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02 エドヴァルド王子の栄光と失墜

 第三王子エドヴァルドは、側室腹ながら、一を聞いて十を知る聡明さで『いずれは』と目されていた。しかし、僅か10歳で修道院に入れられた。そして神の教えよりも剣に熱中し、20歳で修道騎士団の団長にまでなった。


 その頃、ノルディ将軍が反乱を起こした。同調する領主たちは日に日に増え、追い詰められた王はついに都を捨てて断崖絶壁の山城に逃れた。数万の包囲軍に対し籠城側は数千。裏切り者が続出し、陥落寸前の危機に駆けつけたのは、エドヴァルト王子率いる修道騎士団であった。


 そこから怒涛の反撃が始まる。修道騎士団は瞬く間に逆賊どもを蹴散らし、将軍の首を奪った。これを喜んだ王は、第三王子を還俗させ、大将軍の地位に就けようとしたが、


「その何とか侯爵が反対したんですね?お金で騎士爵を与えたり、武器商人から袖の下を貰いまくってたから、清廉潔白なエド様が将軍になると困る。それで、王妃様の耳に『第三王子が王位を狙ってまっせ。今のうちに始末しとかんと、こっちが殺られんとちゃいますか』とか何とか吹き込んで、王様に泣き付かせた。それで激怒した王様が『エドの奴が謀反だと?!戦が終わったばかりだっちゅうの!反省するまで牢に放り込んどけ!』と命じた」


 女は頷きながら王子の話をまとめた。言い回しが違うと言いたかったが、酷い状態の自分を湯浴みさせてくれた。その恩義に免じて最低限の指摘に留めた。


「ペデス侯爵。私の名はエドヴァルドだ。愛称で呼ぶな」


「長いです。『ヴァ』とか発音しづらいし。とにかく。大体の事情は分かりましたが、脱獄の協力の件は一旦持ち帰らせてください。父と兄に相談した上でお返事いたします」


 生意気。無礼者。エドヴァルドは怒鳴りかけた。だが女はさっと盆で顔を隠した。


「怖っ!なんで怒るんですか?!私、間違ってませんよ!そんな簡単に一族の命運なんて決められませんて!これが豪華な王宮の一室で、全部の指にでっかい宝石の指輪をはめた大貴族っぽい人に頼まれたんなら、別ですけど」


「…」


 この黒髪の娘、正論を吐く。天の垂らした救いの糸は細く切れやすい…王子は少し慎重になった。


「ところで、その何とか将軍の乱って、いつの話なんですか?」


「3年前だ。知らないのか?」


「全然知りませんでした。ウチ、田舎過ぎて、王都の情報とか、届くのに半年かかるんですよー。開戦と終戦が同時に伝わる感じです。ちなみにエド様は、どのくらいここに?」


「1年と185日」



「えっ!嘘っ!そんなに!?え?と言うことは、エド様って20代なんですか?」


「25、いや、もうすぐ26になる」


 囚われる直前、盛大な誕生パーティーが開かれた。多くの者に英雄と持て囃され、賢く美しい婚約者との愛に溺れていた。あの頃が幸福の絶頂であった。かつて金色だった髪は白髪になり、さぞ老けて見えるのだろう。


 過去の栄耀栄華を思い出し、憂鬱になった王子は話を打ち切った。


「とにかく。協力しないのなら、次の尋問の時にウィスタリア伯爵の名を出す。これは取引じゃない。命令だ」


「尋問はいつです?」


 しつこい娘は盆の陰から紫の目を覗かせる。藤の花よりもっと濃い。アメジストのようだ。


「さあな。月に1回ぐらいだ」


「じゃあ、最低でも1ヶ月、猶予をください。それまでに考えます」


「良いだろう。だが決して外部に漏らすなよ」


「承知しました。ではまた明日」


 王子は仰天した。


「明日?!」


「今日はもう終業なので。明日は掃除しますよ。今夜はガウンで我慢してください。もうちょとマシな着物と、足枷付きでも履ける下着を用意しますから」


 呆気に取られているうちに、娘は盆だけ持って岩壁の向こうに消えていった。



          ◆



 夜が明けた。1年と186日目の朝だ。まだ暗い土牢を見回すと、茶器が置かれた小さなテーブルと椅子が見える。清潔な体で気持ちよく眠れた。


(夢ではなかった)


 昨日までここには、便所の穴と、鉄格子の小さな出入り口と、看守の覗き穴しかなかった。


 ポットから冷えた紅茶を注ぎ、椅子に座って飲む。王子は『何と人間らしい朝だ』と思った。今まで、岩肌から滴る水で喉を潤していたからだ。一杯の茶の有り難さが沁み入る。


「メシだ」


 覗き穴から薄いパンが落とされた。日に1度の食事だ。それを拾って齧ろうとしたが、思い直して椅子に座って食べた。実に人間らしい。


(あの生意気な娘は今日も来るのか?)


 ミナ・ウィスタリア。黒い髪を侍女のようにまとめた、澄んだ紫色の瞳の娘。見た目は軟弱なのに、湯の入った盥を軽々と持ち上げていた。


『痒いところはございませんかー?』


 優しい手が王子の髪をほぐす時、涙が込み上げた。湯をかけられて隠せたが、嗚咽を堪えるのが精一杯だった。思ったより心が弱っている。この機会を逃したら、いずれ鎖で首を括るか、狂い死ぬだろう。


(何としても、ここを出なければ)


 そして復讐を果たす。ペデス侯爵はもちろん、自分を地獄に叩き落とした者達を皆殺しにする。それまで、真の安らぎは訪れない。



          ◆



 鉄格子の影が昼を示す頃、ミナは姿を現した。箒やバケツ、モップなどを持っている。


「エド様は座っててください。邪魔なんで」


 愛称で呼ぶな。叱責を飲み込み、王子は椅子に座った。ミナは手際よく床を履き清め、磨いた。それから倉庫と土牢を行ったり来たりして、ベッドや箪笥、衝立、その他細々とした物を運び込む。


「簡易ベッドだから寝心地悪いかも。その分、毛皮とか敷いてみましょう。手鏡とか櫛はここの引き出しに入れておきますね。あ、これ着替えです。どうぞ」


 ミナが手渡してきたのは、青いガウンのような服だった。それと、白い長方形の不思議なものを差し出す。布の端に、細長い布が縫い付けてある。


「これは何だ?」


「フンドシと言う、東方の下着です。とても健康に良いらしいですよ。付け方はですね、①布をお尻側にして、紐をおへその位置で結びます。②お尻側の布を股の間を潜らせて前に持ってきて、結んだ紐の下に通します。③股の部分をいい感じに整えて、布を垂らします。④後ろの布をお尻を包むように整えます。お付けしましょうか?」


「阿呆!自分でやる!」


 王子はそれを奪うように取って、衝立の向こうに行った。恥じらいの無さに腹が立つ。奇妙な下着をつけた後、たっぷりした着物の袖に腕を通してから、彼女を呼んだ。


「ミナ。帯を」


「はい。結び方、覚えてくださいね」


 ミナは王子に着方を教えた。直線的な服は、足枷があっても脱ぎ着ができる。肩幅も着丈もぴったりなので、


「もしや、これはお前が縫ったのか?」


 と訊くと、


「はい。倉庫に良い反物があったので。着替えはここの引き出しに入れておきますよ。必ず、毎日フンドシは替えてください。汚れ物はこの籠へ。ところで、あの向こうって庭ですか?」


 細い指が格子戸を差した。宮中で捕えられ、気づいたらここにいた。今まで、あれが開いた事はない。王子は沈んだ声で答えた。


「知らん。雑草が見えるから、空き地だろう」


「お布団干したいので、ちょっと見てきますね」


「やめておけ。鍵が掛かっている」


 止めたのに、ミナは隙間から手を出して、錠前をガチャガチャいじり始めた。すると、それが音を立てて床に落ちた。彼女は舌を出してこちらを向いた。


「壊れちゃった。てへっ!」


 王子は声を上げそうになった。腐食していたのか、あるいはとんでもない馬鹿力か。ミナが出て行ったので、思わず、席を立とうとしたが、足枷の音で我に返った。彼が外に出るには鎖が足りない。


 ややあって戻ってきたミナは、興奮した様子で、


「すっごい広いお庭です!果物がいっぱい生ってて!はい、おやつ」


 と言って、リンゴを一つ王子に手渡した。その甘酸っぱい香りに、またしても王子の涙腺は緩みかけた。


「布団を干せそうな植え込みも見つけました。そうだ、綺麗な湧き水が出てる泉もあったから、歯磨きや洗顔用に汲んでおきましょう。お花も沢山咲いてます。草を刈って、お庭が見えるようにしましょうよ」



          ◆



「じゃあ、エド様。また明日。ご機嫌よう!」


 やがて日が暮れて、ミナは帰った。朝までテーブルと椅子しか無かった土牢には、簡素なベッドに衝立、着替えの詰まった箪笥が置かれ、その上には清らかな水が入った水差しと、洗面器、歯ブラシがある。小さなワゴンにリンゴが山と盛られ、便所には塵紙まであった。


 目の前のテーブルの上には、ミナが切ったリンゴの皿とフォーク、まだ温かい紅茶。王子は上を向いた。人間らしさを取り戻す度に涙が出る。


 その夜。太陽の匂いのする布団に包まれ、王子はぐっすり眠った。明日が来るのが待ち遠しかった。


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