#第3話 値段より、条件を見る
金貨二枚が、五枚になった。
一晩で。
普通なら喜ぶところだと思う。
実際、父も母も驚いていたし、ノアなんて夕食の間ずっと、
「三枚増えたんだぞ」
と何度も言っていた。
分かってる。
金貨三枚は大金だ。
月光草を集めて銀貨三枚半を稼いだ俺からすれば、とんでもない額である。
なのに。
俺は妙に引っかかっていた。
金額が上がったことじゃない。
何かが、気になる。
◇
翌朝。
俺はいつものように畑にいた。
ざくっ。
鍬を入れる。
ざくっ。
うん。
やっぱりいい。
考え事をするときは、身体を動かすに限る。
前世では、何かあるたび椅子に座ったままモニターを睨んでいた。
今は土を掘りながら考えられる。
健康的だ。
「お前さ」
隣でノアが言った。
「昨日からずっと北の丘のこと考えてるだろ」
「考えてないよ」
「嘘つけ」
兄の中で、俺への信用が少しずつ減っている気がする。
悲しい。
「畑のことも考えてる」
「“も”って言ったじゃん」
「あ。」
俺は何事もなかったように鍬を振り下ろした。
「兄ちゃん」
「今度は何」
「金貨五枚って、高い?」
ノアが少し考える。
「高いだろ。うちで一年働いても、そんなに残らないんじゃないか?」
やっぱり。
この村にとっては、かなりの額だ。
「北の丘って、何かに使ってた?」
「いや?」
「昔は?」
「知らない」
「木を取ったり?」
「ほとんど生えてないだろ」
「羊を放したり?」
「足場悪いし」
使っていない土地。
そこから金貨五枚が出てくる。
そりゃ、魅力的に見える。
俺だって何も知らなければ、
「使ってないんだし、いいんじゃない?」
と思うかもしれない。
でも。
前世でもあった。
使っていない土地。
眠っている特許。
赤字会社。
誰も要らないと言っている資産。
そこへ突然、
「買わせてください」
と誰かが来る。
その瞬間。
見るべきものは、提示された金額だけじゃない。
相手が、どれだけ欲しがっているのか。
最初は金貨二枚だった。
こちらが少し問い返した。
それだけで五枚になった。
「……早いんだよな」
「何が?」
「あ、いや」
俺は鍬を止めた。
そうか。
俺が引っかかっていたのは、これだ。
**値段を上げるのが、早すぎる。**
「兄ちゃん」
「うん?」
「採掘権って、何?」
「……昨日からそれ気にしてたのに、そこ知らなかったの?」
痛いところを突かれた。
「だいたいは分かるよ」
「じゃあ何で聞くんだよ」
「どこまで掘っていいのかなって」
ノアも鍬を止めた。
「どこまで?」
「うん」
俺は自分でも少し気になってきた。
石が欲しい。
だから採掘権を買う。
そこまでは分かる。
でも。
「掘ってる途中で、石じゃないものが出てきたら?」
ノアが瞬きをした。
「……石じゃないもの?」
「例えば」
何だろう。
この世界らしいもの。
「鉄とか」
「鉄が出たら……」
ノアが考える。
「掘った人のものなんじゃないか?」
「そうなの?」
「知らない」
二人で黙る。
知らない兄弟だった。
「父さんに聞けば?」
「そうする」
◇
朝食のあと。
父に聞いてみた。
「採掘権?」
父がパンをちぎる。
「また北の丘か」
「ちょっと気になって」
「最近そればっかりだな」
ノアが横から、
「こいつ朝から俺にも聞いてた」
と告げ口する。
「俺が気にしたって、別にいいだろ」
「いいけど」
父が考える。
「採掘権は……その土地を掘って、出てきたものを持っていく権利、だったと思うぞ」
「石だけじゃなくて?」
「契約次第じゃないか?」
やっぱり。
**契約次第。**
そこだ。
「今日、村で話すんだよね?」
「ああ。昼からだ」
「父さんも行く?」
「村の家長は呼ばれてる」
家長。
俺はパンを食べながら、何気ないふうを装って口にした。
「……そういうのって、書いてあることを見てから決めるんだよね?」
父が笑う。
「お前が心配することじゃない」
「うん」
その通り。
俺が契約するわけじゃない。
だから。
あとは大人に任せればいい。
◇
……と思っていた。
昼。
俺は村長の家の外にいた。
「なんでお前も来るんだよ」
ノアが呆れている。
「散歩」
「嘘つけ」
最近、兄の返しが速い。
村の話し合いは、グレゴ爺さんの家ではなく、隣にある集会小屋で行われていた。
家長たちが十数人。
その中に父もいる。
例の領主側の男も来ていた。
俺とノアは呼ばれていないので、中には入らない。
外で薪を運んでいる。
ちゃんと仕事をしている。
そのついでに。
少し聞こえるだけだ。
本当に。
少しだけ。
「それでは、昨日申し上げた通り」
使者の男の声がする。
「北丘陵の採掘権について、金貨五枚をお支払いします」
ざわつく声。
やっぱり五枚。
「期間は?」
誰かが聞いた。
少し間があった。
「十年です」
俺の手が止まった。
十年?
昨日まで、期間なんて聞いていない。
いや。
父が知らなかっただけかもしれない。
「十年も?」
別の男の声。
「石を取るだけなんだろ?」
「街道整備は一度で終わるものではありません。今後も補修は必要になります」
なるほど。
一応筋は通る。
でも。
「掘る場所は?」
「北丘陵の指定区域すべてです」
「どこからどこまでだ?」
紙を広げる音がした。
俺は薪を置き、少しだけ戸口の方を見る。
ノアが小声で言う。
「見すぎ」
「薪置いただけ」
「置いてからずっと動いてないだろ」
俺は戸口から目をそらし、薪を一束持ち上げた。
中では地図を確認しているらしい。
しばらくして。
父の声が聞こえた。
「一つ聞いても?」
「どうぞ」
「ここには、“採掘された物についてはすべて領主側に所有権がある”と書いてあるが」
俺はノアを見る。
ノアも俺を見る。
朝の話だ。
使者が答える。
「通常の文言です」
「石以外のものが出ても?」
少し間。
ほんの少し。
「採掘によって得られたものについては、契約者側に帰属します」
来た。
俺は思わず口を閉じた。
別に驚くようなことじゃない。
父だって、契約次第だと言っていた。
問題は。
石が欲しいだけなのに。
**なぜ“すべて”が必要なのか。**
「じゃあ」
グレゴ爺さんの声。
「石材だけ、と決めておくわけにはいかんかの」
沈黙。
短い沈黙だった。
でも。
俺にはやけに長く感じた。
「それでは、こちらとしても契約の意味が変わります」
使者が答えた。
穏やかな声。
怒ってはいない。
慌ててもいない。
「今回お願いしているのは、北丘陵における採掘権そのものです」
グレゴ爺さんが言う。
「街道の石が欲しいんじゃろ?」
「そのための採掘権です」
「なら石だけでええじゃろ」
「採掘の途中で出る副産物まで細かく定義すれば、作業のたび確認が必要になります」
うまい。
俺は思った。
筋は通っている。
もし石を掘っていて鉄くず程度の鉱石が混じるたび、
「これは持っていっていいですか?」
なんて確認していたら面倒だ。
だから一括。
合理的だ。
ちゃんと説明できる。
この人。
馬鹿じゃない。
むしろ。
かなり慣れている。
◇
話し合いは、すぐには終わらなかった。
大人たちはいろいろ質問した。
道は誰が直すのか。
採掘で崩れた場所はどうするのか。
村人が北丘陵へ入れなくなるのか。
騒音は。
水は。
木は。
俺は外で薪を運びながら聞いていた。
正直。
少し反省した。
俺は「何か隠している」と疑っている。
だから、使者の言葉全部が怪しく聞こえる。
でも。
それは危険だ。
前世でも。
一度「この会社は怪しい」と思った瞬間、
普通の決算まで全部悪く見えることがあった。
逆もある。
「絶対伸びる」と惚れた銘柄なら、
悪材料まで都合よく解釈してしまう。
思い込み。
これが一番怖い。
だから。
今ある事実だけ整理する。
北丘陵は、村ではほぼ使っていない。
領主側は採掘権を欲しがっている。
目的は街道用の石材だと説明している。
最初は金貨二枚。
質問された後、金貨五枚に上がった。
契約期間は十年。
採掘した物は、石以外もすべて領主側のものになる。
そして。
契約前なのに、測量の準備をしていた。
ここまで。
それ以上は推測だ。
「レオン」
ノアに呼ばれた。
「何?」
「薪、同じの持ったまま固まってる」
「あ」
完全に忘れていた。
◇
昼を過ぎても、結論は出なかった。
使者の男が集会小屋から出てくる。
俺は慌てて薪の束を持った。
仕事。
仕事。
男は俺たちの横を通り過ぎ――。
少し止まった。
「君たちは?」
俺とノアを見る。
ノアが答えた。
「薪を運んでます」
「そうか」
それだけ。
男はまた歩き出した。
俺は少し安心する。
しかし。
三歩ほど進んだところで、男が振り返った。
「北丘陵へ行ったのは、君たちか?」
ノアが俺を見る。
俺もノアを見る。
なんで知ってる?
「昨日、道で馬車とすれ違っただろう」
ああ。
そういうことか。
別に見張られていたわけじゃない。
「はい」
ノアが答える。
男は少し笑った。
「危ない場所もある。近づかない方がいい」
「分かりました」
俺も頷く。
普通だ。
親切な注意。
それだけ。
男は今度こそ去っていった。
「……」
俺は背中を見る。
「レオン」
「何?」
「また考えてる」
「考えてない」
「またそれ?」
「何が?」
「考えてないってやつ」
「……」
ノアがこっちを見る。
俺は使者の背中から目をそらした。
「薪、まだある?」
「話そらしたな」
……ばれてる。
◇
夕方。
父が戻ってきた。
「どうなった?」
母が聞く。
父は椅子に座る。
「今日は決めなかった」
俺は少し驚いた。
金貨五枚。
村にとっては大金。
もっと早く決まると思っていた。
「グレゴさんがな」
父が水を飲む。
「十年は長い。いきなり全部の採掘権を渡す前に、一度ちゃんと調べた方がいいって」
いい判断だと思う。
「でも向こうも急いでるらしい」
「街道の工事?」
「そう言ってる」
母が聞く。
「じゃあどうするの?」
「三日だけ、調査を許可する」
俺は顔を上げた。
「調査?」
「どこを掘るのか、どんな石が取れるのか確認したいそうだ」
「掘っていいの?」
「少量の試掘だけ。持ち帰りは禁止」
なるほど。
村も考えた。
いきなり十年間を売らず、
まず調べさせる。
「無料?」
俺が聞く。
父が笑った。
「そこはグレゴさんも抜け目ない」
調査料。
**銀貨七枚。**
ノアが目を丸くした。
「調べるだけで?」
「ああ」
「すげえ……」
俺も同じことを思う。
金貨五枚に比べたら小さい。
でも。
何も決めずに銀貨七枚。
悪くない。
いや。
かなりいい。
「グレゴ爺さん、やるなあ」
思わず言うと、父が笑った。
「誰かさんが余計なこと言うから、慎重になったんだろ」
「俺、何も言ってないよ」
「南の採石場の話をしたんだろ?」
「話しただけ」
本当だ。
決めたのはグレゴ爺さん。
契約を確認したのは父たち。
俺はちょっと気になったことを聞いただけだ。
あとは大人たちが決めることだ。
◇
翌朝。
北丘陵に、領主側の調査隊が入った。
今度は正式な許可がある。
男が五人。
馬車が二台。
測量道具。
鉄杭。
縄。
小さな掘削道具。
村からもグレゴ爺さんと、父を含む三人が同行した。
持ち出し禁止を確認するためだ。
俺?
畑にいる。
当然だ。
「行かなくていいの?」
ノアが意外そうに聞く。
「何が?」
「北の丘」
「なんで?」
「昨日まであんなに気にしてたじゃん」
俺は鍬を入れる。
ざくっ。
「調べるなら向こうが調べてくれるでしょ」
「……そういうもん?」
「そういうもん」
自分で全部やる必要はない。
情報を持ってきてくれる人がいるなら、待てばいい。
前世でもそうだった。
毎日企業へ電話して調査するわけじゃない。
誰かが出した決算を見る。
ニュースを見る。
注文を見る。
その中から必要なものを拾う。
「今日は畑」
「楽しそうだな」
「楽しいよ」
これは本当だ。
一時間後。
俺は北丘陵にいた。
「……畑は?」
ノアが隣で聞く。
「休憩」
「一時間しかやってないけど」
「今日は暑いから」
「涼しいよ」
兄がうるさい。
◇
もちろん調査の邪魔はしない。
俺とノアは少し離れた場所から見ていた。
最初。
調査隊は丘の東側へ向かった。
露出している岩を確認する。
男の一人が金槌で叩く。
欠片を見る。
何かを書き込む。
普通。
石材調査に見える。
次に中央。
また同じ。
そこまでは何も変じゃない。
俺は少し退屈してきた。
本当に街道用の石なのかもしれない。
それならそれでいい。
村は金をもらえる。
街道も直る。
誰も困らない。
「帰る?」
ノアが聞く。
「そうしようかな」
そのときだった。
調査隊の一人が、露出している大きな岩場を素通りした。
ん?
俺は目で追う。
男は何もない地面の前で止まった。
草が少し生えているだけ。
石なんてほとんど見えていない。
そこに杭を一本打つ。
次。
さらに二十歩ほど進んで。
また何もないところへ。
杭。
その次も。
杭。
三本。
俺は眉を寄せた。
「兄ちゃん」
「ん?」
「街道の石を取る場所って、どうやって決めると思う?」
「石が多いところじゃない?」
俺もそう思う。
なのに。
調査隊は、今まで見た中で一番立派な岩場を通り過ぎた。
そして。
何もない場所に杭を打った。
一人の男が長い鉄棒を地面に差し込む。
抜く。
先についた土を確認する。
また差す。
石を見ていない。
**地面の下を見ている。**
俺は黙った。
決めつけるな。
まだ。
ただの地質調査かもしれない。
良い石が地下にあるか調べているだけかもしれない。
そう。
それだけだ。
でも。
俺の中で、昨日より一つだけ確かなことが増えた。
領主側が知りたいのは。
少なくとも。
**地表に転がっている石だけじゃない。**
「レオン」
ノアが俺を見る。
「また笑ってる」
俺は自分の口元に触れた。
本当だ。
「そんなに面白い?」
「うん」
「何が?」
俺は三本の杭を見る。
「まだ分かんないところ」
「……?」
ノアが首を傾げる。
分からない。
だから。
面白い。
月光草は数字が教えてくれた。
でも今回は。
数字が黙っている。
なら。
人を見る。
契約を見る。
動きを見る。
一つずつ材料を拾う。
それでいい。
俺は北丘陵を見上げた。
《北丘陵地・採掘権》
《現在価値:8》
《予測価値:――》
《重大変動》
《判定不能》
表示は今日も変わらない。
「急かすなよ」
俺は小さく呟いた。
答えが出ないなら。
出るまで読めばいい。
どうやら異世界の相場は。
前世より少しだけ――。
焦らすのが上手いらしい。




