偵になりたがっていた。
(もっと勉強しよう。方向音痴を補えるほど、優秀になろう)
そしていつか、エド様の専属侍女に。そう決心したミナは、涙を拭いて土牢を後にした。
◇
書陵部のミネルバさんに、「翻訳のできる人は故郷に帰った」と伝えたら、「残念!一度会ってみたかった!」と惜しまれた。ミナは今までの礼として、余ったお金で菓子を差し入れた。ミネルバさんは大層喜んでくれて、勉強がしたいと言うミナに、『初級古代語』や『宮廷マナーの基本』などの本を貸してくれた。
エド様の事が気になるけれど、書陵部にも調度管理課にも、宮廷の噂は入ってこない。だから、休日に父が来てくれた時、それとなく探ってみた。
「エド様?ああ。第三王子殿下ね。お元気になったらしいよ。政務にも復帰なさったようだし。それよりミナ、例の裁判はどうなった?」
寮の面会室で茶を飲みながら、逆に訊かれた。そう言えば、駆け落ちを匂わせていたっけ。ミナは慌てて誤魔化した。
「えーと、復帰した、つまり無罪になったの。で、牢を出た。それで終わり」
「じゃあ、もう食べ物を差し入れなくて良いんだな?カールに聞いたぞ。毎日、パンやミルクを貢いでたって。まあ、若い時は色々あるさ。その程度で済んで良かったと思いなさい」
「え?」
「結婚詐欺に遭ったんだろ?私も若い頃、美人局によく遭った。血筋かねぇ」
盛大に誤解をしているが、秘密を漏らす訳にもいかず、娘は父の追憶を延々聞かされた。
◇
その次の休日、ミナは兄に木刀を返しに行った。騎士団は何となくザワザワしていて、いつもと雰囲気が違う。見習い君が兄を呼んで来てくれたが、
「今、ちょっと忙しいんだ」
と言って、兄は椅子に座るなり、手にしたサンドイッチを食べ始めた。
「どうしたの?」
「戦だ。詳しい事は言えないが、手柄を立てる絶好の機会だからな。待ってろ、ミナ。詐欺師に騙された分くらい、すぐに取り返してやる!」
「…そりゃどうも。木刀、返すわ」
「髭剃りは?」
「詐欺師にあげちゃった。要るなら新しいの買って」
「あれ、一応、家宝なんだが…まあ、良いよ。気にするな」
憐れむような目が鬱陶しい。妹は席を立った。兄は天然理想流免許皆伝なので、『気をつけて』も『無事のお帰りを』も要らない。
「じゃあ、頑張って」
「おう」
さっぱりと別れて、ミナは寮に帰った。そしてひたすら勉強に励んだ。
◇
やがて秋が終わり、冬が来た。ミナは『上級古代語』『宮廷マナー:王族編』までを修めた。土牢には行っていない。目を瞑れば、いつでもエド様に会えるから、それで十分だった。
遠くで戦をやっているらしいが、城内は静かだ。兄は出征し、父も忙しい。勉強に専念したいから、新年は王都で迎えるかも、と母に手紙を書いた。
そんなある日。調度管理課に大量の家具が届いた。
「どうしたんですか?これ」
ミナが尋ねると、課長が書類を見ながら言った。
「王族にお輿入れする姫君の、嫁入り道具だそうだ。新居の改装工事が遅れているらしいよ。終わるまで預かってくれって」
「へえー。確かに新しいですね。流行のデザインだし」
流線的で優美なテーブル、ソファ、各種箪笥、ベッド、バスタブ、等々が運び込まれる。ミナ達職員は、倉庫の中身をあちこちに移動させ、それら全てを一つの倉庫に納めた。
「ふー。やっと終わった」
ミナは何気なく、椅子に付けられた札を見た。そこには、
「第三王子妃殿下・御新居」
と書かれていた。
◇
課長に訊いても、花嫁の正体は不明だった。分かったのは、近く、お輿入れがあるという事だけ。ミナはその場にへたり込んでしまった。
「大丈夫?もう上がって良いよ。大体、終わったから」
課長に促され、彼女は退勤した。初めての早退だった。とりあえず寮に帰ってベッドに入り、眠った。
翌朝。目覚めたミナは確信した。
「迎えは来ない」
あれから3ヶ月。単に忙しいのかと思っていたが、嫁を取る余裕があるのだ。きっと、妃殿下は優秀な侍女をいっぱい連れてくる。ミナは不要。むしろ邪魔。
これほど絶望したのは、『女は天然理想流の免許を取れない』と知った時以来だ。大人になるというのは、希望の灯が一つ一つ消えていく事だ、と誰かが言っていた。ミナは剣士になれなかった。侍女にもなれなかった。そして今、エド様という大きな灯りが消えてしまった…。
(ああ。私は要らない人間なんだ。辛い。消えたい…)
彼女は布団を被って泣いた。それでも仕事にはちゃんと行った。しかし、食欲が全く湧かない。1週間ほどろくに食べないでいたら、ミナは職場で倒れてしまった。
◇
意識が戻ると、枕元で父と課長が話す声が聞こえた。
「やはり害獣駆除が良くなかったのかも。悪い病気になったんじゃ…」
「それは無いでしょう。田舎では獣を獲るなんて日常茶飯事ですから」
「すいません。大事なお嬢さんを預かっていながら」
「いやいや。実は結婚詐欺に遭ったんです。そのショックでしょう」
「ええーっ!それは辛い。取り敢えず、傷病休暇扱いにしますね」
「助かります」
課長が出て行ったので、ミナはムクリと起き上がった。病院みたいな白い部屋の白いベッドに寝かされている。
「ここどこ?」
「王城内の診療所だ。今夜はここに泊まれと、医者が言ってたぞ。ほら、お前の好物のマカロンだ。好きなだけ食べなさい」
父は甘い香りのする紙袋をくれた。中には色とりどりのマカロンが沢山入っている。ミナはそれを食べながら文句を言った。
「結婚詐欺の話、言いふらさないでよ」
「それ程言ってない。それより、お前、気分転換に外国に行きたくないか?」
「何よ急に」
「実は、大使としてアストリア王国に行く話が来ててな。一緒に行かないか?」
怪しい。下っ端外務官僚が大使だなんて。娘の疑いの眼に、父は白状した。
「誰も行きたがらないんだよ。内乱中だから。でも、クジで当たっちゃって。妻か娘を連れていかなきゃならない。ドレス代とか宝飾品代も出るぞ!家計も潤う!どうだ?」
「…行く」
ミナは迷わず頷いた。アストリアなら言葉も同じだし、何より、ここを離れたい。そうと決まったら、後は早かった。課長に辞表を出して、お世話になった方達に挨拶をして、翌週には父とアストリア王国に向かう馬車に乗っていた。
(さようなら、エド様)
ミナ・ウィスタリア、18歳。新たな旅立ちであった。




