個人合宿二日目
だだっ広い稽古場の小上がりがウチの寝床である。倉庫から防災グッズの寝袋を取り出して中に潜り込み、目を閉じる。
幽霊が出そうな雰囲気よりも、西園寺さんの変な夢の続きを見るのが不安だったがそれもつかの間で、すぐに意識が飛んでしまっていた。
――リリリリリリリリン!!
「うおっ、なんやっ!?」
非常ベルのような音で飛び起きた。灯りをつけたら、パジャマ姿の西園寺さんがハンドベルらしきものを手にして振っていた。
「おはよーさん。朝だぞ」
「え?」
そんなアホなと思うたけど、目覚ましに使っていたスマホからもアラームが鳴っている。間違いなく、午前四時。眠ったと思ったらもう起床時間である……
「ほれ、坐禅するからついて来い」
「お、オス」
パジャマ代わりに使っている学校指定の体操服を着たままで、禅堂という場所に案内された。朋哉さんが待っていて、棒を持っていた。肩をぺしんと叩くアレである。
細長い畳が敷かれてあり、その上に壁の方を向いて座らされる。西園寺さんはウチの隣に座って「こう足を組んで、手はこういう形にして」と説明してくれた。
「で、じっちゃんが肩を叩く場合は首を左に傾けて、ちょい前かがみになって合掌する。叩かれたら合掌したまま頭を下げる」
「わかりました」
「それじゃ、頑張りな。うちはメシ作ってくるから」
西園寺さんは立ち上がって出ていってしまった。え、一緒にやるんちゃうの?
「まったく、しょうがない子じゃの」
朋哉さんは苦笑いしているが、連れ戻そうとしない。
「あの子は坐禅嫌いでな。じゃが頑張って早起きしたんじゃぞ、お主の世話焼くためにの。休みと早番の日は日の出までずっと寝とる子が」
なんだかんだで孫に甘そうである。
「さあ、始めるぞい」
ウチはじっとしてるのが苦手な性分なので、壁をじーっと見つめてひたすら座ることが苦痛に感じる。ちょっとでも体が揺れると、朋哉さんが右肩を棒でちょいと触ってくる。これから叩くぞ、という予告だ。ウチは西園寺さんに言われた通り、首を左に傾けてちょい前かがみになった。
ペチン。
軽く叩かれる。西園寺さんの打突に比べたら屁にもならない。ただ座っている方が遥かにきつい。こりゃ西園寺さんが嫌うのもわかるわ。
この坐禅はだいたい一時間ほどで終わるが、感覚としてはもっと長く感じた。何回肩をペチペチやられたかはわからない。
坐禅の後は朝食である。お粥と梅干しと味噌汁のみ。「五観の偈」を唱えて、食事中は一切の音を立てずに。でもやっぱり出してしまう。何がアカンのやろ。
「もうちょい音出さないように頑張りな」
後片付けのときにまた注意されたが、坐禅から逃げといてよう言うわ、と心の中で舌打ちした。
それから稽古場に戻って掃除。これは普段からやっているから要領はよくわかるが、一人でやるとなるとなかなかしんどい。しかし西園寺さんは手伝わず、ずっとスマホを弄っている。掃除も稽古のうち、ということらしい。
「終わりましたよ」
「よし、じゃあ倉庫から打ち込み台を出してきな」
打ち込み台は恐らく自作のものであった。木材で骨組みを組んで、面と胴と竹刀を取り付けたもの。これが合計七台も、いろんな身長サイズのものが用意されていた。一番大きいので推定二メートル超えのもある。女子剣道でこんなクソでかい剣士を相手することはまず無いとは思うが、現実で相手することが無いからこそ稽古としては面白そうやなとも思うた。
「とりあえず、こっちがストップをかけるまで自分の思うように打ってみろ」
「オスッ」
坐禅に食事と堅苦しいことばかりしていた分、声を思いっきり出して思う存分に打ち込んだ。
時間を忘れるぐらいに打ち込みまくったものの、一向に声がかからない。さすがに息切れしてきた。
ちらと横目で西園寺さんを見る。横になってスマホを持ったまま目を閉じている。
「ね、寝とる……!?」
なんて人や。さすがにアホらしくなってきたので勝手に小休止した。それでもウチなりの悪知恵で、座り込んで休憩しつつも声は上げて、一番ちいさな打ち込み台を叩いて音を出したのであった。もちろん、西園寺さんが目を開けないよう見張りつつ。
「ん……?」
西園寺さんが身を起こしたが、その前に動きを前もって察知したウチは稽古を「再開」していた。イメージトレーニングが初めて役に立ったかもしれへん。
「はいやめー」
西園寺さんはあくびしつつ、ようやく声をかけた。
「悪いな、慣れない早起きをしたもんだからつい寝ちまった」
「大丈夫っス、その間もちゃんとバシバシやってたんで!」
ウチはサムズアップした。
「そうか。じゃあ、お前さんと一緒に動きをチェックしてみよう」
「は?」
西園寺さんは動画を再生し、ウチに見せてきた。さっきまでの打ち込み稽古の様子が映っているではないか。
血の気が引いた。スマホを見とったんやなくて、ウチをずっと映しとったんや、と。
「おやおや~?」
西園寺さんがニヤリと笑う。稽古でかいた汗とは違う、脂汗が出てくる。ウチのサボっている様子まで、無慈悲にもハッキリと映っていた。
「お前さん、良い度胸してんなあ。はははは」
「はははは……」
稽古のメニューが変えられた。中庭でウチはスクワットをやらされることになった。風紀委員長の須賀野さんが好んでやる懲罰を、ウチは受けるハメになったのであった。
「ほら、がんばれーがんばれー」
「ひいい」
西園寺さんが笑顔のまま、ひっきりなしに竹刀で地面を叩く。いっそのことぶん殴ってくれた方がマシやとさえ思うた。
中庭の土は、ぼたぼたと滴り落ちる汗が染み込んで色が変わっている。
「いいねえ。そういう一所懸命な顔は。苦しそうだとなおさらゾクッとくるな」
ウチはゾワッときた。前々から感づいとったけど、この人、サディストの気があるんちゃうか……
もう数えられんぐらいやって足がガクガクになり、もうアカンかもしれへんとちょうど思うた頃に、西園寺さんは「もういいぞ」とストップをかけた。ウチは前のめりに倒れた。
「すんませんでした、ほんまにもう堪忍してくださ~い……」
気合と根性は一番やと褒められたウチが、泣き言を言うたのは初めてやったかもしれへん。スクワットのきつさよりも、怒らせてはいけない人を怒らせたことへの恐れがそうさせた。怒鳴るならまだしも、笑顔なのが余計に恐ろしかった。
「わかりゃいいんだ。ほら立ちな」
手を差し伸べてきたので、掴んでウチが立ち上がるのを助けてくれた。それでもヒザが笑ってまともに歩けんかった。
「もう昼飯の時間だ、昼からは性根入れ替えてやろうな」
「お、オス!」
着信音が鳴る。西園寺さんのスマホから流れていた。「何か嫌な予感がするな」と言いつつ、電話に出た。
「もしもし……ええ!? ふざけんなよ~てめぇよ~」
西園寺さんがキレている。ウチのサボりには静かな怒りで済んでいた西園寺さんが。
「チッ……その代わり手当は十割増しで出せよな。はい、はーい」
電話を切って、ウチに言った。
「嫌な予感が当たっちまった。警備会社から連絡があって、イベントの警備に行かされることになった。バックレた奴が出たんだと」
「え、じゃあ稽古は?」
「そりゃ、お前さん一人でやるに決まってるだろうが。できるよな?」
ウチの肩に手を置いて、一人でおつかいに行く子どもに言い聞かせるように念押ししてきた。
「オスッ、もうサボりません!」
「よーしよしよし」
頭をわしわしと撫でられた。小っ恥ずかしいことこの上なかったが、一度過ちを犯したウチを信頼してくれているのである。それを裏切るような真似は絶対にしないことに決めた。




