06 庭へ
その夜、王子はなかなか寝つけなかった。あり得ない考えが浮かんでは消える。
(いっそ、残党と組んでペデスを討つか?)
駄目だ。それでは何のためにノルディ将軍を討ったのか、分からない。
易々と勝利した訳ではない。時には敗走し、少ない味方と逃げ隠れた事すらある。ただ、陛下をお助けしたい一心で剣を振い続け、将軍を討ったのだ。
凱旋式の時、陛下は仰った。
『エドヴァルド。これからも余を支えてくれ。共に理想の国を作ろうぞ』
何という名誉。王子は涙を流して頷いた。
だがその数ヶ月後、目が覚めたらここにいた。婚約者と茶を飲んでいたのが最後の記憶である。飢えに苦しみながら、彼はひたすら考えた。
(何が起こった?側近も囚われたか?修道騎士団は?)
ある日、パンに埋め込まれた小さな紙に気づいた。母の字だった。
『侯爵に唆された王妃が、陛下に、第三王子の謀反を讒言しました。どうか今暫くのご辛抱を。すぐに、お味方が疑いを晴らしてくれましょう』
では陛下が捕縛を命じたのだ。あれほど国の為、陛下の為に働いたのに…今度は父への恨めしさに苦しめられた。
秘密の手紙は、それきり届かない。ミナに『次の尋問の時に』などと言ったが、あれは嘘だ。今まで、一人として土牢を訪れた者はいない。王子の辛抱はとうにはち切れ、脳内で何度侯爵の首を刎ねたか知れない。王妃も同罪だ。口に毒杯を捩じ込んでやりたい。それができるなら、残党と組んでも良いとすら思える。
ふと、王子は先ほどの会話を思い出した。『無益な殺生を禁ず』などと言っていたくせに、暗殺者を便所の穴に落とそうとしていた。
(侯爵を下水に流すとか言っていたな。阿保か)
『不用心だ』と鍵を掛けるのも変だ。土牢なのに。彼は、小さく笑って目を閉じた。
◆
翌朝、ミナは何事も無かったように現れた。食料を置いて仕事に行き、昼過ぎにまた来て、王子の世話などをする。そして茶と菓子を用意すると、暇を乞うた。
「今日は半休をもらったので、ちょっと父に会ってきますね」
ウィスタリア伯爵は外務官僚らしい。調度管理課は城壁寄りだと言うから、中央までは遠いだろう。王子は一応確かめた。
「外務省まで一人で行けるのか?」
「もう!エド様ったら!子供じゃあるまいし。大丈夫ですよ。書陵部のミネルバさんが一緒に行ってくれますから。帰りは兄が迎えにきてくれますし」
と言って、ミナは出かけた。昨夜のイタチの話を聞いて、情報を集めに行ったのか。王子は翻訳をする気が起きないので、素振りを始めた。
◆
ミナは夕方前に帰ってきた。布で包んだ小さな荷と、なぜか斧を持っている。
「エド様、これを。父に貰ってきたんです」
王子は差し出された包を開けた。中から上等な手漉きの便箋と封筒が出てきた。
「やっぱり、一回、陛下に冤罪だって訴えましょう。正々堂々、ここを出られたら最高ですが、もしダメだったら、一緒に逃げましょう。その時は絶縁してくれって、父と兄に頼んできました」
「待て。お前、私の事を話したのか?」
「いいえ。『裁判中の人を好きになったの。もし有罪になったら、彼と国外に逃げるから、私の籍は抜いてね』って頼んでおきました」
王子は紫の瞳を見つめた。初めて会った時、あれほど家族を守ろうとしていたのに。
(全てを捨ててくれるのか…)
目頭が熱くなったのを、誤魔化すように訊いた。
「伯爵は何と?」
「ウチの父、鋭いので、薄々勘付いたみたいです。『その時は、領地に匿おう』って言ってました。兄は何も分ってないかも。『そいつ、天然理想流に入門させろよ』ですって。まあ、山しかない田舎なので。隠れる所はいっぱいあります」
晴れやかな顔で言うと、ミナは斧を取った。そして足枷の鎖に打ち下ろした。
「ごめんなさい。こんな物、早く切れば良かった。アホなんかに苦戦しなかったのに」
「…」
鎖は一撃で絶たれていた。ミナは格子戸の鍵を開け、呆然とする彼に手を伸ばした。
「さあ、お庭に出ましょう!秋の花が綺麗ですよ!」
◆
王子は初めて外に出た。大きな岩の一部をくり抜いて土牢にしたらしい。思ったより広い庭は、ぐるりと高い石塀に囲まれており、どこにも出入り口が無い。おそらく、王子を幽閉した後に塞いだのだ。イタチは縄梯子か何かで降りてきたのだろう。
「元々は果樹園の一部だったみたいです。ほら、リンゴやブドウの木があるでしょう?野生化しちゃってますけど」
「王城のどの辺りなんだ?」
「さあ?調度管理課から徒歩5分以内です」
方向音痴に聞いても仕方ない。王子は石塀に沿って歩き、外の様子を探った。しかし、草木の揺れる音や小鳥の囀り以外、何も聞こえないし、匂いもしない。
(高い建物が見えない…登って確かめるしかないか。鉤縄が要るな)
王子が脱出計画を練る傍らで、ミナは自慢げに石窯や畑などを紹介していた。
「じゃーん!ここで燻製を作ったり、お菓子を焼いてます。あっちはエド様専用の菜園で、もう少しでトマトが収穫できそう。そこの枝に渡した物干し竿がお着物用、あちらがフンドシ用です」
大岩の裏にまわると、泉があった。石塀はそこで終わっているが、ピタリと隙間無く組まれている。王子は舌打ちをした。するとミナが顔を曇らせた。
「エド様。まずは王様に手紙を書いてください。それでダメだったら、必ず脱走を手伝います。約束してくれますか?無理矢理、II番倉庫から脱走しないって。課長に迷惑をかけたくないんです」
「では何故、鎖を切った?」
「また暗殺者が来たら怖いので。それに、エド様を信じてますから」
今すぐにでも脱出したい。だがミナの信頼を裏切りたくも無い。迷いながら上を向くと、塀に囲まれてはいるが、久しぶりに青い空が見えた。彼は大きく息を吸った。
(大丈夫、待てる)
また一つ、人間らしさを取り戻したのだから。
「分かった。約束する。手紙も…書く」
「ありがとうございます!あ!エド様、裸足でした!」
「良い。汚れついでに、外で茶を飲もう」
そうして、日暮まで裸足で踏む草や土の感触を楽しみ、風に揺れる素朴な花や、ミナが家事をするのを眺めた。
◆
その日から、昼間のほとんどを外で過ごしている。素振りも広々とした空間でやると気持ちが良い。午後はリンゴの木陰にテーブルを出し、ミナと約束した手紙を書く。しかし、父へ私信を書いたことが無いので筆が進まない。普通の親子はどんな手紙を書くのだろう?
試しに王子はミナに訊いてみた。
「えー?父への手紙ですか?お小遣いを上げてとか、流行りの小説を買ってきてとか?」
「…お前に訊いた私がバカだった」
あまり参考にならない。そもそも親子というより君臣の間柄なのだ。そうして真っ白な便箋の前で悩むこと数日。ミナがいない時に、ふらっとイタチが来た。
◆
「何?鎖切ったの?マジで?」
石塀の上から、黒ずくめの男が猫のように飛び降りてきた。王子はペンを置き、無言で傍の木刀に手を伸ばした。イタチは首を振った。
「違うよ。暗殺じゃない。情報売りに来たんだ」
「お前はどちらの味方なんだ?」
「金払いの良い方さ。宝石、あと10個くれたら、脱走も手伝うよ?」
「信用できるか。塀を降りた途端、捕まるのは真っ平だ。それより、私が謀反を企んだという話は、どれほど広まっている?」
ミナはまた怒るだろうが、王子が胸のブローチを放ると、イタチは器用に受け止めた。
「表向きは病気ってことになってるけど、宮廷で知らない奴はいない。それより聞きたいのは、第三王子派の事じゃないの?」
「…」
「母君は後宮に軟禁中。側近達は修道騎士団が匿ってて、大軍師は領地に引き籠ってるよ。その他大勢はペデス派になったか、中立を守ってる。婚約者だったスカーレット・セプタンティオ伯爵令嬢は…」
「私に眠り薬を盛った。とうに寝返っていたのだろう。売女め!」
王子は吐き捨てるように言った。スカーレット。愛の言葉も、交わした約束も、全てが嘘だった。あんな毒婦を信じていたのかと思うと、腑が煮えくり返る。
「ここを出たら、真っ先に締め殺す」
「怖っ。そういう所だよ。あんたの味方が少ない理由。もう少し穏やかになれないの?」
イタチが呆れ顔で言った時、後ろから、
「お黙り!」
と、物干し竿が振り下ろされた。




