01 土牢の囚人
モデルは大塔宮護良親王です。後醍醐天皇の第三皇子として生まれ、征夷大将軍にまでなりますが、失脚して鎌倉の土牢に幽閉されます。史実ではそこで暗殺されますが、もし助かっていたら?そんな想像をファンタジーで実現してみました。ヒロインは、護良親王に最期まで仕えた女官、南の方より名付けました。どうぞお楽しみ下さい!
ミナは超がつくほどの田舎で生まれ育ち、先ごろ成人した。そして王都に登り、役人である父のコネで王城の侍女見習いになるはずだった。しかし、なれなかった。極度の方向音痴だからである。
侵入者を防ぐためか、仲の悪いお妃同士がかち合わないためか。城の造りは複雑怪奇だ。一度案内されただけでは覚えられない。何処にも案内表示が無い上、メモを取る事も禁止。使いに出たまま一向に戻らぬミナは、『適性無し』となり、調度管理課配属となった。
◇
「あ。それ11番に入れといて」
課長がビロード張りの椅子と小机を指差す。
「はい」
台車にそれらを積み、ミナは11番倉庫に向かった。調度管理課とは、使わなくなった家具や調度品を保管する部署である。薄暗い廊下には、大きく番号が書かれたドアが並ぶ。これなら迷いようがない。だが、やり甲斐もない。
椅子の脚に下げられた「後宮」の札を見て、ミナはため息をついた。
(高貴な方にお仕えしたかったな。側妃様とか王女様とか)
陰謀渦巻く王宮で活躍したかった。数々の事件を華麗に解決し、その縁で出会った美形の騎士様と恋に落ちて寿退職をするのだ。持参金は自分で貯めて。しかし現実は厳しい。こんな閑職では百年働いても貯まらないし、定年間近のおじさん達としか出会えない。花の盛りを無為に過ごしていて、良いのだろうか。
椅子ばかりを保管する倉庫を出て、台車を押しながらとぼとぼと歩いていると、見覚えの無いドアに気づいた。「II」と書かれている。ミナはしばし考えた。
(あれ?ずっと11番は向こうの倉庫だと思ってたけど、実はこっちだった?)
調度品は王の代替わりまで仕舞っておく。もう一度出せと言われることは殆どない、と課長は言っていたが、万が一という事もある。ミナは台車を廊下に置くと、そのドアをそっと開けてみた。
薄暗い倉庫には箪笥やらソファやら、雑多な家具が置かれている。良かった。椅子置き場ではなさそうだ。昔は種類別に保管していなかったのだろう。すっかり埃を被った家具には管理札も付いていない。一番奥の大きな衣装箪笥を開けてみたら、中には色とりどりの服や帯がぎっしり吊るしてあった。
(変なの。調度品の中身は取り出す決まりなのに…)
本や小物は調度管理課で保管するが、王族の服や装飾品は、衣装管理課に送られる。『これ報告したほうが良いのかなぁ?』と服を掻き分け掻き分け、ミナは奥へと進んでいった。
◇
気づくとゴツゴツした岩肌の通路にいた。何と。箪笥の奥は洞窟に通じていたのである。その洞窟の先に曲がり角があり、陽の光が差している。
(外?)
と思ったが、行ってみると、外ではなく岩屋であった。床は平らだけれど壁は荒削り。右手に人一人通れる程の穴があり、鉄格子の扉がはめられている。
つまり、土牢。
ミナは王国の闇を見てしまった。何故なら左の壁に、囚人がもたれて座っていたのだ。右足首の枷から長い鎖が岩壁に繋がっている。
汚れた白い髪と髭に覆われた顔が、こちらを向いた。
「…」
「…」
恐ろしく緊迫した空気が流れること数秒。男は口を開いた。
「暗殺者か?」
「いいえ。通りすがりの者です。失礼しました。ご機嫌よう」
これは関わってはダメなやつだ。後退るミナに、
「では誰だ?」
と、男は鋭い声で訊いた。凄まじい威圧に、貧乏貴族の小娘は思わず頭を垂れた。
「ウィスタリア伯爵の娘、ミナと申します」
「…聞いたことのない家名だ」
「よく言われます」
むしろ知っていたら驚きです。ミナは頭を上げた。声は若いが、服はボロボロ、垢が溜まった肌は痛々しい程なのに、青い瞳は爛々としている。こんな所に極秘に囚われているということは、超危険人物だ。
(君子危うきに近寄らず。逃げよ)
と思ったのに、尊大に命じられた。
「もう遅い。ミナ・ウィスタリア。ここを出る。協力しろ」
「はいいっ?!」
ミナは素っ頓狂な声を上げた。白髪の男は立ち上がると、ジャラジャラと鎖を響かせて近づいてきた。
「さもなければ、お前の一族も謀反人だと証言するぞ」
「そんな…うぷっ!」
手が届く程の距離まで近づいた時、ミナは顔を背けて叫んだ。
「無理っ!臭過ぎっ!」
◇
何年湯浴みをしなければこうなるのか。数週間、山籠りして帰ってきた兄の洗濯物より臭い。ミナは走って土牢を出ると、衣装箪笥を通って元の倉庫に戻った。そして辺りの小箪笥や鏡台の中を漁った。古いけど使えそうなタオルや石鹸・洗髪剤・櫛・海綿・軽石・爪切り等々を見つけ、ガウンや帯と一緒に拝借する。
それらを大きな盥に放り込み、土牢に運び入れた。囚人は突っ立ったまま、何か言っていたが無視。再び倉庫に戻り、今度は台車を押して調度管理課の炊事場へ行った。そこで大量の湯を沸かして空の樽に詰めると、台車に載せた。
「あれ?どうしたのミナちゃん」
事務室の前を通る時、課長に呼び止められたので、
「奥の倉庫で、大量のネズミがゲロを吐いて死んでるんです。消毒していいですか?」
と三角に折った布で鼻と口を覆いながら適当な事を言った。汚物恐怖症の課長は青い顔で頷いた。
「もちろん!今日はそっちをお願いするよ」
やや良心が痛むが、倉庫の奥に汚物があるのは間違っていない。ミナは大急ぎで土牢に戻ると、湯浴みの支度を整え、汚物に言った。
「服を脱いで盥に入ってください。お話はその後です」
「…」
「あ、足枷が邪魔でズボンが脱げない?うーん。切りましょう。上のシャツっぽいのも捨てて良いですよね。はい、このタオルで前隠して。座ってください。頭からいきますよ」
素っ裸の囚人は両膝を抱えて盥に座る。その上から湯と洗髪料をかけ、フケと皮脂で絡んだ髪と髭を丁寧に洗った。次は顔と体だ。石鹸を海綿で泡立て、時間をかけて垢を落とした。
盥の湯はあっという間にドロドロになる。何度もその汚水を、土牢の隅に掘られた穴に捨てた。下に水の流れが見えるから、この穴はトイレだろう。だが便器も無い。小はともかく、大はどうするの?…などと考えながらミナは海綿を男に渡した。
「大事な所はご自分でどうぞ。私は向こう向いてますから。終わったら声かけてください」
ここで湯が尽きたので、盥から出てもらい、タオルで全身を拭く。仕上げに香油を塗った後、絹のガウンを着せて、湯浴みは終わった。
ミナは湯浴み道具を倉庫に戻し、代わりに椅子と小さなテーブルを持ってくると、そこに男を座らせて手足の爪を切った。やすりで整えてから綺麗に磨いたら、形の良い手は輝くように美しくなった。
「…」
終始無言の男は、己の手をじっと見つめている。白い長髪を梳かしつつ、ミナは己の侍女としての腕に自信を持った。汚物を立派な仙人にしたのだから。
男が歯を磨いている間に、もう一度倉庫に戻り、食器棚からポットとティーカップを見つけ出す。炊事場で洗ってから私物の茶葉でお茶を淹れた。それを持って土牢に戻り、やっと落ち着いて話す体勢になった。
◇
「粗茶ですが。どうぞ」
ミナが勧めると、男は優雅に茶を飲んだ。向かいに座って改めて観察すると、歳の頃は40~50。白い髪に海のような青い瞳。高い鼻梁には血筋の良さが漂う。筋肉が発達しているから軍人かもしれないが、見たところ体に傷はなかった。
「…あの奥はどこに繋がっている?」
男は洞窟に続く岩陰を見た。「調度管理課の倉庫の一つです」とミナが答えると、眉を顰めた。
「聞いたことのない部署だ。最近できたのか?」
「そんな事ありませんよ。昔、お妃様が恋文を机の引き出しの二重底に隠したのを忘れて部屋の模様替えをして、その机を払い下げたら、それを買った人が恋文を見つけちゃって。一大スキャンダルになったそうです。その時できた部署ですから」
「くだらん」
「何をおっしゃいます。王子様の血筋が疑われたんですよ。血の雨が降ったとか降らなかったとか…ところで、先ほどの話の続きですが、謀反ってどういう意味です?」
男の青い瞳が鋭くなった。凄い目力で怖いが、負けじと睨み返す。ややあって、彼は語り出した。
「私はエドヴァルド・アウグストゥス・トリスマーニャ・アロイス。謀反を企んだ罪で幽閉されているが、誓って、これは冤罪だ。ペデス侯爵の陰謀だ!」




