#第1話 異世界にも相場はあるらしい
俺は、金持ちだった。
いや。
こういう言い方をすると、少し語弊がある。
生まれたときから金持ちだったわけじゃない。
親が会社を持っていたわけでもないし、莫大な遺産が転がり込んできたわけでもない。
普通に学校へ行って、普通に就職して。
そして、株を始めた。
最初は百万円。
それが三百万になった。
五百万になった。
一千万を超えた頃から、数字が数字を呼ぶようになった。
気がつけば一億。
その先は、もう早かった。
朝起きてスマホを見る。
食事をしながら決算を見る。
市場が開けば板を見る。
閉じれば海外を見る。
寝る前にも見る。
「億万長者」という言葉には、もっとこう――。
南の島とか。
高級車とか。
毎晩シャンパンとか。
そういうものを想像するかもしれない。
現実は違った。
「……腰いてぇ」
三十一歳の俺が、一番よく口にした言葉である。
金はある。
時間もある。
けれど、頭の中はいつも数字でいっぱいだった。
上がった。
下がった。
決算。
金利。
為替。
材料。
需給。
気づけば一日の大半を、椅子の上で過ごしていた。
だから。
まさか二度目の人生で――。
「レオン! 鍬持ってきてー!」
「はーい!」
畑仕事に、ここまでハマるとは思わなかった。
◇
ざくっ。
土に鍬を入れる。
ざくっ。
もう一度。
湿った土の匂いが立ち上がった。
いい。
実にいい。
太陽がある。
風がある。
鳥が鳴いている。
何より。
「動いてる……!」
俺は感動していた。
自分の足で立ち、自分の腕を使って土を掘っている。
すごい。
「何が?」
隣で兄のノアが首をかしげた。
「いや、体ってこんなに動かせるんだなと思って」
「……朝から変なこと言うなよ」
ノアは十六歳。
俺は十二歳。
俺の今世の兄である。
二度目の人生。
この世界に生まれて十二年になる。
前世の記憶が戻ったのは七歳のときだった。
最初は絶望した。
電気がない。
インターネットがない。
冷蔵庫もない。
当然、証券会社もない。
チャートもない。
株式市場もない。
終わった。
俺の人生は完全に終わった。
――と、思った。
ところが。
朝起きる。
家族で朝飯を食う。
畑へ行く。
昼になったら木陰で休む。
夕方には家へ戻る。
飯を食ったら寝る。
最初の一週間で思った。
あれ。
めちゃくちゃ健康的じゃない?
一か月後。
畑を耕しながら思った。
外、気持ちよすぎない?
半年後。
確信した。
「これ、結構いい人生だな」
「だから何が?」
ノアがまた俺を見る。
「なんでもない」
俺は鍬を振り下ろした。
ざくっ。
最高。
前世の俺は、晴れている日にもカーテンを閉めてモニターを見ていた。
この世界ではチャートがない。
暴落もない。
FOMCもない。
深夜の要人発言もない。
夜中の三時に「なんで先物こんな下がってんの?」と飛び起きる必要もない。
なんて平和なんだ。
俺はこの世界を気に入っていた。
少なくとも――。
「おーい! レオン!」
あいつが来るまでは。
振り返る。
畑の向こうから三人の少年が歩いてきた。
先頭にいるのは、バルド。
村長の次男。
十四歳。
体が大きく、声も大きい。
そして、なぜか俺に絡んでくる。
「また畑仕事か?」
「見れば分かるだろ」
「お前んちは畑くらいしかないもんな!」
後ろの二人が笑った。
俺は鍬を止めた。
ああ。
いたなあ。
こういうやつ。
前世の小学校にもいた。
「お前の筆箱ダサい」とか言ってくるやつ。
その後どうなったんだっけ。
確か俺が会社員を辞めた頃、SNSで久しぶりに見かけて――。
いや。
やめよう。
十二歳の少年を相手に、前世の資産額でマウントを取る三十一歳。
あまりにも絵面が悪い。
「何笑ってんだよ」
「いや、懐かしくて」
「は?」
「人生長いから、頑張れよ」
「……なんだそれ!」
バルドが怒った。
後ろでノアが肩を震わせている。
「レオン、お前あいつの扱い上手くなったな」
「経験値が違うからな」
「十二歳だろ、お前」
「そうだった」
いかんいかん。
俺も十二歳だった。
◇
今年の夏は雨が少なかった。
それでも村の畑は、なんとか持ちこたえていた。
問題が起きたのは、その三日後。
父が麦畑の前でしゃがみ込んでいた。
「これは……まずいな」
俺も隣に座る。
何本かの麦の葉に、黒い斑点が出ていた。
「病気?」
「ああ。東の畑にも出たらしい」
父は一本を手に取った。
「広がらなきゃいいが」
村の主産業は麦だ。
大半の家が麦を育て、余った分を近くの町へ売っている。
今年の収穫が減れば、村全体に響く。
とはいえ。
俺にできることはない。
前世でどれだけ金を稼いでも、植物の病気なんて分からない。
俺も麦を一本手に取った。
その瞬間だった。
視界の端に、文字が浮かんだ。
《麦》
《現在価値:4》
《予測価値:11》
《変動要因:周辺地域で供給低下》
「……ん?」
目をこする。
消えた。
もう一度麦を見る。
《麦》
《現在価値:4》
《予測価値:11》
出た。
「レオン?」
父が怪訝そうに俺を見る。
「どうした?」
「いや……ちょっと」
俺は立ち上がった。
畑の横に置いてあった木桶を見る。
何も出ない。
父の帽子を見る。
何も出ない。
地面に落ちていた麦を見る。
出た。
《麦》
《現在価値:4》
《予測価値:11》
俺は黙った。
まさか。
いや。
そんな。
異世界だ。
魔法がある。
魔物もいる。
だったらスキルくらいあってもおかしくない。
だが――。
俺のスキル。
これ?
俺は家まで走った。
「レオン!?」
父の声が後ろから聞こえた。
気にしている場合じゃない。
台所に飛び込む。
机の上のパンを見る。
《黒麦パン》
《現在価値:2》
《予測価値:7》
干した肉を見る。
《山鹿の干し肉》
《現在価値:9》
《予測価値:10》
母が使っている薬草を見る。
《ヒール草》
《現在価値:6》
《予測価値:6》
「……マジか」
心臓が速くなる。
この感覚を、俺は知っていた。
誰も見ていない数字。
まだ価格に反映されていない情報。
市場が気づく前の歪み。
前世の俺が、一番好きだったもの。
俺は外へ飛び出した。
今度は片っ端から物を見る。
薪。
出ない。
石。
出ない。
野菜。
出る。
卵。
出る。
牛乳。
出る。
どうやら「売買されるもの」すべてが対象というわけではないらしい。
少なくとも今の段階では、食料や薬草のような物にしか反応しない。
だったら――。
俺は村の端まで走った。
ここには昔から雑草が大量に生えている。
夏になると紫色の小さな花をつける草だ。
家畜も食べない。
村人は邪魔になるたび抜いて捨てている。
一本を見る。
《月光草》
《現在価値:1》
《予測価値:34》
俺は止まった。
「……三十四?」
もう一度見る。
変わらない。
《現在価値:1》
《予測価値:34》
三十四倍。
前世なら、見間違いを疑う数字だ。
しかもその下。
《変動要因:新用途》
それだけ。
詳細は出ない。
なるほど。
全部教えてくれるわけではないらしい。
俺はしゃがんだ。
月光草を一本摘む。
新用途。
薬か。
染料か。
魔法関係か。
何でもいい。
問題は、本当にこの数字を信用していいのか。
前世でもそうだった。
「上がる」と思った銘柄に全財産を入れるやつから消えていく。
未来は確定じゃない。
予想は予想。
だから。
「まず、少額」
俺は月光草を十本だけ摘んだ。
◇
翌日。
ちょうどいいことに、村へ行商人が来た。
月に二度やって来る男だ。
塩や針、布などを売り、村の農産物や薬草を買って町へ戻る。
俺は月光草を束にして持っていった。
「これ、買う?」
行商人は草を見た。
「月光草?」
「うん」
「なんに使うんだ、こんなの」
知らん。
俺も聞きたい。
「薬師が使ったりしない?」
「昔は鎮静薬に混ぜたらしいが、今じゃもっといい草がある」
やはり現在価値は低い。
「じゃあ、これ十束で銅貨一枚」
「高い高い。三十束で一枚なら買ってやる」
なるほど。
安い。
いいね。
俺は笑った。
「じゃあ売らない」
「おい」
「聞いただけ」
行商人は呆れた顔をした。
俺は月光草を持ち帰った。
ノアが俺を見る。
「何してるんだ?」
「投資」
「とうし?」
「安いときに買って、高くなったら売る」
「その草、拾っただけじゃないか」
「原価ゼロだな」
「……お前、時々意味分からないこと言うよな」
いい。
誰にも理解されなくていい。
最初はいつもそうだ。
その日から俺は、畑仕事の合間に月光草を集めた。
ただし全部は取らない。
村中の草を独占して、外したらただの雑草コレクターだ。
十束。
二十束。
三十束。
家の納屋の隅に、少しずつ乾燥させて積んでいった。
母に見つかって、
「それ、何に使うの?」
と聞かれた。
「将来有望」
「草が?」
「草が」
母は首をかしげた。
◇
それから三週間。
何も起きなかった。
一か月。
何も起きない。
ノアには、
「そろそろ捨てたら?」
と言われた。
俺も少し思った。
市場眼を見る。
《月光草》
《現在価値:2》
《予測価値:31》
下がった。
三十四から三十一。
なるほど。
予測値は変動するのか。
やっぱり確定未来じゃない。
面白い。
俺はむしろ嬉しくなった。
完璧な未来予知なんて、投資じゃない。
そんなものは答え合わせだ。
情報が不完全だから面白い。
さらに二週間後。
村に馬車が二台入ってきた。
見慣れない紋章。
町の商会だ。
馬車から降りた男たちは、村長と何やら話をしている。
俺は畑から眺めていた。
すると村長が大声で叫んだ。
「誰か! 月光草の群生地を知らないか!」
俺の手が止まった。
来た。
畑からノアを見る。
ノアも俺を見る。
「……レオン」
「うん」
「お前、あれ集めてたよな」
「集めてたね」
「なんで?」
俺は笑った。
「なんとなく?」
「絶対嘘だろ」
◇
事情はこうだった。
王都の錬金術師が、新しい解熱薬を開発した。
その材料の一つとして月光草が使えることが分かったらしい。
それまで価値の低かった草に、突然注文が殺到した。
よくある話だ。
昔ならゴミ同然だったものが、新技術一つで資源になる。
前世でも散々見た。
商会の男が俺の積んだ月光草を確認する。
「状態もいい」
「乾燥させてある」
「これを全部?」
「うん」
男は考えた。
「銀貨三枚でどうだ」
周囲がざわついた。
ノアが俺の袖を引く。
「売れ。絶対売れ」
待て待て。
俺は月光草を見る。
《現在価値:27》
《予測価値:19》
――下がる。
なるほど。
新用途の情報が広がった。
今が高値圏。
ここから他地域でも採取が始まるんだろう。
だったら。
「銀貨四枚」
俺は言った。
商人が眉を上げた。
「坊主。相場を知ってるのか?」
「知らない」
「じゃあ三枚だ」
「でも急いでるでしょ?」
商人の表情が、一瞬だけ止まった。
当たり。
「王都まで持っていくなら、次の村まで回って集めてる時間ないよね」
「……誰に聞いた?」
「馬車が二台来たから」
俺は肩をすくめる。
「普通なら一台で十分じゃない?」
商人が俺を見る。
しばらくして。
笑った。
「三枚と銀貨半分」
「四枚」
「三枚と銀貨半分」
「じゃあ、それで」
俺は即答した。
欲張らない。
利益は十分。
そして。
前世で何度も学んだ。
天井で売ろうとするな。
十分上がったなら売れ。
数分後。
俺の手の中には、銀貨三枚と半銀貨一枚があった。
十二歳の俺が初めて、自分で稼いだ金。
前世の感覚なら、誤差みたいな金額だ。
でも。
妙に嬉しかった。
株でもない。
不動産でもない。
誰かの会社でもない。
自分で見つけて。
自分で集めて。
自分で交渉した。
「……楽しいな」
思わず漏れた。
ノアが怪訝そうに俺を見る。
「四枚じゃなかったのに?」
「三枚半なら十分だよ」
「……よく分かんないやつ」
そうかもしれない。
俺は銀貨を握った。
その瞬間。
視界に文字が浮かんだ。
《条件を達成しました》
《固有技能――市場眼》
《第一段階が正式解放されました》
第一段階?
嫌な予感。
いや。
面白い予感がした。
続けて文字が現れる。
《観測対象が拡張されます》
俺は顔を上げた。
ちょうど目の前を、商人が連れてきた馬が歩いている。
何気なく見る。
《栗毛馬》
《現在価値:142》
《予測価値:163》
おお。
今度は家畜まで見えるらしい。
その隣。
商人を見る。
――何も出ない。
「さすがに人間は無理か」
少し安心した。
なんでも数字に見える人生は嫌だ。
前世だけで十分――。
そう思った瞬間。
村長の横に、一人の男が立った。
商人たちとは服装が違う。
腰には剣。
胸には、銀色の紋章。
騎士だろうか。
男が手に持っていた羊皮紙に視線が止まる。
文字が浮かんだ。
《北丘陵地・採掘権》
《現在価値:8》
《予測価値:――》
「ん?」
初めて見る表示だった。
数字がない。
代わりに。
赤い文字。
《重大変動》
《判定不能》
俺は目を細めた。
北丘陵。
村の北側にある、何もない岩山だ。
草もろくに生えない。
誰も欲しがらない土地。
その採掘権。
現在価値、8。
なのに。
未来だけが読めない。
「……面白そう」
思わず口元が緩んだ。
前世でもそうだった。
全部分かる相場より。
何かが起きそうなのに、まだ誰も理由を知らない相場の方が面白い。
俺は忘れていた。
株式市場がなくなったからといって。
相場までなくなったわけじゃない。
物がある。
人がいる。
欲しがる者がいる。
足りない物がある。
情報の早い者と、遅い者がいる。
なら。
どんな世界にだって相場は生まれる。
俺は銀貨を握りしめた。
畑を耕すのも悪くない。
というか、かなり好きだ。
今世はのんびり暮らそうと思っている。
でもまあ。
少しくらいなら。
「相場、やってみるか」
二度目の人生。
十二歳。
元億トレーダーの俺は――。
異世界で初めての利益を確定した。




