インターハイ予選に向けて
西園寺式イメージトレーニングは、一週間も経たないうちに恥ずかしいとも何とも思わなくなっていた。
「おはよーっす!」
「あ、コジロー二号だ!」
ウチら風紀委員によるあいさつ運動の最中、無邪気な中等部一年生の子たちが面と向かってウチのあだ名を叫んできた。ウチはニコニコしつつ、その子たちをイマジナリー竹刀でとことんしばきあげた。
西園寺さんがコジローなので、ウチはその二号呼ばわりされていた。西園寺さん並みの痛い奴と認定されたのも同然である。華の高校生活の初っ端に変なレッテルを貼られてしまったが、多分三年間は剥がれへんと思う。強くなるには犠牲にせなあかんものがあるんや……
朝はこのように登校してきた生徒、教職員を自分の頭の中でとことん滅多打ちにしてきたが、肝心の剣道の方に活きているのかどうかはまだ実感できていない。しかし成果を出さなければいけない機会が、実はすぐそこに迫ってきていた。
全国高等学校総合体育大会剣道競技大会。つまり、インターハイである。
「イヤァァァッ!!」
「オリャアアッ!!」
その日の練習を締めくくる掛かり稽古。三十秒ごとに顧問がホイッスルを鳴らし、相手が入れ替わるのだが、最後のセットの相手は一学年上の中島エリカさんであった。ウチが掛かり手で中島さんが元立ちである。
掛かり稽古は掛かり手がひたすら元立ちを打つのだが、もちろんただで打ち放題というわけにはいかない。中島さんは隙を作らないよう間合いを取ってくるのでウチも距離を詰めようとするのたが、背丈がウチより一回り高くリーチも長いのを利用して執拗に牽制してくる。稽古前のイメージトレーニングやと滅多打ちにできとったのに、やはり実践となると全然違う。
しかし一度も有効な打突ができませんでしたは通用しないので、開き直って突っ込んでいった。
「タアッッッ!!」
体当たりをかまして体勢が崩れたところで引き胴。そこでホイッスルが鳴り、「そこまで!」の声がかかった。
中島さんが面を外すと汗だくの顔が現れる。日本人離れした彫りの深い顔立ちをしているのは、ドイツ人の父親と日本人の母親を持つハーフだからである。
しかし、顧問の先生はというと生粋のドイツ人であった。
「防具を外し、クーリングダウン」
カトリン・オイゲン先生が静かに指示を出す。オイゲン先生は国際科創設の折に赴任してきた外国人教諭で、ドイツ語と英語と国際文化を教えている。ALTではなく、日本の大学で教員免許を取得したれっきとした正教員である。
練習時間は運動部の中でも短めではあるが、オイゲン先生が決めたプログラムは濃密で負荷は高く、それでいて無駄は一切なかった。
切久保さんと二人一組でストレッチしたが、まあグチグチとうるさいのなんの。
「ねえ、いつになったらメェェン! させてくれるの? 私も稽古したかったのに」
剣道に関してはド素人なので、まだ基本中の基本しか教えられていなかった。
「無理言うなや。まだ座礼もろくにできんくせに」
「これでも地元じゃスポチャンで『信州の女侍』って呼ばれてたのよ?」
「地元いうても村やろがい。ウチみたいに全国に行ってへんやろ」
「あー、マウント取ってきたなー?」
「やかましいわ。このかばちたれが」
「ちょっ、痛い痛い!」
背中をグイグイと押したった。そこにオイゲン先生が咳払いしながら近づく。
「私語を慎むように。ストレッチ中も気を抜くな」
「オスッ」
オイゲン先生はオールバックの強面で、あんまり笑わへんから圧がある。厳格なドイツ人のイメージぴったりやった。ただ、この人の指導力は確かで、中島さんが伸びたのもオイゲン先生のおかげである。ドイツ人とドイツをルーツに持つ者どうし、波長が合うたからやろう。
それでもウチは正直、オイゲン先生の指導方針に疑問があった。稽古後、オイゲン先生は流暢な日本語で訓示した。
「高等部組はインターハイ地区予選まで一ヶ月を切っているが、無理をして怪我をしては元も子もない。いつも通り、ゴールデンウィークは登校禁止とする。各自で自主練習するのは構わんが素振り程度にしておけ。しっかりと休むことも稽古のうちだ。わかったな」
オス、と口では返事したが、心の中ではんなことあるかいな、と口答えしていた。
一日の練習密度は確かに高い。しかし一年を通しての練習量は、おそらく他校と比べて少なすぎる。特に大会間近であれば休日返上は当たり前やろうし、事実、ウチが入学した年は土日も連休も練習三昧やった。しかしオイゲン先生が顧問に就任してからは土日はほぼ自主練習、年末年始とお盆、ゴールデンウィークは登校すら禁止されている。この時期に組まれている錬成会への参加の予定もない。
ドイツ人は休日をきっちり休む性格と言われているが、それだけでなく、オイゲン先生の経験もあった。先生は日本の高志館大学という剣道が強い大学の出身で、剣道部のエースとして活躍していた。しかし周囲には無理な練習がたたって怪我をする部員や、高校までの猛練習によるダメージが蓄積して怪我に繋がった部員や、先輩から不合理な練習を強要されて怪我させられた部員もいたという。その経験を反面教師として、一日の練習は濃密にやるが、休日は負荷をかけることはしないという指導スタイルになった。
それで実際中島さんのように成果は出ているし、ウチも全中に出られたわけやが、もう少し練習量があれば優勝できたんやないかとも考えていた。そやから昨年のゴールデンウィークはどこも行かず、オトンのツテで近所の剣道場のお世話になって稽古をつけてもらっていた。何日間も素振り程度の自主練習だけで済ませるのは不安で仕方なかった、やはり生身の人間を相手してこそ、である。
一年中休み無しのブラック部活はイヤやけど、休みだらけのホワイトすぎる部活もどうかというのがウチの考えや。
今年も剣道場使わせてもらおうかな、と考えていた矢先である。自販機でスポーツドリンクを買っていたら、遅番勤務の西園寺さんが見回りをしているのに出くわした。
「井出朔。イメージトレーニングはちゃんとやってるようだな」
その通り、ウチはちゃんと竹刀をぶら下げていた。
「はい、もう生暖かい視線に慣れました」
「そういうことを聞きたいんじゃないんだが、まあいい」
「あの、西園寺さん。ウチ、西園寺さんと稽古したい言うたら付き合うてくれます?」
「なんだ、急に」
ウチは事情を話した上で、西園寺さんも一緒に剣道場に行かないかと誘ってみたのだが。
「須賀野守につけてもらいな。あの子、噂では剣道もできるそうじゃないか」
「軍曹はイヤです」
即答。
「なんで?」
「なんか生理的に受け付けません」
「酷い言い草だな、お前さん」
西園寺さんが苦笑いする。だって須賀野さん、怖いし。稽古したらやたらめったらしばいてきて怪我させられそうやもん。
「まあ、稽古はつきあってやってもいい」
「ほんまですか!?」
「ただし、こちらもゴールデンウィークは家でのんびりしたいんでな。家に来るっていうならつきあってやる」
「西園寺さんの家ですか……ええっ、西園寺さんの家で!?」
思いがけないお誘いであった。
「実は、家に稽古できる場所があるんでね。ちょいと待ちな」
西園寺さんは自分のスマホの画面をいじり、ウチに見せてきた。
「ここが実家だ」
「えっ」
見せられた地図の、空の宮市北西部にあたる部分。ピンアイコンが指しているのはお寺であった。




