04 天然理想流 vs 暗殺者
奇妙な主従関係が始まって半月近くが経つ。今朝、ミナは食料を置いていったと思ったら、すぐに戻ってきて、妙に太い木刀を王子に差し出した。
「今日はお休みなので、兄に木刀を借りてきました。ちょっと振ってみてください」
「不恰好な木刀だな…」
彼女が手を離した瞬間、とんでもない重さにギョッとした。
「何だこれは?!」
「我が故郷に伝わる剣術、“天然理想流”の木刀です。普通のより重いので、効率よく鍛えることができますよ!さあ、どうぞ!」
ミナはテーブルや椅子を壁際に寄せた。王子は仕方なく振り上げてみたが、あまりの重さに腕が震える。振り下ろしたら、切先が床近くまで落ちてしまった。
「やっぱり筋肉が落ちてますね。翻訳は急がなくて良いですから、今日から素振りをしてください。最低でも千回」
「阿呆!そんなにできるか!」
まるで巨人の棍棒だぞ。あまりに簡単そうに言うので、王子は怒鳴った。するとミナはため息をついた。
「はあ。千回くらい、天然理想流の門弟なら余裕ですよ。手本をお見せしますから。貸してください」
彼女はサッと木刀を奪い取ると、軽々と素振りをした。
「!!」
王子は言葉を失った。自分よりずっと小さく細いのに、黒髪の娘は息も荒げずに百回を振って見せたのだ。
「しゃがんでやると、脚も鍛えられますよ。ちなみに私の兄は片手でも出来ます。エド様も頑張ってください。騎士団長だったんでしょう?あ、実戦は部下に任せるタイプですかぁ?」
「ぐぬぬ…」
そこまで言われたら、やるしかない。王子は木刀を奪い返し、素振りを始めた。
◆
「…998、999、1000!」
王子の全身から汗が滴り、腕の筋肉が痙攣する。結局、千回振り終えるのに、2時間以上かかってしまった。座り込んで息を整えていると、ミナが湯浴みを勧めた。
「ついでにお髭も剃りましょう。専用の石鹸も買ってきましたから」
されるがままに湯浴みを終え、着替えて椅子に座ったら、温かいタオルが顔に置かれた。ああ、髭剃りも久しぶりだ。柔らかな泡も、顔に触れる優しい手も気持ち良い。
「慣れてるな?」
手際がいいので尋ねると、ミナは笑って言った。
「兄が両手を骨折した時に、散々やらされましたから。プロ並ですよ」
「兄の名は?」
「カールです。平騎士のくせに見習い君をこき使ってて。生意気でした」
「お前もな」
ミナの話ぶりから仲の良さが想像できる。王子自身、腹違いの兄弟姉妹は多くいるが、腹を割って話したことが無い。特に王妃の産んだ兄王子達とは嫌味の応酬しか記憶に無かった。
温かいタオルで拭かれてウトウト仕掛けた時、
「さ、おしまい…キャーッ!!」
急にミナが叫び声を上げたので、王子は驚いて目を開けた。
「うるさい。何だ急に」
「エド様が若返った!魔法?それとも呪いが解けた?!」
王子は鏡を見たが、特に変わっていない。逆に聞きたい。『どれだけ年寄りに見えていたんだ』と。ミナは寂しそうに、「さようなら仙人様…」と言いながら、剃り落とした髭を便所の穴に捨てていた。
髭面の方が良かったのかと思いきや、その日以降、彼女は髭剃りをしたがった。
「面倒だ。どうせお前としか会わないのに」
何度かそう言って断ったのだが、頑として譲らない。
「いいえ。『いかなる時も備えを怠るべからず』。天然理想流の大切な教えでございます」
「それはそうだが…」
「さ。剃りますよ」
「…」
◆
細々とした家事を終え、ミナが茶とりんごのパイをテーブルに並べている。最近、古レンガで石窯を作ったらしく、庭で湯を沸かしたり菓子まで焼いているのだ。
今日は、ミナと交わした約束の期限である。王子はさっさと食べ終えてから、向かいでパイを頬張る娘に訊いた。
「ミナ。心は決まったか?ここを出る件だ」
「えーっと。決まったというか…脱獄はできると思うんです。看守の人、パンを落とすだけで、中見ないし。手順はこうです。①斧で鎖を切る。②下働きの制服に着替える。③課長が昼休憩の間に外に出る。④堂々と裏門から出て行く。手ぶらだったら手荷物検査も無いので、簡単に通れると思います」
「では、それで」
王子は頷いた。やや杜撰だが、止められたら突破するまでだ。ようやく脱出できると思うと、胸が熱くなる。だがミナは心配そうに、上目遣いでこちらを見た。
「お城を出た後、エド様はどうするんですか?」
「ひとまず身を隠す。お前はすぐに城を出て故郷に帰れ」
「私の家族はどうなるんですか?エド様が逃げたって分かったら、土牢を隅々まで調べられて、結局、私が幇助したってバレますよね?そしたら父も兄も物理的に首切られます。ド田舎だって、いつかは追捕史が来ます。母と私も斬首です。…そんなの嫌です」
エドヴァルドは椅子を倒して立ち上がると、岩壁を思い切り打った。
「では永遠にここで素振りをしていろと言うのか?!ぺデス侯爵は必ず陛下を裏切る!それを止める為にも、脱出せねばならんのだ!ミナ・ウィスタリア!それでもお前は陛下の臣か!」
震えながらも、ミナは首を振った。
「臣下の前に人間です。家族を死なせたくありません。お願いですエド様。王様に許しを乞いましょう。何とか侯爵とも和解しましょうよ」
「黙れ黙れ黙れ!!ぺデスと和解する?そのような戯言、二度と口にするな!」
どれほどの辛酸を舐めさせられたか。この娘は知らないのだ。復讐しかこの傷を癒せないという事が、理解できないのだ。怒り狂った王子は、何度も、壁に拳を叩きつけた。だがミナは黙らない。
「裏切るかもってだけで、侯爵を殺すんですか?嫌です!『無益な殺生を禁ず』が、天然理想流の一番大切な教えです」
「下がれ!この不忠者め!」
我慢の限界に達し、彼は思わずティーカップを投げつけた。忌々しくも避けられたが、紫の目に涙が浮かんだ。
「…」
ミナは無言で立ち去った。後には砕けた茶器と、濁った空気だけが残っていた。
◆
天が垂らした糸は切れてしまった。ミナはもう来ない。人間らしい暮らしも今日までだ。王子はベッドに寝転がり、ひたすら自己を正当化していた。
(何が天然理想流だ。田舎剣法のくせに。殺生を禁ず?綺麗事を抜かすな)
いつの間にか眠っていたようで、闇の中で目を覚ました。灯りを点けようと身を起こした時、首筋の毛がチリっと逆立った。
「何者だ!」
テーブルの上のフォークを掴み、格子戸に向かって投げる。土牢に入ってきた影はそれを弾いた。王子は床に転がり、振り下ろされたナイフを躱す。速い。手練れの暗殺者である。
「…本当にエドヴァルド王子?骨と皮だって聞いてたんけど…」
馴れ馴れしい口調で影が言った。王子は木刀に手を伸ばしながら問う。
「誰に頼まれた?ぺデス侯爵か?」
「誰でも良いっしょ。うおっ!?」
暗殺者は木刀を避けた。やはり重過ぎて当てられない。更に足枷も不利であった。鎖を踏まれて体勢を崩した所を足蹴りされ、木刀を落としてしまった。
「終いだ」
長ナイフが倒れる王子の首めがけて繰り出される。だが、「ゴッ」という鈍い音と共に、暗殺者は崩折れた。
見上げると、木刀を握ったほっそりとした影がいた。
「え?死んだ?」
ミナの声であった。




