#第2話 数字が出ないなら
《北丘陵地・採掘権》
《現在価値:8》
《予測価値:――》
《重大変動》
《判定不能》
赤い文字を見たまま、俺はしばらく動けなかった。
判定不能。
昨日まで見たものには、全部数字が出ていた。
麦にも。
月光草にも。
馬にも。
それなのに、北丘陵の採掘権だけは未来の数字がない。
「……面白そう」
思わず口元が緩んだ。
だが。
面白そうだから買う。
それだけで金を出していたら、前世で一億まで増やせていない。
相場には、分からないものがいくらでもある。
上がる理由が分からない。
下がる理由が分からない。
そもそも、自分が何を見落としているのかすら分からない。
そんなときに一番やってはいけないのは、
**分かった気になることだ。**
俺は羊皮紙を持った男を見る。
三十歳くらいだろうか。
腰には剣。
胸には銀色の鳥を模した紋章。
商人には見えない。
男は村長と話していた。
「ですから、土地そのものを譲っていただく必要はありません。今回必要なのは採掘権だけです」
「しかしなあ」
村長が首をひねる。
「北の丘なんぞ、掘ったところで石しか出ませんぞ」
「その石が必要なのです」
石。
俺は少し離れた場所で、月光草の束をまとめるふりをしながら耳を澄ませた。
その石が必要。
鉱石じゃなくて?
俺はもう一度、羊皮紙を見る。
《北丘陵地・採掘権》
《現在価値:8》
《予測価値:――》
《重大変動》
《判定不能》
やっぱり何も分からない。
だったら。
調べるしかない。
◇
夕食の席で、俺は父に聞いた。
「父さん。北の丘って、村のもの?」
「急にどうした?」
「今日、知らない人が村長と話してたから」
「ああ」
父が頷く。
「村の共有地だ。領主様のところから来た人が、掘らせてほしいんだと」
ノアがパンをちぎりながら言った。
「何が出るんだ?」
「石だそうだ」
「石?」
俺とノアの声が重なった。
母が笑う。
「息ぴったりね」
いや。
そこじゃない。
ノアも同じことを思ったらしい。
「石なんて、そこら中にあるだろ」
「そうなんだよなあ」
父も首をひねった。
「街道を直すのに使うとか言ってるらしいが」
「へえ」
俺は豆の煮込みを口に運ぶ。
街道。
それならあり得る。
大量に使うなら、運搬距離は大事だ。
ただ。
「南にも石を取るところあるよね?」
父が俺を見る。
「よく知ってるな」
畑へ行く途中に見える。
それだけだ。
「南じゃ遠いの?」
「いや。町へ運ぶなら、むしろ南の方が近いんじゃないか?」
ふむ。
「いくらで貸すの?」
「金貨二枚とか言ってたかな」
俺はそれ以上聞かなかった。
今のところ分かったのは、
北丘陵である必要がよく分からない。
それだけ。
北丘陵に宝が眠っている。
なんて決めつけるには早すぎる。
◇
翌朝。
「なんで俺まで行くんだよ」
ノアがあくびをする。
「散歩」
「畑は?」
「あとでやる」
「お前、畑好きじゃなかったのか?」
「好きだよ。でも山も気になる」
父からは、最近崖が崩れたから北丘陵へ一人で行くなと言われている。
だから兄を連れてきた。
ノアは十六歳。
一応、大人に近い。
問題ない。
たぶん。
北丘陵までは村から歩いて三十分ほど。
名前は立派だが、実際は低い岩山だった。
木も少ない。
土も薄い。
作物を育てるには向かなそうだ。
「本当に何もないな」
ノアが言った。
「うん」
俺もそう思う。
だからこそ変だ。
価値のないものをわざわざ欲しがる人間には、大抵理由がある。
ただし。
理由があることと、
自分の想像した理由が正しいことは、
まったく別の話だ。
俺は足元の石を拾った。
《灰石》
《現在価値:1》
《予測価値:1》
次。
《灰石》
《現在価値:1》
《予測価値:1》
さらに次。
《石灰岩》
《現在価値:2》
《予測価値:3》
普通。
「何してるんだ?」
「石見てる」
「それは見れば分かる」
丘を少し登る。
崩れた斜面には、黒い石や白い筋がいくつか露出していた。
《黒硬石》
《現在価値:3》
《予測価値:3》
《青鉄鉱》
《現在価値:7》
《予測価値:8》
どれも、とんでもない価値があるようには見えない。
「……違うのかな」
「何が?」
「こっちの話」
やっぱり、市場眼だけ見ていても分からない。
そもそも。
採掘権の価値と、そこに落ちている石一個の価値が同じとは限らない。
鉱山だって、掘る前から全部見えるわけじゃない。
「帰るか」
俺が言うと、ノアが驚いた。
「もういいのか?」
「うん」
「何しに来たんだよ」
俺は少し考えた。
「分からないって分かりに?」
「……?」
自分で言っておいて、十二歳らしくない気もした。
まあいい。
◇
丘を下りている途中だった。
後ろから馬車の音が聞こえた。
俺たちは道を空ける。
昨日の男が乗った馬車だ。
一台。
二台。
三台。
「多いな」
ノアが呟いた。
荷台には木材。
縄。
鉄の杭。
見慣れない大きな筒。
「兄ちゃん。あれ何?」
「測量道具じゃないか?」
「測量?」
「父さんが前に使ってるの見たことある」
へえ。
俺は通り過ぎる馬車を眺めた。
まだ、採掘権の話は決まっていない。
それなのに。
もう測量の準備をしている。
もちろん、別の仕事かもしれない。
北丘陵へ行くとは限らない。
だけど。
俺の中で、一つだけ引っかかった。
**随分、準備がいい。**
前世でも、よく見た。
まだ何も発表されていない。
けれど、誰かの動きだけが妙に早い。
そういうときは。
数字より、人を見る。
俺は馬車が見えなくなるまで眺めていた。
◇
帰り道。
村長の家の前を通った。
庭でグレゴ爺さんが薪を割っている。
「こんにちは」
「おお、レオン。兄弟でどこへ行っとった」
「北の丘」
薪を持ち上げかけていた手が止まる。
「危ないところへ行くなと言われとらんのか」
「兄ちゃんもいた」
俺はノアを指差した。
グレゴ爺さんがノアを見る。
ノアが微妙な顔をする。
責任を押しつけるな、と言いたそうだ。
「何しに行ったんじゃ」
「石見に」
「石?」
「うん」
俺は庭の隅に腰を下ろした。
「本当に石ばっかりだった」
「そりゃそうじゃ」
「南の採石場も石ばっかり?」
「当たり前じゃろ」
「そっちじゃ駄目なのかな」
薪を割ろうとしていた斧が、また止まった。
「何がじゃ」
「昨日の人」
俺は何でもないことのように言った。
「北の丘の石が欲しいんでしょ?」
「ああ」
「南の方が町に近いって父さん言ってた」
「……まあ、そうじゃな」
「なのに北なんだね」
それだけ言って、俺は立ち上がった。
グレゴ爺さんがこちらを見る。
「それから今日、馬車いっぱい来てたよ」
「馬車?」
「杭とか積んでた。兄ちゃんが測量するやつじゃないかって」
ノアが慌てる。
「いや、たぶんだけどな」
「うん。たぶん」
俺は頷いた。
「まだ決まってないのに、準備早いんだなって思っただけ」
グレゴ爺さんは何も言わなかった。
「じゃあね」
俺とノアは家へ向かった。
少し歩いてから、ノアが聞く。
「お前、何か気づいてるのか?」
「いや」
これは本当だ。
「分からない」
「……そうか?」
「うん」
分からない。
だから気になる。
◇
その日の夕方。
村長は領主の使者を呼び戻したらしい。
俺はその場にはいなかった。
夕食のとき、父が教えてくれた。
「グレゴさん、ずいぶん粘ったらしいぞ」
「何を?」
「北の丘の話だよ」
父はパンをちぎる。
「何に使うのか、なぜ北じゃなきゃ駄目なのか、ちゃんと聞くまでは決めんって」
「へえ」
俺は煮込みを食べる。
「向こうはなんて?」
「街道整備だって話は変わらなかったらしい」
なら、俺の考えすぎだったか。
そう思った。
「ただ」
父が続ける。
「金貨二枚だった話が、五枚になった」
俺の手が止まった。
ノアも止まった。
母だけが、
「まあ」
と驚いている。
「三枚も増えたの?」
ノアが言う。
「らしいぞ」
俺は黙った。
説明は変わっていない。
条件も、今のところ同じ。
なのに。
価格だけ上がった。
俺の頭のどこかで、懐かしいスイッチが入る。
売り手が渋った。
買い手が値段を上げた。
それ自体は珍しくない。
問題は。
**どれくらい欲しがっているか。**
金貨二枚で始めた相手が、
少し問い返されただけで五枚まで出した。
それなら最初の二枚は。
相手にとって、かなり都合のいい価格だった可能性がある。
俺は市場眼を思い浮かべる。
《北丘陵地・採掘権》
《現在価値:8》
《予測価値:――》
《重大変動》
《判定不能》
変わらない。
答えは出ない。
でも。
不思議と、前ほど困らなかった。
前世でも同じだったからだ。
チャートが全部教えてくれるわけじゃない。
決算書が全部教えてくれるわけでもない。
数字に出ないなら。
人を見る。
どう動くかを見る。
どこで焦るかを見る。
何に金を出すかを見る。
それも相場だった。
「レオン」
ノアが俺を見る。
「何笑ってるんだ?」
「笑ってた?」
「ちょっと」
俺は口元を押さえた。
まずい。
別に、村の土地が高く売れそうだから喜んでいるわけじゃない。
ただ。
ちょっと懐かしかった。
答えが見えない。
だから、周りを見る。
一つずつ材料を拾う。
そうやって相場を読む。
前世で、何千回もやったことだ。
市場眼があれば、全部分かる。
そんな都合のいい話じゃないらしい。
むしろ。
その方がいい。
俺は窓の外を見る。
遠くに、北丘陵の影が見えた。
「数字が出ないなら――」
小さく呟く。
「自分で読むしかないか」
今世の相場は。
どうやら、思っていたより面白そうだった。




