07 母来たる
「痛えっ!」
頭を押さえて振り向いたアホに、ミナは続け様に籠手・面・胴を喰らわし、返す物干し竿で奴の獲物を弾き飛ばした。
「超絶痛いんですけど!あんた何なの?!」
「優秀な侍女だ!あーっ!またブローチを!」
「嘘つけ!オレだって優秀な密偵だぞ。ただの侍女に打たれねぇよ!これは王子がくれたんだ。もうオレのもんだ!」
侍女と密偵は睨み合う。ジリジリと互いの隙を狙っていたら、エド様がため息をついた。
「ミナ、止めろ。情報を得るためだ。イタチ、もう良い。下がれ」
「はいはい。じゃあな、ゴリラ女」
アホはナイフを拾うと、憎まれ口を叩いて消えた。嫌なヤツ。ミナは物干し竿を元に戻し、II番倉庫から新しいブローチを持ってきて、エド様の着物に付けた。エド様色の青じゃなくて残念だけど、紫の石もよくお似合いだ。ついでに髪を梳かして、白い長い髪を紫のリボンで結んだ。
エド様は面倒だと言わんばかりに顔を顰めた。
「誰にも会わないのに。着飾る必要があるのか?」
「イタチが来たじゃないですか。これから狸や狼も来るかもしれません。指輪もしましょう。イタチの餌はこれで十分です」
とか言いつつ、本当はミナの自己満足だ。整った顔立ちに神秘的な白い髪、青い炎を宿す瞳。エド様は美しい。髭は剃るべきだし、うんと着飾るべきだ。
「ところで、お手紙は書けましたか?」
つい見つめてしまうのを誤魔化して、ミナは尋ねた。
「…まだだ」
「一息入れましょう。売店で良いお茶を買ったんです」
エド様はまた、ふうっとため息をついて便箋を片付けた。何をしても格好良過ぎて、こっちがため息をつきたい。
(あと何回、お茶を淹れられるかな?)
王様のお赦しが出たら、エド様はエドヴァルド殿下に戻る。ミナは残された時間を惜しむように、ゆっくりと茶の支度をした。
◇
イタチはちょくちょく顔を出すようになった。ミナがいない時にも来ているようで、気づくとエド様の指輪が無くなっている。釈放にしろ、脱走にしろ、外に出た時に備えて情報が要るのは分かる。だが、アホイタチは日に日に図々しくなっていく。
「飯まだなんだ。食わせてよ」
と、わざとらしく昼時に来て、食事を強請る。エド様が「用意してやれ」と言うので、ミナは仕方なくアホの分も出す。
「何これ、美味っ!硬いけど」
「昨日捕まえたイタチよ。あんたと同じで筋張ってる」
「それを言うなら『細マッチョ』。筋張ってんのはオメェの…痛っ!殴るなって!」
「失礼ね!私は『ほっそりしてる』の!」
ギャンギャン喧嘩していると、エド様に怒鳴られる。
「うるさい!いい加減にしろ!」
そう言いながらも、どことなく楽しそうだ。悔しいけれど、イタチのお陰で土牢が賑やかになったのは確かだった。
◇
あっという間に数週間が経ち、エド様はやっと手紙を書き上げた。
「おめでとうございます!…あれ?どうしたんですか?エド様」
ミナは大喜びで拍手をしたが、エド様は浮かない顔だ。
「問題は、どうやって陛下に届けるか、だ。お前の父には頼めまい。平騎士の兄も無理だ。イタチは論外だな。正体不明の者では、受け取っていただけない」
「そ、そうですね。そこまで考えてませんでした」
盲点だった。王様に普通郵便で出せる訳がない。まして、エド様は幽閉の身。内密にお渡しできるのは、側近、あるいは陛下と親しい人間に限られる。
少し考えてから、エド様は言った。
「…私の軍師だったクリシュナ卿に頼む。今は王都にいないが、イタチに行ってもらおう」
「その方なら、王様に渡せますか?」
「分からない。参内せよという王命を無視しているそうだから。でもきっと何とかするだろう。ミナ、宝石を用意しておいてくれ」
「承知しました」
こればっかりはイタチに頼るしかない。 しかし、その日、奴は来なかった。翌日も姿を見せず、三日目の午後、思いもかけない訪問者が来た。
◇
その日は朝から激しい雨だった。エド様は庭に出ることができず、土牢で静かに翻訳作業をしている。ミナは食事の世話以外する事がないので、エド様の着物を縫っていた。
不意に、コンコン、と鉄を叩く音がして、エド様がハッと顔を上げた。
「エドヴァルド」
女性の声が聞こえた。横に細長い覗き穴から、青い目が見える。エド様はそちらへ駆け寄った。そして、穴から差し込まれた白い指に触れ、
「母上!」
と言った。
(!?)
ミナは仰天した。エド様の母上、つまり側妃様が土牢に来たのだ。恐らく、初めて。
「母上。どうやって、ここへ?」
「…イタチと申す者が連れて来てくれました。エドヴァルド、手紙を。私が陛下にお渡しします」
ますます驚いた。イタチが教えたのかもしれない。側妃様は酷く焦った様子で言った。
「早く。時間がありません。看守が起きてしまう」
ミナがさっと封筒を差し出すと、エド様はそれを母の手に渡した。
「お願いします。決して無理はなさいませんよう」
「…あと少しだけ、辛抱してください。きっと…」
母の嗚咽を、イタチの声が絶つ。
「そこまでだ。おい、エド様。どーしても会いたいって母御が言うから連れてきたぞ。大雨で王妃の監視が緩んでたけど、オレも見張られてっから、これ以上は無理。暫く隠れる。あばよ」
「イタチ。感謝する。この礼は必ず」
「んじゃ、エド様専属の密偵にしてくれ。約束だからな」
覗き穴はまた閉められた。エド様は壁に両手を着いたまま、ずっとそこを見ている。あまりに短い、母子の再会であった。
◇
イタチはそれきり姿を現さない。本当に組織の裏切り者になってしまったらしい。嫌な奴だったけど、エド様への忠義は認めてやろう。兎にも角にも、後は陛下の御心次第である。
ミナは準備を始めた。①お赦しいただけた場合は、一番素敵な着物を。②ダメだった場合、変装用の下男の服だ。
①か②か。祈るような気持ちで結果を待っていた。




